第100話: しばらく、鏡で自分を見るのが嫌になった

※ 誤字訂正しました




 1970年の大阪に開かれた『大阪万博』の熱気ときたら、現代人には些か想像しにくいほどの熱狂ぶりであった。


 なにせ、開かれた日数は約183日間。


 3月15日~9月13日、参加した国は約76ヶ国、国際機関や都市や企業も参加し、国内だけでも32の団体が参加したほどの、日本史に残る大規模な催し物だったからだ。


 しかも、会場面積は約330ヘクタール。


 東京ドームに換算すると、約70個分にもなるという……当時としてもとんでもない広さなうえに、来場者数もまた、とんでもない。


 その数、約6421万人。平均入場者数が約35万人という計算なのだから、いかに毎日人でごった返しになっていたかが窺い知れるだろう。


 実際、この時の盛況を表わす言葉はけっこう残されている。


 人が多過ぎて親とはぐれて迷子になる子供が続出したり、それとは別に、自分がどの場所に居るのかが分からなくなって迷ってしまい、太陽の塔を目印に集まったり、等々など。


 開催期間の間に、281万台以上の車が駐車場を埋め、迷い子が4万人以上、尋ね人が12万人以上、落し物が5万件以上。


 中には、見物中に産気づいて救急搬送された婦人も入れて、1万人以上の救急患者に達したというのだから、この熱気はとてもではないが映像だけでは体験しきれない世界であった。


 特に有名なのが、当時、目玉の展示物として宣伝されていた『月の石』である。


 後に様々な作品に影響を与えた『未来のお風呂』や、後に実現され当たり前のモノとなる『ワイヤレス・テレフォン』もまた有名だが、アポロ12号が実際の月面より持ち帰った月の石を一目見ようと、連日人々が押し寄せた。


 その数、1日平均8万人。


 息が詰まってしまいそうな人波の窮屈さを堪えながら、牛歩と見間違うほどにゆっくり列を進んで……ようやく、数十秒。


 重さにして1kgにも満たないそれを、はっきり肉眼で見られる時間である。


 しかも、ゆっくり見る事は出来ない。なにせ、8万人も来場してくる。立ち止まって、さあ落ち着いて見るぞと思ったら、すぐに係員より前進の指示が飛ぶ。


 なので、見物とは言っても、ちょっと雑談すれば見逃してしまうような短時間であった。


 それでも、宇宙より持ち帰った『月の石』を一目見ようとする者は多かった。


 なにせ、一生に一度の事だからと杖を突いた老人もいれば、すでに何時産気づいてもおかしくない妊婦も列に並んだというのだから、いかに人々の関心を集めていたのかが察せられるというものだ。



 ……で、だ。



 当時の日本人口の3分の2を超える人たちが集まった大阪万博だが、それでも行かなかった者はいる。


 例えば、単純に距離が有り過ぎて予定を立てられなかった者。あるいは旅費を用意出来ず、泣く泣く諦めた者。


 また、体調の理由などで自主的に諦めた者や、そもそも興味が全く無かった者、両親がそうだから連れて行ってもらえなかった者、など。


 行かない者(あるいは、行けない者)もまた、相当数いた。



 ……そんな中で、千賀子の周りはというと……半々であった。



 まず、家族は行かなかった。


 理由としては大阪万博まで遠いのと、店を閉めて行くほどの興味がなかったからなのと、そういう騒がしさを好まなかったから。


 曰く、『月の石は珍しいのだろうけど、石でしょ?』という感じらしい。ちなみに、祖母は『人混みは好かん』の一言だった。


 次に、明美たちはと言うと……なんと、行ったらしい。


 旅費はどうしたのかと言えば、一生に一度の事だからと、前々から切り詰めていたとのこと。


 ……言ってくれたら用意するのになあ……宿も車も小遣いも用意するのになあ……という、どこぞの巫女の内心を他所に、だ。


 さすがに全員が一度に行くとなると大変(なにせ、人数が……)なので、2回に分けたらしいが、とにかく思い出に残ったのだとか。


 そして、道子の場合だが……これはまあ、ちょっと他とは違った。


 具体的には、開催される前に招待されて家族で行ったらしい。要は、本番前の最終チェックみたいなものだろう。


 そこで一つ一つをじっくり見たらしい。


 だから、開催中は行っていないとのこと……まあ、とんでもない混雑っぷりだから、道子が行ったら目を回しそうである。


 他にも、チラホラ実家の近所の人達の中にも、行った者と行かない者が現れているらしいが……割合にして半々らしいとのことだった。



 ……。


 ……。


 …………さて、そんな流れの中で、千賀子はと言うと。



 結論から言えば、行かなかった。



 理由としては、単純に真新しさを感じなかったからだ。


 他者が聞けば気分を害するだろうが、率直な千賀子の本音を語らせてもらうならば、1970年の大阪万博は……千賀子の感覚からすれば、『なんだかレトロな博覧会だね』、である。


