第82話: ポチャ子、偉大なる一歩に気付かず……




 年が明けて、神社にて。



 正確には、正月の空気が少しずつ遠ざかっていた1月半ば。


 『秘密! あつ子とチャン』とかいう、戦国時代にて秘密裏に暗躍しあった、あつ子と呼ばれたクノイチと、チャンというあだ名で呼ばれた忍びとのラブロマンスアニメが放映されていた。


 始め、千賀子はその名を目にした時、思わず二度見した。そして、中身を見た時、しばしの間、どういう事なのかと話を理解出来なかった。


 なにせ、この『秘密! あつ子とチャン』は。


 クノイチとか言いながら、魔法少女クノイチ族とかいう設定で、あらゆる武器に変化する魔法のコンパクトを手にし、『手熊苦麻耶昆てくまくまやこん』なる呪文を唱えて戦うあつ子と。


 鏡ノ妖勢かがみのようせいという名のニンジャ一族の1人であるチャンとの間にて繰り広げられる、愛憎入り混じる殴り合いという名の友情物語なのだ。


 これを見た時の千賀子の驚きというか、うっすら残っている前世の記憶との齟齬そごに、そりゃあもう脳がこんがらがった。


 そんなの、困惑して当たり前である。


 ……まあ、困惑するのは前世の記憶がある千賀子だけで、この世界の人達からしたら、何一つ困惑しないのだけど……で、だ。



「──本体の私ぃ! ようやっとベトナム戦争が終わったぞぉぉぉぉおお!!!!!」



 エネルギー補充以外の目的で戻ってきた3号が、だ。


 それはもう……感涙という言葉をこれでもかと形にしたかのような泣き顔で、千賀子に抱き着いてきたのであった。


 まあ、3号が泣いてしまうのも致し方ない。


 同期をすることで疑似体験(あるいは、疑似体感?)をしているとはいえ、本当に現地の空気、戦争の悲惨さを体感しているのは3号である。


 それは、千賀子の精神に負担が掛からないよう、『同期』には無意識の間にセーフティが掛けられている事が多いから……というのは、置いといて、だ。



「……えっと、3号? 戦争が終わったってニュース、こっちでは流れていないけど、それって本当なの?」

「本当、いやガチで本当。こっちにはちょっと遅れて流れてくるだろうけど、正式に終戦の運びとなった。反戦団体めたくそに喜んでましたよ、くたばれ!」

「情緒不安定で怖いよ」

「文句の一つも出るよ! 何度アイツらの脳天に拳を叩き込んでやりたいと思った事か! その度にめたくそな笑顔で天罰下そうとする女神様を押しとどめるのが、どれだけ大変なのか、本当にアイツらの顔面ぶん殴り──ばぶぅ」

「おお、ヨシヨシ、今だけはおっぱい吸うのを許す。今だけは心のおもむくままに吸うが良い」

「ママァ、ママァ……」

「本体の私、間違っても保母さんとか保育士に成るのは駄目だからね、確実にノイローゼお母さんを増やすから」

「人を悪魔かナニカのようにするのは止めてもらえるかな、2号?」



 びゃあびゃあ……いや、バブゥバブゥと涙を流しながらも安らいだ顔で喜ぶ3号をなんとか落ち着かせていると、様子を見に来た2号より忠告された。


 さすがに、千賀子もそこまで馬鹿ではない。


 昔ならいざ知らず、今の己がその手の職業に就く危険性は理解しているので、仮に頼まれたとしても、する気はない。



 ……で、話を戻す。



 しばし経ってからようやく落ち着いた3号より、改めて説明をされた。


 3号曰く『ベトナム戦争は終わった』とのことだが……語り出すと長くなるので省略するが、とりあえず、終戦に至った理由を簡潔にまとめると。


 現地にて謎の怪物が多数出現し、混乱を抑えきれないまま各勢力の首脳陣や重鎮が食い殺されるというとんでもない事件が起こっている最中……うん? 


