第89話: 未知との遭遇(なお、舞台裏)
『Moon-X』
それは、とある日突然存在が確認された、月面上の建造物あるいは建築物の総称である。
いつ、だれが、どうやって、どのような目的でそれが建てられたのか、その全てが謎に包まれている。
建築物の数は、不明である。
ただ、確認されただけでも、7か所あって、その造形は……大半が『日本』の宗教施設に酷似している、らしい。
あくまでも、現時点で分かっているのがそれだけで、おそらくもっとあるだろう……というのが、関係者の総意である。
あいまいである理由は、それらを調べる術を人類は持っていないからだ。
なにせ、今回こそアポロ11号の船員たちが初めて月に降り立ったわけだが、それも安全が確保された状態ではない。
そう、それが、今の人類の限界なのだ。
確かに、この時、この瞬間、人類は偉大な一歩を踏みしめている。
自分たちが住まう星の外へと向かい、生物が生存できない真空の星……月にすら降り立った。
それは、本当にすごいことである。
どれほどの予算を注ぎ込み、どれほどの労力を注ぎ込み、どれほどの人材を注ぎ込んだのか……人命をも注いで辿り着いた、それほどの偉業である。
しかし、そんな人類でも、月に何かを建てるなんてことはできない。旗を立てるぐらいならともかく、だ。
資材を持ってくることはおろか、重機も持って来られない。
たった1kg重量を増やすだけで費用とリスクが跳ね上がる世界で、1t2tの重機を新たに持ってくるのは現状不可能である。
また、月の地表に積もっている粒子は、地上で使用されている機械にとって毒である。普通に使えば、あっという間に故障してしまうだろう。
それに、そもそも大気が無いに等しい月面上で、なんの対策もせずに地上の燃料(ガソリン、軽油など)を使用することは出来ない。
酸素が無いから、燃焼しないのだ。
地上と同じように燃料を使おうとするならば、極低温にすることで液体化させた酸素を使う必要が……とにかく、新たに月専用の重機を開発する必要が……で、だ。
そんな3人の前に姿を見せているのは、日本の宗教的建築物……通称、『ジンジャ』である。
詳細は一切不明だが、3人は事前に日本のそれらをある程度は勉強している。
だから、そういう意味ではまったくの無知というわけではなく、見た目だけしか似ていないが、予習のおかげで取り乱してパニックになるようなことはなかった。
とりあえず……振り返って『トリイ』があるのを確認してから、やはりここが月にある『Moon-X』の一つ、『ジンジャ』であると3人は判断した。
「……信じられない」
そうして、だ。
人類の総力を結したとしても成し得ない建築物を前に、3人の宇宙飛行士のうち……マイケルは、傍の二人を見て絶句してから、唐突に己の顔を触った。
「どういうことだ……ここは月面なのだろう? どうして俺は、宇宙服もなく生存出来ているんだ?」
言われて、バズとニールは宇宙服の中でハッと気付く。
そう、船外活動をしていた2人は宇宙服を着ているが、船内にいたマイケルは、そうではない。
普通に考えたら、マイケルはもう死んでいるはずなのだ。
10秒足らずで意識を失い、その後に全身の臓器や筋肉が膨張し、死亡に合わせて全身の血液が沸騰して蒸発し、ミイラに成り果てる……はずなのだが。
『な、なんともないのか?』
「あ、ああ……息苦しさも何も感じない。地上にいる時とまったく変わらない」
『ありえねえ……どうなっているんだ? 局所的に空気が留まっているのか?』
「いや、だとしても、人間が活動出来るような状態で保たれているなんて……ありえないだろう」
マイケルだけでなく、バズとニールが心底困惑し、動揺してしまうのも無理はない。
なにせ、人が生きるために必要となる空気の成分は、非常に厳密である。
窒素が約78%、酸素が約21%、残りの1%はアルゴンや二酸化炭素や水蒸気だが、この数値が1%変わるだけでも人体に致命的な障害が生じてしまう。
これは、訓練などでどうにかなる話ではない。
人体の構造上、いや、どう足掻いても、どうにもならない部分……それを座学なり訓練で学んできたからこそ、3人は理解不能な現状に困惑するしかなかった。
『マイケル……暑かったり寒かったりはしないのか?』
「……それが、まったくだ。それどころか、ポカポカと……そう、暖炉の火で温められた室内にいるかのような心地良い感じだ」
