第103話: 千賀子 ← 大地主&地方・中央馬主&政界・財界の一部に顔が利く自称無職




 ──1971年の相撲を一言で表すならば、『暗黒期』というやつだろうか。



 以前からチラホラ『八百長』に関して囁かれてはいたけど、この頃は特に酷かった。


 パッと見た限りでは隠しているが、少しばかり詳しい人が見れば一発で分かるぐらいのヤクザが出入りしたり。


 相撲界の大御所などが接待を受けているとか、裏で賭け事が行われているとか、講演会を通じてお金が動いたり。


 力士の健康問題があまりに蔑ろにされたり、勝ち星を拾えず成績がふるわない力士に暴力的なシゴキが行われたり。


 など、など、など。


 また、そういった黒い噂以外にも、だ。


 番付(階級のこと)が十両前後……すなわち、成績が苦しくて階級を落としてしまう力士に白星を送るといった事が行われていた。


 いちおう隠してはいたが、明らかに特定の場合に限り動きが悪く、おざなりな抵抗の末に……というようなのが、チラホラと見受けられていた。


 どうしてそのような事が行われていたのか……それはまあ、力士に支払われる給料が原因だろう。


 力士の収入源は様々で、後援会などの援助やご祝儀もあるので一概にこれぐらいとは断言出来ないが、基本給は定まっている。


 番付トップの横綱が300万。


 そこから大関→関脇・小結→平幕→十両、と番付が下がる事に基本給も下がり、一番下の十両で月に110万円である。



 ……では、それより下はどうなのかって? 


 それが、貰えないのである。



 いちおう、まったくの無収入というわけではなく、年6回開催される本場所ごとに手当てが支給されるが……それでも、十両の10分の1も貰えない。


 つまり、あと一つ勝てば、白星を取れたら、十両の番付に留まれる……そういった後が無い力士に対して、白星をあげるという行為が行われていた。


 これはまあ、勝負事ではあるけれども、競争相手であると分かっていても、仕方がない面はあるだろう。


 同じ力士だからこそ、あと一勝。それに加えて、力士同士の交流もあるし、仲の良い相手もいる。


 自分は余裕があるから……そんな思いから、一勝ぐらいは……と、考えてしまう者が現れても不思議ではない。


 それは、時に『人情相撲』と呼ばれたり、『無気力相撲』とも呼ばれたり、あるいは『互助相撲』とも揶揄されたり。


 とにかく、この頃になるとあまりにそういった相撲が散見され、相撲ファンからも度々苦情の手紙が届いていたことのもあって、だ。


 相撲競技観察委員会……つまり、八百長などが行われていないかを監視し、懲罰することを目的とした部署が設立された年でもあった。


 ……。


 ……。


 …………さて、そんな前置きをしたうえで、だ。



「しかし、私ってばそんなにお金を持っているように見えるのだろうか? 車なんて持っていないし、金を持っていそうな雰囲気なんてなさそうなのだけど……」



 受けるべきか、どうか。


 とりあえず、道子を尋ね、相談してみたのだが。



「……千賀子ぅ~、私が言うのもなんだけど、千賀子はもうちょっと自分がお金持ちだってことを自覚した方が良いと思うよ~」



 緑茶を一口、音もなく唇を湿らせた道子から、呆れが多分に混じった眼差しを向けられた。



「え? いや、お金を持っているのはちゃんと自覚しているけど?」

「違うよ~、お財布の中身を知っているかどうかじゃなくて~、自分が社会的にどういった立ち位置にあるのかを正確に把握しておかないと駄目だよ~って話だよ~」

「立ち位置……胡散臭い宗教法人の教祖を務める無職ってこと?」



 ありのままに応えれば、『う~ん、こやつめ……』といった感じの目を、再び向けられ……それから、一つ一つ説明してくれた。



 ──まずは、だ。



 世間的な千賀子の立ち位置だが……簡潔に箇条書きするならば、大面積の土地をいくつも所有している大地主である、である。


 所有している土地の価値が高いとかは、この際そこまで問題では……いや、実のところ、千賀子が所有している『山』の周辺は空気が綺麗なこともあって、人気が高まっているらしいけど。


 他には、千賀子は馬主の資格を持っている、という点だ。


 それも、『地方馬主』だけでなく、『中央馬主』の資格を……そう、この資格がまず強過ぎる。


 どうしてなのかって、中央馬主は地方馬主よりもはるかに取得までの基準が厳しく、その資格を所有している時点で、7500万円以上(前世の基準だが)の資産を所有して……ん? 