 そう、各勢力。


 あまりにも荒唐無稽な話ゆえに信じていない者も多いが、どうやらアメリカとソ連にも、ちらほら怪物が出現したらしく、双方が相当に震え上がったらしい。


 それで、その隙を突いて各勢力の終戦派が結託して動き、南ベトナム政府を掌握し、そのまま終戦宣言をした……という流れである。


 そんなので戦争が終わるのかと千賀子は思ったが、3号曰く『今回は本当に例外中の例外』とのこと。


 本来、戦争というのは始める事よりも、終わらせる事の方が万倍も難しいとされている。


 理由は言うまでもなく、国民感情がそれを認めないからで、終戦には双方の合意が必要だから。


 攻められた側からすれば、倍返し以上の報復をするか、相応の賠償を貰わねば到底納得はしないし、それでも納得したくない場合が多い。


 対して、攻めた側からすれば、賠償などしたくないから『終戦してやっている』という体で、一方的に有利な形で終わらせようとする。


 そんなの、合意が取れるわけがない。


 はるか昔より戦争が泥沼化、長期に渡って幾度も繰り返される理由の一つがこれであり、終戦を迎えても再び戦端が開かれる理由もまた、同じである。



 ……で、だ。



 3号の語る『謎の怪物』というのだが、曰く、以前女神様がうっかり誕生させてしまったペナンガラン……と、その他諸々らしい。


 なんで、その他諸々なのかというのは、ペナンガラン以外に目撃して生きている者がいないから……じゃあ、なんでその他諸々だと分かるのかって? 


 それは、発見された死体の中には、明らかにペナンガラン以外の、何者かの手によるモノの痕跡が多々見つかり、あるいは、説明のつかない死に方をしている者が相当数いたからだ。


 実際、アメリカとソ連の色々な意味での重鎮の一部は、『その他諸々』の怪物にやられたらしく……とまあ、そんなわけで、だ。



「──シャア! 今日は飲むぞ! 誰が何と言おうが飲むぞ! てめえこらアタイは飲むぞこら!」



 口で説明したことで、改めて実感したのだろう。


 千賀子から離れた3号は、意気揚々と部屋を飛び出し、冷蔵庫がある彼方へと駆け出して行った。


 分身とはいえ未成年……そう思う者はいるだろうが、勘違いをしてはいけない。


 1969年頃の若者で、律儀に酒やらたばこやらを年齢まで吸わずに守っている者なんて、少数派である。


 なにせ、1969年(昭和44年)頃の男性喫煙率は約80%、女性は約15%。


 現代男性の約3倍、女性は2倍、それだけの人がパカパカ吸っていたぐらいで、当たり前だが、みんなが行儀良く法律に従っていたわけではない。


 これまた当然、酒も同じだ。いや、むしろ、酒の方が軽く見られていた。


 さすがに中学生ぐらいは若すぎるので『酒も煙草もまだ早いぞ』とたしなめられるけれども、学校を出た後は大人として扱う者が多かったので……で、だ。



「……2号?」

「……まあ、さすがに、今日ぐらいは良いでしょう」

「ヨシ、飲もう」

「でも、明日もキッチリ運動しないと駄目だから、程々に、よ。リバウンドが一番怖いのだから」

「分かっているよ」




 最近はお目付け役にも成っている2号より許しを得た千賀子は、一緒に、3号の後を追いかけるのであった。



 ……。


 ……。


 …………ちなみに、だ。



 もうすっかり前世の歴史などうろ覚え過ぎるせいで千賀子は気付いていなかったが、1969年にてベトナム戦争が終戦を迎えたのは、本当に凄い変化である。


 なんと言っても、終戦時期が早い。千賀子の前世では1975年まで続いた戦争が、6年も早く終わったのだ。


 加えて、変化はそこだけではない。


 ベトナム戦争において悪い意味で有名な『枯葉剤』の使用期間が、千賀子の前世よりもはるかに短いこと。


 しかも、これは3号も気付いていないことだったのだが、この世界では、さらに枯葉剤が使用された期間が短かった。


 理由は、ペナンガランその他の怪物たちの存在で……そもそもからして、どうして枯葉剤を撒いたのかと言うと、だ。


 ゲリラを含めた反抗勢力が身を隠すための森を丸裸にし、農作物などを枯らして戦闘継続させないため。


 実際、前世の世界では木々や農作物を枯らし、反抗勢力に対して多大な損害を与えた……のだが、それは怪物たちには関係なかった。


 いや、関係ないどころか、むしろ怪物たちにとっては良かった。


 幸か不幸か、そういった攻撃を行えば行うほどに、怪物たちの目撃例が増大した。しかも、場所はベトナムだけに限った話ではないという。



 ……まあ、そんなわけで、だ。



 前世の歴史ならば、約300万人近い人たちが『枯葉剤』の影響を受けて重い障害を残し、アメリカはその賠償を背負い、米中ソの睨み合いのパワーバランスが変動し……そして、もう一つ。


