異世界ごはん研究記

シロイユキ

第1章:初めての異世界で

第1話:転移は突然に

「はい、OKです!一旦休憩にしましょう!」

 

 スタッフさんのその一言を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。

 深呼吸をして気持ちを落ち着けたあと、僕はカメラから見えない位置に隠し置いていたカンペ用のノートを手に取る。

 見るのは撮影前のみではあるものの、ノートが手元にあるだけで落ち着いて挑めるのでお守りのような存在だ。


 僕、大橋京一朗おおはし けいいちろうは料理系配信者として活動している。

 

 もともとは会社員として働く傍らで料理をしながら雑談配信をする程度だったが、次第に視聴者さんやまわりの人から「本業にしてもいいのに」と言ってもらえるようになってきた。

 

 本業があるからできてることだし…とあまり間に受けないようにしていたものの、何度もそう言われているとその気になってきてしまい、30歳を目前にして一度この道に全力を注ぐのもありかもなんて考え始めた。

 しばらくの葛藤をした後に意を決して仕事を辞め、今がちょうど3ヶ月経ったくらいだ。

 

 配信回数や内容のバリエーションを増やすことができるようになったので、視聴者数やアーカイブ動画の再生回数は順調に伸びていき、そのおかげで初のレシピ本出版のお話をもらえるようにまでなった。

 忙しくてもこれ以上ないくらい充実した毎日。まだまだこれからではあるものの、好きなことを仕事にできて順調なのが誇らしく思える。

 

 身体を伸ばしながらキッチンスペースを離れ休憩スペースに移動していると、いつも通り1人の男が僕の方に近づいてきた。


「いやー。さすが京一朗けいいちろうさんっすね!今の撮影も1発でいい感じっすよ!」

 

「ありがとう。こうして支えてくれる由之よしゆきやスタッフさんがいてくれるからだよ」


「またまたそんなご謙遜を!京一朗さんの実力じゃないっすか!」


 そう言いながら由之は京一朗の背中をバンバン叩く。正直痛いけれど、これのおかげで仕事モードから休憩モードに切り替えができるので全く嫌ではない。

 

 彼の名は佐野由之さの よしゆき。高校時代の後輩で卒業後も何かと会っていて、僕が配信を始めることを話すと手伝いを申し出てくれて今に至る。

 スタジオ手配や撮影の進行管理、動画編集の進行や投稿まで。本人は自分のことを雑用係と言っているが、マネージャーや秘書と言っても過言ではない。

 そんな彼が支えてくれているからこそ、配信者として上手くいっているのだと常々感謝している。


「この後ですけど、かなり巻いたんでお昼休憩を長めにしてもいいっすか?レシピ本の写真撮影スケジュールの相談が来てたんで、スケジュール整理したくて」


「そういえばこの前の打ち合わせでもそろそろって話だったな。いつもありがとう。休憩時間は問題ないから頼むよ」


「任せてくださいっす!スケジュール変わってないと思うんで、勝手に空いてる日に入れちゃっときます!」

 

 全体に休憩明けの時間を伝えると由之はご飯も食べずにパソコンと手帳との睨めっこを始めた。

 手伝いたい気持ちは大いにあるものの、無駄に隣にいては由之の気が散ってしまうだろう。息抜きにカフェにでもいきつつ、何か差し入れを買ってくることにしよう。


 定位置に置いたトートバッグを手に取り、由之に声をかけると画面からは目を離さず「了解っす」という返事だけが帰ってきた。

 

 ここから徒歩5分の常連になりつつあるカフェを目指すべくエレベーターを降り、微妙に奥まった細い通路を通って建物の外に出る。

 その瞬間、僕は驚きのあまり肩にかけていたトートバッグを地面に落とした。


「…え?」


 辺りにはレンガ作りの建物が並び、道路は見慣れたアスファルトではなく石畳。

 困惑する気持ちとは裏腹に爽やかに晴れわたる空には、街灯や電線といったものは見当たらない。

 まるで映画を撮るためのセットのよう…そうとしか思えない作り込み加減だ。

 

 とりあえず一旦引き返そう。そう思って振り返ると、先ほど通ってきた薄暗い通路ではなくお店の入り口になっていた。

 

 も、もしかしたら、このお店の中に入るとエレベーターやスタジオに繋がっているんじゃないか…?