 ……無職の千賀子が、どうやって収入を得ているのかって? 


 ──そんなの、女神様の『賽銭箱』のおかげである。



 ちなみに、現在の『賽銭箱』の金額は、日本の国家予算よりも多いとだけ、報告しておこう。


 とにかく、公的には、だ。


 所有資産7500万円以上を所有しており、いくつもの土地を所有している大地主という、早々お目に掛かれないレベルの資産家であるということ。


 加えて、所有している3頭の馬の内、2頭ともダービー馬であり、賞金額を合わせれば、相当な金額になるということ。


 2頭の種付け依頼が来たら、その分だけ別途に収入を得られるだけでなく、それが1年、2年、3年と続けて得られる可能性が高いこと。


 他にも、とある地方競馬場関係者からすれば足を向けられないどころか、毎朝頭を下げられているぐらいの重要人物であること。


 政界の重鎮から顔も名前も良い意味で憶えられているだけでなく、様々な方面から色々な意味で一目置かれている……等々など。


 ぶっちゃけてしまえば、何十人~何百人~多ければ何千人という人間を容易く動かせてしまうだけの『力』を有している……それが、秋山千賀子の公的な立場なのだと……そう、道子は話したのであった。



「えぇ……いや、それはあんまりにも買いかぶりすぎでは?」



 思わず、千賀子は手も首も横に振る。



「逆だよ~。むしろ、千賀子は自分の立場を過小評価し過ぎだよ~」



 対して、長々と説明した道子は、2杯目の緑茶を手慣れた様子で淹れつつ……改めて、千賀子に苦笑を向ける。



「千賀子ってさ~、こっそりと~な感じで、けっこう色々なところに寄付しているよね~、孤児院とかさ~」

「え、あ、うん、知っていたの? まあ、そんなに(賽銭箱基準)だけど……」

篤志家とくしかとしても、千賀子は知る人ぞ知る有名人なんだよ~」

「え、マジで? 隠していたつもりだったのだけど……」

「良くも悪くも、人の噂って完全には抑えられないからね~」

「うう、あまり知られたくないことなんだけど……」



 まさか、道子に知られていたとは……ちょっと、千賀子は驚いた。


 そう、あえて表に出してはいないが、実は千賀子……時々だが、『賽銭箱』からお金を引き出して、匿名で寄付をしている。


 理由は、『コレ、もしかして使わないと貯まりっぱなしのまま死蔵されて経済に悪影響を与えるのでは?』という不安を拭いきれないからである。


 なお、逆の意味で、大金を渡せばどのような影響を与えるのかが不安なので、特定の企業にどうのこうの……てのはしていないのだが、まあ、今はいい。


 そう、経済というのは、ある意味では人体を流れる血液に似ている。


 一か所に留まり続ければ、いずれうっ血して臓器が腐る。かといって、血が通わなければそこは冷え込み、腐れ落ちる。


 経済というのは、バランスが大事なのだ。


 女神様が用意したお金などでそこらへんの問題はないだろうが、絶対ではない。悲しいかな、そういう意味での信頼性はバッチリである。



「それで~、話は最初に戻すけど~」

「あ、はい」

「後援会に入るかどうか、それとも、個人的な支援者として動くかは、千賀子の自由にしたらいいと思うよ~」

「でも、変に目立たない?」

「お金を動かせば、遅かれ早かれ目立つモノだよ~。それに、そういうのが不安なら、逆に食い込んじゃえばいいんだよ~」

「え?」

「迂闊に手を出したら、日の丸さんが本気で動く相手だぞ……って周囲に思わせたら、よほど頭がおかしい人以外は寄って来ないよ~」

「……そ、そういうものなの?」



 いまいち想像し難くて首を傾げる千賀子に、「そういうものだよ~」道子はキッパリと告げた。



「別に、無理やり味方を増やさなくてもいいの~。千賀子は、千賀子の思うように好きに動いたら、周りが色々と動いてくれるから~」

「そ、そういうモノなのか」

「そういうものだよ~。難しく考えずに、自由にやればいいんだよ~。もちろん、無理をしない程度にね~」