 コードが繋がっていない『ワイヤレス・テレフォン』も、前世にてスマフォが当たり前の時代に生きた千賀子からすれば、『おぉ、ワイヤレスってこんな前から……』という感想だし。


 腕を上げたり歩いたりするロボットも、他の人達からすればスゲーって驚かれるだろうけど、千賀子の感想は『等身大のブリキの玩具みたい……』という感じだし。


 後のサブカルチャーなどに多大な影響を与えた『人間洗濯機』とやらも、千賀子からすれば『凝ったラブホテルとかにありそう……』という感じで。


 目玉である『月の石』も、千賀子にとっては、『え、いや、いっぱいあるよ?』と押入れをチラ見する程度でしかなく……いや、それが凄い事だとはちゃんと分かっているのだ。


 分かってはいるけど、わざわざ鮨詰めのような電車に乗って、牛歩のようにノロノロと列に並び、何十分以上も並んで見たいかと言えば……べつに、というのが千賀子の正直な気持ちであった。


 ──まあ、後は、そんな場所に己が行けばどんなトラブルが起こるか分かったものではないから、嫌がったのが一番大きいのだけれども……で、だ。



「……オロロロロロ」



 ついに大阪万博が閉会を迎えた、翌日の朝。


 千賀子以外は人などいない神社にて、千賀子はバケツに顔を突っ込んで、盛大に嘔吐していた。



 ……いったい、どうして? 



 答えは、女神様が千賀子に見せた夢が原因である。


 内容を詳しく語ると読者の精神に影響を与えるので詳細は省くが、タイトルだけで語るならば、『千賀子万博』である。


 ……? 


 …………?? 


 ………………??? 


 まるで意味が分からないと思われるので、もう少しばかり詳細を語るならば、『千賀子の、千賀子による、千賀子が中までたっぷりな、千賀子100%の万博』である。



 ……余計に意味が分からないって? 



 難しく考える必要はない。女神様監修、その言葉が前に付いていると考えれば良い、感じるだけで良いのだ。


 その内容は……とりあえず、千賀子があまりの不気味さに滝のような冷や汗を流しながら起床──して、すぐに嘔吐するぐらいだと聞けば、おおよそ想像出来るだろう。


 なにせ、千賀子の記憶を同期した2号と3号が反射的にウッと喉奥よりせり上がってきた胃液を堪えたぐらいで。


 詳細を少しばかり聞いたロボ子ですら、『え、マジで? うわぁ……(超ドン引き)』と、心底同情の眼差しを向けたぐらいなのだから……ちなみに。


 当の女神様は、夢の中で発狂しかけている千賀子を見て、それはそれはデレデレに頬を緩めていたのだが……悲しいかな、神は人の気持ちなど分からないのであった。






 ……さて、そんな感じで大阪万博は無事(?)に閉幕したわけだが、相変わらずというか、日本全体を見れば、まあまあ色々な事件が起こっていた。



 比較的有名になりやすいのが、銀行関連の事件だろうか。



 と、いうのも、この頃は急激な経済発展の影響で貧富の差が一時的にではあるが、一気に広がっていた。


 毎年右肩上がりに給料が増えている者や、そこまではいかなくとも、生活が安定している者は別として、様々な理由から職を失ってしまう者も多かった。


 特に多かったのが、労災による怪我、あるいは事故による怪我、それによる失職だろうか。


 現代の医療技術ならば無事に職場復帰できるような怪我でも、この頃はまだ確立されていない治療が多く、解熱鎮痛剤として有名なロキソニン薬も、まだ生まれていない。


 また、現代のように様々な公的補助があるわけでもなく、なんなら人は多いので、パッと理由を付けて辞めさせるなんてことも度々あった。


 そうなれば、後は悲惨である。


 雇う側が厚意で休職扱いしてくれた者や、幸いにも仕事を続けることに支障がなかった者は、元の職場に復帰したり、あるいは新しい職場を見付ける事が出来たが、そうでない者は……である。