『oh my God……温度すら一定に保たれているってのか? 屋根どころか太陽光を遮る壁すらない、建物の外なのにか……』
「信じ難い話だが、事実だ……ああ、それと、もう一つある」
チラリと、マイケルは傍の二人に視線を向け、溜め息をこぼした。
「どうして、お前たちの声が聞こえるんだ? いつから俺たちの宇宙服は会話がすり抜けるぐらいスリムになったんだ?」
『──っ!?』
「大気が地上と同じだから、声が届くのは分かるとして……分厚い宇宙服を貫通出来るほどに、俺たちの宇宙服は機密性が弱かったか?」
『……センサーには、なんの異常も見られない』
「異常が無い状態にさせられると思った方が良いかもしれないな。いちおう、地上へは通信を続けてくれ」
『それは……いや、しかし……大丈夫なのか?』
「なにがだ?」
『その……』
そう、言いよどむニール……その声には力が無かった。
宇宙服はその構造上、熱や引っ張りに強い繊維、断熱材であるアルミ、他にも10層以上の様々な素材を使用して、人体を保護している。
言うなれば、宇宙服は人型の宇宙船なのだ。
必然的に、内部の声も外部の音も出入り出来ない。本来ならば、マイケルと二人は、こんなにスムーズに会話できないはずなのだ。
基本的に会話は通信にて行い、硬いヘルメット部分を相手のヘルメットに接触させることで、会話は可能となっている……はずなのだが、どういうわけか──っと、その時であった。
しゃりん、と。
鈴の音が、鳴った。
こんがらがっていた心が、清涼な音で冷静さを取り戻す。
ハッと、我に返った3人がそちらへ目を向ければ……そこには、先ほどの少女が立っていた。
──どうぞ、こちらへ。
その言葉と共に、『ジンジャ』の……さすがに名称までは知らない3人の前で、建物の中へと通じる扉が、静かに開かれた。
内部は……3人のいる位置からは確認できない。ただ、淡い光が漏れ出ているのだけは確認できる。
……進むべきか、引くべきか。
一瞬ばかり迷った3人は互いの顔を見合わせ……3人は、力強く頷いて覚悟を固めると……静かに、それでいて力強く前へと踏み出し……少女に促されるがまま、光の向こうへと足を──。
……。
……。
…………とまあ、そんな流れで、だ。
「──さて、なんかそれっぽい意味深な流れで3人を連れてきたわけだけど」
十二単を着ているせいで身動きが取り難い千賀子は、布団に寝かされている3人……神通力にて無理やり眠らせている宇宙飛行士たちを見やり、唸った。
「……ここから、どうしたらいい?」
「どうしたらいいも何も、特に決めてないじゃないの」
「逆に聞きたいのだけど、本体の私はどうしたいわけ?」
「別に何かしたいわけじゃないから困っているんだよ……ていうか、なんでそんなにヤル気ないの?」
ヤル気のない2号と3号に思わず尋ねたら、2人は……それはもう気怠そうに溜息を吐くと、ジロリと千賀子を睨んだ。
「宇宙服って、脱がすのめちゃくちゃ大変なのね、本体の私。神通力っていう裏ワザがなかったら、壊していたわよ」
「冷却材のおかげで体温は正常に保たれているけど……年頃の私たちとしては、男臭くって嫌だよね、本当に」
「うっ……」
思わず、千賀子は反論を詰まらせた。
その点に関しては、千賀子自身が嫌だから分身にやらせたので、そこを突かれてしまうとあまり強くは言えなかった。
「そうね、3号。とにかく体臭がこもっているから、むせて咳き込んだくらいだものね」
「外国である程度は慣れているけど、ミッション中は身体を拭くだなんて出来ないだろうし……うん、二度としたくない」
「──と、とにかく、ここから先をどうするかを考えよう、そうしよう!」
なので、千賀子はわざとらしく話を逸らし……改めて、眠っている宇宙飛行士たちを見やる。
……いったいどうして、こんな流れになったのか。
それはひとえに、女神様が『なんか、上から目線……目線じゃない?』と、ちょっとオコになりかけたから。
なんと言えばいいのか、女神的な目から見たら、なんか無意識にアメリカ以外を下に見る=千賀子を下に見るというふうにカウントしたらしいのだ。
しかも、その対象は宇宙飛行士だけでなく、彼らの背後にいる者たちもまた大なり小なり心の奥底にそれがあるのを感知していたらしく。
それが、ほんのちょっとばかり……ムカッとしたらしい。
要は、『は? うちの子の方がカワイイが?』という感じの怒りだ。