 その言葉に、千賀子は……ちょっとばかり、気持ちが楽になった。


 お金があるとはいえ、前世から、根は小心者で庶民な千賀子には、どうにも自分のために大金を使うという感覚が薄かったからこそ、余計に。



「ありがとう、道子。せっかくだし、ちょっと支援してみるよ」

「お礼なんていいよ~」



 にっこりと道子に笑顔を向ければ、道子からもにっこりと笑顔を返される。


 それは、小学校の時から変わらず続く、友情の証であった。






 ……。


 ……。


 …………さて、そんなわけで、だ。



 件の相撲部屋の後援会の話は、どうやら父の知り合いの関係者の関係者……とにかく、そちらから話が来た。



 その部屋の名前は、『穂高ほだか部屋』。



 あいにく、相撲はまったくの無知である千賀子には、サッパリ存在を知らなかったが、地元ではけっこう有名らしい。


 そんなのが、どうして千賀子に……これはまあ、道子の話していたとおり、どうやら馬主関係から紆余曲折を経て……という流れらしい。


 向こうとしては、支援者の1人になってくれたら……といった感じらしく、是非とも……と、けっこう強めに来たのだとか。



 まあ、そりゃあ、そうだ。



 支援者が増えれば増えるほど相撲部屋としては経営が楽になるし、稽古に専念できるし、新しく力士の卵を部屋入りさせることだってできる。


 食べる量もそうだが、稽古に怪我はつきもの……医薬品を始めとして雑品の細々とした費用も、けっこう掛かる。


 そう、この頃だって、予算に余裕がある部屋ばかりではない。そもそも、相撲協会からの補助金だけでは足りていないところが大半である。


 やはり、中には経営が苦しく、切り詰めるところはしっかり切り詰めているところも多く、1人でも多くの支援者を確保したいと考えるのは、極々当たり前の事なのであった。



 ……とまあ、そんな相撲部屋事情などは別として、だ。



 せっかくだからと支援することに決めた千賀子だが……当たり前だが、この頃(1971年)にはネット振込なんてモノはない。


 後援会を通じて支援を申し入れたり、あるいは部屋を訪ねて直接支援金などを渡したりと、やり方は部屋によって様々で……とりあえず、千賀子は自分から行くことにした。


 理由としては、件の『穂高部屋』の後援会に千賀子が所属していない(それどころか、顔すら知らない)のと、もう一つ。


 道子から、『後援会を通じて行うよりも、千賀子個人で行った方が良いかも』と言われたからだ。


 千賀子としては、後援会を通した方が良いのではと思ったが……道子曰く、『千賀子の場合は、むしろ通さない方が良い』とのこと。


 例えるなら、零細企業の会に、大企業の社長が入って来た……みたいな感じらしい。


 千賀子の場合は少々勝手が違うらしいが、後援会内の序列に影響を与えかねないので、やるならば、個人で出した方が良いかも……とのことだ。



「さて、お土産は……何にしようか?」



 そんなわけで、次に手土産をどうするかと考えたわけで、千賀子は2号と3号……あと、ロボ子にも尋ねた。



「力士なのだから、食べ物とかが良いのでは?」

「お菓子とかでも良いけど、いっぱい食べるだろうし、旬の食べ物はどうかな?」

「おお、2号と3号の意見を採用しよう」



 力士=いっぱい食べる、そんな図式だが、力士は食べるのも仕事だ……美味しい物の方が、厳しく辛い稽古の励みになるだろう。



「では、マスター……この時期ですと、見栄えなどを考えたら、クロマグロが値段的にもインパクトがあるかと」

「クロマグロ? 解体できるの?」

「出来る人がいなければ、私がこっそりサポートしますので。買うのでしたら明日の早朝、和歌山の市場に行きましょう」

「わかった、明日は早起きしなきゃだね」



 ロボ子からもアドバイスを受けた千賀子は、その日は早めに布団に入ったのであった。


 なお、それでも普段とは起きる時間が違い過ぎるので、滅茶苦茶眠かったけれども。



 ……。


 ……。