 他には、千賀子の前世では国民的アニメにもなった『サザエさん』の原作者の家が、放火された事件。


 ──なお、この世界では『サザエ……さん?』というサスペンス系である。



 前世では様々な書籍などに取り上げられ、日本史の1ページを飾ることになった『三島由紀夫』の割腹自殺事件。


 ──なお、この世界でも自殺を図り、治療をしたらしいのだが亡くなったとのこと。名は、『三島幸男』だった。



 中国の通信社より、『尖閣諸島は我が領土』という発言が出たことで物議が、それにより、再び緊張感が高まり。



 北海道では炭鉱でガス爆発が起こり、死者や行方不明者が発生。


 東京では、安保共闘のメンバーが鋼板を襲撃するという事件が発生。


 沖縄(コザ市)では米国人が起こした交通事故を契機とした、暴動が発生。



 初となる公害メーデーが実施され、のべ82万人が参加……とにかく、北から南に至るまで、兎にも角にも毎日のように大事件が起こっていた。



 ……。


 ……。


 …………さて、そんな感じでドッタンバッタン大騒ぎな日本だが、実はもう一つ、とても重大な事が起こっていた。



 それは後々になって実感することで、よほど目ざとい人でなければ、この頃の人々は誰も深く考えずに想像すらしていなかったのだが……実は、戦後最大最長とも言われた『いざなぎ景気』が、終わりを告げていたのである。


 原因は、経済成長による物価の上昇があまりに早過ぎたことへの、金融の引き締めである。


 けして、悪いことではない。


 景気にブレーキを掛けてしまうのは確かだが、かといって、自然に任せてフルスロットルを続けたら、どうなるか……なんとも難しい決断ではあった。


 しかし、それまで右肩上がりしかなかった経済成長に、はっきりと分かる形でブレーキを掛けられたのも事実で……2年後、3年後、この影響が現れるのは、確実なモノとなったのである。






 ──とはいえ、そんな事などほとんど考えていない千賀子にとっては、関係のない話であった。


 なにせ、千賀子の生活は、ぶっちゃけてしまえば、世間どころか人間社会から完全に隔絶(言い方は少し悪いけど)されている。


 それこそ日本社会の景気がどん底になり、毎日のように餓死者が現れるような状況になっても、千賀子の生活にはほとんど影響を与えないのだ。


 住む所が天災に遭うことは無いし、清潔な水も新鮮な食料も実質無限に手に入り、明かりなども気にする必要はない。


 電話もテレビもまた、何時の間にか増設されている。なので、暇潰しも(千賀子の好みは別として)まあ、出来ないわけではない。


 住むだけならば、それこそ死ぬまで平穏で安泰な暮らしができる。


 ただ、そうすると間違いなく『恐怖の大王』によって多大な死傷者が出るばかりか、最悪人類滅亡……なんてことになってしまう。


 千賀子としても、見ず知らずの相手が死ぬだけならばそこまで本気にはならないが、家族や友人だけでなく、顔見知りの相手も巻き込まれるとなれば……というわけである。


 ……さて、前置きはここまでに、時は1971年の、1月初め。



「──宗主様の、おなりです」



 年末年始の挨拶やら団欒を終えた千賀子は、『冴陀等村』へと足を運び……そこの村に、新たに建設された木造の会場にて、新年の挨拶を行おうとしていた。


 その会場は、その建物は、その光景は、一言で言い表すのであれば、異様というほかなかった。


 まず、建物自体はとても大きい。広さは十分で、それこそ数十人の子供が走り回っても余裕があるぐらいに。


 簡素ながら土台がしっかり作られており、壁や床や天井も細部にまで丁寧に手を加えられているのが分かる。


 言うなれば、分かる人には十二分に分かり、分からない人からすれば、新しいけど古臭い建物だな……という感じである。


 そこまでは、いい。


 村の人口に対して、その建物はあまりに広すぎる。それこそ、村人全員が一堂に会してもなお……それでも、そこまではいいのだ。


 異様な光景なのは、そこから先だ。


 まず、部屋の最奥……階段が設置され、高い位置にある壇上(だんじょう)の、その奥には……高さにして3メートル近い石像が安置されている。


 その石像は、良く言えば前衛的な造形である。


 おそらく、女性をモデルとしているのだろう。だが、その身体より伸びる夥しい数の腕もそうだが、大小様々な手で構成された顔は、見る者に強い恐怖と不安を与えた。


 そう、悪く言えば……見る者の心に強い恐怖……いや、不安……あるいは、悪寒を……だが、この場に集まっている者の表情に、それはない。



 ──女神様! 