おかげで、当初の予定であった『十二単で着飾った千賀子が待ち構え、なんか偉そうな事を言って帰らせる』という計画を急遽中断することになってしまった。
高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応した結果と言えば、そうなのだろうが……仕方がない。
どうしてかって、こうでもしないと女神様の手で『うちの愛し子に、もう!』といった感じの『女神様的ビンタ』をくらわせてしまうからだ。
……この、『女神様的ビンタ』というのは、単純にビンタをするだけではない。
くらった相手は、因果律が極限まで負の状態で固定される。
これがどういうことかと分かりやすく言えば、『とにかく運が極限まで悪い状態で固定される』のだ。
この悪い状態というのは、単純に死を招くのではない。
ありとあらゆる形で不運を体感しながらも、けして死による救済が与えられない。
生物的に限界の寿命を迎えるまで、苦しんで苦しんで苦しみぬく。場合によっては、より苦しむために、一時的に幸運をもたらしてでも。
どう足掻いても必ず報われず、何をしても悲惨な結果にしかならないのに、死ぬことはない……そういう状態にさせてしまうビンタなのだ。
……千賀子がいきなり流れを変更するのは当然である。
いくらなんでも、何も悪い事をしていない3人にそんなのは可哀想すぎる……そう判断した千賀子が動いた結果、こんな流れになった、というわけである。
「とりあえずは女神様が用意してくれて、こんな暑苦しいうえに重いのを我慢している私のためにも、最後に十二単を見せるとして……その間を、どうしましょう?」
とはいえ、考えたところで特に何かをしたいわけでもないので……率直に、千賀子はこの場の全員に聞いてみることにした。
「はい、マスター」
「はい、諸悪の根源その1のロボ子」
「とりあえず、2人の宇宙服に搭載されている通信装置をジャックしておりますが、なにか地上の皆様方にお伝えすることはありますか?」
「は? なんて?」
「いえ、現在この空間内では時間が静止しております。なので、ここで何時間経とうが外では1秒も経たないわけで……こちらで辻褄は合わせます」
「……??? よく分からんけど、それで?」
「マスター、地上の皆様に一言を。この地はマスターの領土、そう宣言しておくことは重要かと思います」
「えぇ……なんでまた……」
──愛し子への贈り物を横取りする悪い人間は、そこですか?
「わかった、やりましょう……あ、でも、英語じゃないと駄目?」
「こちらで翻訳しておきますので、気にせず話し易い言語で大丈夫です、マスター」
「そっか、そこらへんは任せるよ」
やるつもりはなかったが、めっちゃ聞き捨てならないことを女神様が呟いているのを耳にした千賀子は、ロボ子より差し出された装置へと顔を近付け……ふと、前世のことを思い出した。
(そういえば、前世の世界では、月って共有財産みたいな扱いになっていなかったっけ? あれ? 最初からそうだったっけ……そうなると、私の方が侵略者ってことにならないか?)
どうにも気になった千賀子は、2号と3号にテレパシーで聞いてみた。
(『知らない、好きにしたら? 難しく考え過ぎよ、本体の私は……』)
(『どうせ月に来たって何もできないわけだし、気にするだけ無駄と思うよ、私はね』)
だが、所詮は千賀子の分身である。
千賀子がまったく覚えていない事を、分身が覚えているわけもなく……とはいえ、そういうものかなと気が楽になった千賀子は……しばし考えた後で。
「ここは、私の住まう場所、私が眠る場所、静かな居場所」
固有名詞は避けて、変に喧嘩を売らない形を意識しつつ、あと、この音声が日本に結び付けられないよう言葉を選びながら……出来うる限り優しい声色で、囁いた。
「あなた達の健闘を称えます」
「月には、何もないの」
「本当よ、ここには何もない」
「だから、何もしないで」
「平穏で満たされたここに来るのは、まだ」
「眠っている私を起こさないで」
「彼らを責めないで」
「彼らは、彼らの、できる事をした」
「称えましょう、マイケルを、ニールを、バズを」
「さようなら」
その言葉を最後に、ロボ子に視線を向ける。察したロボ子が装置のスイッチを切れば……ふう、と千賀子が溜息をこぼした。
「……なに、今の意味不明で意味深な言葉は?」
