しょーもない話
春成 源貴
「大将!とりあえずビール!」
威勢のいいサラリーマンの声が飛ぶと同時に、狭い店内に怒声が響いた。
「ああ!?とりあえずだあ?ふざけるなよ!」
「へ?」
サラリーマンの間抜けな声が返ってくる。
暖簾をくぐったばかりの若い男は、固着したように足が止まり、呆然とカウンター向こうの男の顔を見つめている。
カウンター席が五つばかりあるだけの小さな店内に、割烹着の男が仁王立ちしている姿は、なかなかインパクトがある。
「うちのメニューは、俺がじっくり考えて選んでんだ。それがビールでも、だ。それをとりあえずたぁ……てめぇに食わすメニューはねえぞ!」
親父の怒号がヒートアップするが、唐突に我に返った男も負けていなかった。
「ああ?こっちは客だぞ!」
「関係ねえや!」
男はさすがに大将の剣幕にひるむと、踵を返して背を向けた。
「二度と来るかあ、こんな店!」
「おう!二度と来るなや!」
売り言葉に買い言葉。男は出ていき、大将はカウンターで再び魚を捌き始めた。
ついさっき、暖簾をくぐり席に着いたばかりの僕は、内心のドキドキを押さえながらメニューを見つめ考える。
とりあえず……取る物取り敢えず……敢えず……完全にはしきれないで……ってことはよく考えて……考えきって……やがて、僕の思考はまとまり、言葉が口をついて出る。
「大将すみません」
「おう」
僕は手を上げ大将を呼ぶ。
「とりあえないビールを」
「あん?なに言ってんだ?」
「あ、いや、その……取り敢えずがまずいなら……取り敢えないビールを……かな……って」
僕は、自分の声がかすれるのが分かる。喉は渇き、声は張り付いてしまって、奥の方から進んでくれない。
大将の表情が少しずつ曇っていく。
大将の口が開いた。が、さすがに「おまえ、それ出オチじゃねえか!」とは言われなかった。
「おまえさん、大丈夫か?」
ひどく心配するような、困惑するような声だった。
「あ……いや……」
「なんだよ、はっきりしねえな」
「……」
「……もう、帰れ。おまえさんに料理だしても、味わかんねえだろ」
「はあ」
僕はうなだれて立ち上がった。
「来る気があるなら、今度また来な」
大将はそう言うと、ぷいっと横を向いて仕事を再開した。
僕はとぼとぼと暖簾をくぐって外に出た。
振り返ると提灯がぶら下がって、店の名前が書かれた看板が目に入る。随分と達筆だったが、読める類いの美しい字だった。
『頑固親父の気まぐれ居酒屋』
……どっちだよ。頑固一徹って言葉知らねえのかよ。僕は声に出さず呟いて、ひんやりとした夜道を歩き出した。
しょーもない話 春成 源貴 @Yotarou2019
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