 …………そうして、だ。



 欠伸を噛み殺しながら市場へ向かった千賀子だが、そういう場所に行くのが前世を含めて初めてであった千賀子は、失念していた。


 それは──この頃は特に、一見さんお断りな場合が多いということ。


 現代でもそうだが、そういう場所の市場は、一般の方が利用するような店とは異なり、基本的に顔馴染み……業者の人がほとんどだ。


 親切にも気を利かせてくれた場合は売ってくれたりするが、ここでの購入は基本的に箱やkg単位の売買。


 当然ながら、切り分けてなどくれない。


 朝は特に鮮度などの問題もあって誰しもが忙しなく動いており、下手すれば市場の中に入っただけで怒鳴りつけられる……そういう場所なのである。



「……あんた、なに? 仕事の邪魔だ、出て行け」

「あんた、何処の人? 子供の遊び場じゃねえんだよ」

「これだから女は……」



 で、これまた当然ながら、『巫女服』を着て現れた千賀子を見て、誰も彼もが胡散臭そうな目で見ていたし、なんなら真正面から普通に邪険に扱われた。


 まあ、それも当たり前である。


 この頃はまだ現代(前世の話)のような思われ方はしていない。同業者でもない、ましてや、関係者ですらない者の立ち入りなんぞ、邪魔者以外の何者でもなかった。


 むしろ、拳が飛んでこないだけマシであり、千賀子が女だからこそ、その程度で済んでいるといっても過言ではなかった。



「──あ、あんたっ!?」



 が、しかし。



「あ、あんた、もしかして『春木競馬場』の……な、なあ、そうなんだろう!?」



 人の繋がりというのは、何処で繋がっているのかは分からないものだ。



「ありがとう! ありがとう! あんたのおかげでよ、幼馴染のやつがよ、廃業しないで済んで、自殺しないで済んで……本当にありがとう!」



 1人の男……パッと見た限りでは、他の同業者と同じだが……どうやら、千賀子が以前存続させた『春木競馬場』関連の人の友人らしかった。



「お、おい、どうしたんだよ、この嬢ちゃんが何かしたのか?」

「何かって話じゃねえ、大恩人なんだよ。ほら、春木競馬場の……この人のおかげで、潰されずに済んだんだよ!」

「え、この嬢ちゃんがか!? ひゃー、そうなのか!?」

「本当か!? 俺にも礼を言わせてくれ! 昔世話になった人が、廃業せずに済んだんだ!」

「あそこの……死んだ親父が良く連れて行ってくれたっけなあ……」



 部外者だとしても、顔馴染みの同業者が涙混じりにそう訴えれば……自然と、他の者たちから向けられる視線が変わるというもので。



「──ヨシッ! 嬢ちゃん、何が欲しいんだい? あまり安くは出来ねえけど、嬢ちゃんなら特別だ!」

「なんだって、クロマグロ!? そいつはまた豪勢な……かなり値が張るし、この時期でも早く処理するなりしないと痛むぞ」

「大きさにもよるが、刺身にしたら200人前300人前になるからな……家族や親せきに配るにしても……え、力士に?」


「──相撲部屋の差し入れに? なんだ、それを早く言ってくれよ」


「値は張るが、脂が載った立派なやつが今日出ているぞ。これなら、力士部屋のやつら全員の腹をパンパンにしてくれるだろうさ!」

「ん? いやいや、恩人にそんな高値は……ゲン担ぎだから、安くしたらケチがつくって……かぁ~、嬢ちゃん、良い事言うねえ!」

「お~い、みんな~。嬢ちゃんがこの値段で買うってよ! これなら文句ねえだろ!」

「──おまけに、心付けしてくれるってよ! 氷は大目に──うぉ、お嬢ちゃん、細い腕をしているのに、すげー力持ちなんだな……」

「また来てくれよ! お嬢ちゃんなら、とっておきを売るからよ!」



 無事に、千賀子は土産の品を購入出来たのであった。



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※ 相撲部屋はオリジナルです

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