直後、静観していた2号から率直に聞かれた千賀子は、うむと頷いて答えた。
「何か言おうと思ったけど、なんも思い浮かばなかったから、とにかく固有名詞とかは避けて、盛大に何も始まらない感じのお願いで攻めてみた」
「えぇ……」
呆れたような目で見られた千賀子は、仕方がないだろうと首を横に振った。
「変に長々と喋ってボロが出たら嫌じゃん? 自分で言うのもなんだけど、こういう時にしょーもないポカをやらかすのが私なんで……」
「もう既にポカをやらかしているような気がしてならないのだけど……」
そう言われた千賀子は、あえて聞こえないフリをしつつ……改めて居住まいを正すと、顔を隠して……3人を起こそうと──。
「……あれ?」
──したのだが、できなかった。
どうやら、当人たちの身体には相当なストレスが溜まっていたようで、神通力による気付けをしても起きる気配がなかった。
「どうしようか?」
「神通力で、彼らの頭に本体の私の映像を記憶させたら? 長時間は負担が大きいけど、短時間ならほとんど影響が出ないだろうし」
「でかした3号、その案でいこう」
早速、千賀子は神通力を使って彼らの頭に、顔を隠した己の今の姿を記憶させることにした。
予定通りにはいかなかったが、女神様の魔の手が広がらないようにするためだ、致し方ない。
……ウッ、美しい……ああ、神よ……
……おおっ、そんな……なんてことだ……
……そんな、こんな事が……ああ……
幸いにも、ちょっとばかりうなされはしたが、3人の頭にはしっかり記憶させることに成功し。
その点に関して、女神様的にも嬉しいらしく、神罰は下されない方向で終わらることに成功したのであった。
「なんか、お土産でも渡した方が良いかな? せっかく来たわけだし、なんか手ぶらで帰らせるのは申し訳ないというか……」
「ふむ、では、私の方からちょうど良いやつをチョイスして、この人たちが帰還する船に忍ばせておきましょう」
「頼むよ、ロボ子」
最後に、ちょっとばかり余計な事をしたけれども。
……。
……。
…………で、案の定。
『──バズ、今は何時だ? 俺たちは何を見たんだ?』
『可能性としては、俺たち全員が集団幻覚を見たというのが現実的だろうよ』
『本気でそう思っているのか、バズ?』
『逆に聞くが、それ以外に説明出来るのか、ニール・レッグストロング』
『それは……』
『俺たちの前に『Moon-X』はある。だが、あの少女はいないし、扉も開かれていない。そもそも、俺たちが見ていた幻覚の時間は、わずか10秒にも達していないんだぞ』
『だが……』
『言うな、ニール。仮にアレが事実だとしても、それをどう俺たちは上に説明したらいいんだ?』
『……全てを言うしかない。ありのままを、話すんだ』
『やめとけ、ニール……頭がおかしくなったと思われて、退職させられるのがオチだ』
『それは……でも、だとしても……』
『だとしても、だ』
『それじゃあ、この記憶の少女は何者なんだ? 知らないとは、言わさないぞ』
『…………』
『アレは……あの御方は、神だ。天に、神はいたのだ』
『ニール……』
『マイケル、君も聞いているんだろ? 君の意見を聞きたい──マイケル、どうぞ』
『──こちら、マイケル。俺の意見は、向こうから聞かれない限りは、こちらからは何も言わない方が良い、だ──どうぞ』
『……俺も、同意見だ。この話は、確実に荒れる。ただでさえ、アメリカはベトナムの件で分裂しかけていた……新たな火種を作るぐらいなら、黙した方が良い──マイケル、どうぞ』
『──こちら、マイケル。バズの言う通りだ、俺たちは、俺たちのミッションをこなそう。どう判断するかは、上の仕事だ──どうぞ』
『……そうだな、そうしよう』
『──こちら、マイケル。ところで、一つ聞いておきたい。目が覚めたら俺は元の場所、船内にいたわけだが……見覚えがない物体が俺の前にあるのだが、そちらはどうだ──どうぞ』
『……物体? それはなんだ──どうぞ』
『──こちら、マイケル。あー、その、なんだ……色鮮やかな金属で出来た枝葉とか……他にもいろいろある──どうぞ』
『なんだそれ? 心当たりあるか、ニール』
『俺に聞かれても、心当たりなんてあるわけがないだろう』
余計な事は、新たな火種を生み出そうとしていた。
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