 そんな淡い期待を抱いてお店のドアを静かに開けると、残念なことに普通に店内へと繋がっていた。


「うそ…だろ…?」


 思わず漫画のセリフのような言葉を発しつつ、愕然とする。

 

 変な夢なら早く覚めてくれ…っ!そんな想いで頬をつねってみると、ちゃんと痛い。

 じんじんと感じる頬の痛みで、少しずつ冷静さを取り戻しながら今の状況についてを考える。

 

 おそらくこれは、異世界転移というやつなのだろう。

 事故にあったわけでもないし、あのビルの入り口に何か仕掛けでもあったのか…?

 ぼーっとしていたとはいえ、そんな変なものが仕掛けられていたら気がつくはずだけれど…。

 

 いや、そんなことはどうだっていい!

 やっと配信者として軌道に乗ってきたところなのに…っ!


 書籍化以外にも、登録者数が増えたことでのお祝い企画やコラボ配信、オフイベント企画も。

 このままでは途中で投げ出すことになってしまうじゃないか!

 

 そもそも、僕がいなくなってしまうことで応援してくれている方々を悲しませてしまったり、せっかく集まってくれたスタッフさんに迷惑が…。

 やりたかったことも、やり残したことも多すぎる。


 異世界に来たことへの戸惑いよりも、自分の夢が叶いかけているのにやり遂げられないままとなってしまうことへのショックが大きい。

 言葉にできない感情を抱きながらフラフラと街を歩き続け、近くにあったベンチへ腰掛ける。


 見たことのない景色に変わった服装の人々。これが旅行だったら心の底から楽しむことができて、いい刺激にもなっただろうに。

 そもそも、僕がいなくなったら午後からの撮影はどうなってしまうのだろう…。


 気持ちの整理がつかないまま目の前を通り過ぎる人々を眺めていると、大荷物を抱えながら早足で1人の男性が目の前を通り過ぎていった。

 慌てすぎているあまり、肩に担いだ袋から10個近く野菜が落ちてしまっているのに気がついていないようだ。


「…おじさん。野菜落ちてますよ」


 声をかけて見たものの、どうやら耳に届いていないようだ。

 どうせやることもないし、これだけの量を落としてしまうと困るだろうから追いかけるか…。

 

 地面に散らばった野菜を手に取ると、ジャガイモのような見た目なのに表面はゴツゴツしておらず、人参のように滑らかな触り心地だ。世界が違うと食べ物も変わってくるのか。

 

 目に付く限り拾い集めてトートバックに詰め込んで男性を追いかけると、立ち止まって地面に落ちているものをかき集めていた。


「あの、この野菜も落としてましたよ」


「何!?まだあったのか…。袋がこの通りでよ。兄ちゃん、すまんが店まで持っていくのを手伝ってもらえないか?」

 

 そう話しながら彼は無理やり結んである袋の底を指差した。どうやら肩に担いでいた袋自体が破けてしまったようだ。

 

「大丈夫ですよ。もう少し持てるので、袋に入るだけ入れてください」


「ありがとう!俺の名はダーヴィット。この街のフェリチェって酒場で料理人してんだ。兄ちゃんは?」


「僕は京一朗です。さっき街に着いたところで…えっと…よろしくお願いします」


「ケイ…だな!珍しいがいい名前だな。よろしく!」

 

 何を言えばいいのかわからず名前しか言えなかったものの、ダーヴィットは何も聞かずにいてくれた。

 

 悪い人ではなさそうではあるが、異世界から来ました!なんてことを会ってすぐの人に言っても大丈夫かはわからない。

 身元を明かすのはもう少しこの世界についてをわかってきてからにするつもりだ。


 ダーヴィットの案内でフェリチェに着くと、1人の女性が店から飛び出して来た。


「ダーヴィット、大変だ!イルマが来れなくなっちまった」

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