 ──千賀子様! 


 ──女神様! 


 ──千賀子様! 



 老若男女の区別なく、集まっている村人たちは満面の笑みで宗主を、宗主が信仰する神を、心から称える。


 その瞳には、喜びしかない。いや、事実として、村人たちの心には歓喜しかなかった。


 誰しもが涙を流し、誰しもが嗚咽を噛み殺し、それでもなお、この世界の全ての頂点に立ち、世界を照らす唯一神と、その巫女を称え続ける。


 それは、とてつもない熱気。


 それは、とてつもなく異様な光景でしかなかった。


 けれども、村人たちにとって、目の前の光景は、神話であった。


 神が、神に愛されし巫女が顕現している……涙を流さずにはいられない、尊い光景でしかなかった。



 ──女神様! 


 ──千賀子様! 


 ──女神様! 


 ──千賀子様! 



 村人たちの声が、神を称える声が、巫女を称える声が、新年の澄み切った青空にも届かんばかりに、建物全体を震わせていた。



(……アレェ? なんか思っていたんと違う……ナニコレ?)



 そんな中で、まさしく玉座という言葉がふさわしい、女神像の前にて用意された席にて正座をしていた千賀子は……無表情のまま、村人たちより向けられる熱気を受け止めていた。



(なんで、こんな邪神を称える感じみたいな空気になっているの? 宗教とはいっても、もっとこうほのぼのしているというか……そんな感じだよって村人たちに話した覚えがあるんだけど……)


 注:千賀子の感覚では、早寝早起きを心がけ、隣人を愛し、自分を愛し、精一杯生きていこうという感じです。



 まあ、そんな感じで、だ。


 只々、想像していた光景と現実の光景が一致できず、困惑するしかない千賀子を他所に。



 ──女神様! 


 ──ウキャー! ウキャー! 


 ──千賀子様! 


 ──ウキャー! ウキャー! 


 ──女神様! 


 ──ウキャー! ウキャー! 


 ──千賀子様! 



 何時までも鳴り響き続ける、村人たちの喜びの声と共に……正式に、新たに設立した『女神信教』の教祖となった千賀子は、これは大変なことになったぞと途方に……ん? 



 ──女神様! 


 ──ウキャー! ウキャー! 


 ──千賀子様! 


 ──ウキャー! ウキャー! 



(あれ? なんか猿っぽいっていうか、なんか人の声とは思えないのが──え?)



 なんだか違和感を覚えた千賀子は、フッと我に返ると、その声がする方向へと視線を向け──絶句した。


 何故ならそこには、毛むくじゃらの猿……オランウータン……いや、そのどちらとも違う、二足歩行の猿っぽいナニカが、村人たちに合わせて雄叫びをあげていた。



 ……え、なにアレ? 



 あまりにも突然の謎の生物の登場に、堪らず言葉を失くす千賀子を他所に、その猿は千賀子より視線を向けられていることに気付いたのか……一鳴きすると、人間のように走って建物を出て行った。



 ……。


 ……。


 …………え、いや、マジでアレなんなの? 



 久方ぶりに困惑するしか出来ない千賀子は、とりあえず2号と3号に連絡を取るが、2人からも困惑しか伝わってこないので、千賀子は余計に混乱し──た、その時であった。




 ──あ、アレはヒバゴンですね。




 まさかの、女神様から答えが出た。


 何時の間に背後に居たのか、極々自然な流れで千賀子の頭を撫でて頬ずり(ちょっと痛い)しながら……とりあえず、何だソレと千賀子は尋ねれば。




 ──愛し子の前世で言う、『UMA』とかいうやつですね。この世界には色々あって存在しています。

(……ツチノコとか河童とか、そういう類?)

 ──だいたい合っています。

(へえ、そんなん居たんだ……え、ということは、これって歴史的なアレを目撃した──)

 ──人を襲う類の肉食なので、気を付けてくださいね。

(──待って? なんて?)

 ──だいたい、武装した警官100人命を引き換えにして一体殺せるかどうかでしょうか? 

(いや、待って? どういうこと?)

 ──他にもいっぱい居ますよ、だいたい人肉を好みます。

(聞けよ!?)




 ……。


 ……。


 …………1971年の、正月明け。



 なにやら、とんでもない情報が出てきた千賀子のこの年の始まりは、早くも波乱の気配を滲ませていた。




 ────────




※ 次回より、UMAハンター千賀子編(なお、公的には無職)となります。



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