 千賀子は気付いていなかったが、ベトナム戦争が終わるというのは、日本にとってはけして良い事だけではない。


 と、いうのも、だ。


 現在の日本に吹いている『いざなぎ景気』を形作る要因の一つは、ベトナム戦争による輸出の利益。


 つまり、この時の日本は、アメリカに物資等を売ることによって多大な利益を得ており、少なからず、戦争によって日本は儲けていた状態であった。


 いわゆる、『ベトナム特需』と呼ばれるやつだ。


 なので、戦争が終結するということは、日本に入るお金が減るということ。


 まあ、『いざなぎ景気』がもたらす好景気の空気は強烈なので、いきなり景気の波が止まる事はないが……大なり小なり、ストップが掛かるのは避けられない事であった。



「ヨシ、オレンジで割ろう、そっちの方が好きだ」

「……私が言うのもなんだけど、勢いのあまり酒瓶をラッパ飲みするかと思った」

「何を言う、本体の私よ。本体の私がそこまで酒が強くないのだから、分身である私が強いわけがないだろう?」

「あ、そっか……」



 とはいえ、そんなのは千賀子にとっては関係ない。


 千賀子は、あくまでも『恐怖の大王』を抑えるため、その力を削ぐために動いているだけだ。


 ぶっちゃけてしまえば、死にたくないから動いているだけ。


 さらに言えば、家族や近しい友人が死んでほしくないから動いているだけで、その他大勢の人達はついででしかない。


 そう、千賀子は、己を聖人君子だとも善人だとも思っていないのだ。


 『ベトナム特需』の早い終わりによって、首をくくる人が出てくるかもしれないが……さすがに、千賀子もそこらへんの責任を背負うつもりはない。


 だって、それってつまりは『俺たちはもっと儲けたいから戦争を継続してくれ』と言っているようなものだし、どんな言い訳を並べたところで、自分たちのために死ねと言っているも同じだ。


 そんな者たちに向ける慈愛の心は、千賀子には無い。


 あえて思うならば、『欲の皮を突っ張らせたのが悪い』という程度の感覚でしかなく、ハイリスク・ハイリターンの結果でしかないだろう……という結論しかなかった。


 ……。


 ……。


 …………で、その日の夜。


 酒だ酒を持ってこいと意気揚々としていた3号だが。


 焼酎のオレンジ割り(オ8:焼2)と梅酒のソーダ割り(梅3:ソ7)を飲んだ辺りで呂律が回らなくなった。


 2号も同様で、こっちはビールをコップで2杯飲んだ辺りで目が座り始め、テレビに向かって愚痴を零すようになった。


 千賀子もまた似たようなもので、カルピス割りでものの見事に自分が何をしているのかが分からなくなり、3号をヨチヨチバブウしていた。



 ──そう、実は千賀子、酒が好きではあるけど、とても酒に弱いのである。



 体質的に弱いのか、『ガチャ』の副作用で弱くなっているのかは不明だが、実はビール一杯で頬が赤くなるぐらいに弱い。


 しかも、酔っている最中の記憶が綺麗に飛んでしまうタイプなうえに、酔っている最中は相当に派手な事をするらしい。


 酒を飲まないで見ていた2号や、何をやっているんだとちょっと呆れた目で見ていたロウシ曰く、『絶対に他所では酒を飲むな』、と厳命されるぐらい派手だったらしい。



 まあ、うん。



 起きたら素っ裸になっていたり、股を大きく広げた状態で仰向けになっていたり、なんか腹に似顔絵を描いていたり、テイトオーの足に抱き着いていたり。


 その時はもう、大変だったらしい。


 下手に動いたら怪我させちゃうと思ったテイトオーが、プルプル身体を震わせながら耐えていて。


 なんとか千賀子を引き剥がした直後、それはもう必死な顔で離れ……ジョーッと放尿したという話を千賀子が聞いた時、それはも謝りたおしたぐらいであった。


 幸いにも、千賀子は己が酒に弱く記憶も飛ぶことを自覚しており、安全が確保された場所以外では絶対に飲んでは駄目だと自制できるのが……話を戻そう。




 ──時は流れ、翌朝。




 ぐうぐうと寝息を立てていた千賀子は、むくりと身体を起こした。寝ぼけた眼を下に向ければ、下手くそな顔が腹に描かれていた。


 指で拭う……たぶん、お試しにと買った口紅だろう。


 相変わらずの謎照明によって明るい自室には、同じくグウグウと寝息を立てている2号(こいつも、素っ裸)と……ん? 



(……なんで3号、おしゃぶりしてガラガラの玩具を持っているんだろう? ていうか、アレっておむつの代わりか?)



 状況が分からず、千賀子は首を傾げる。


 とりあえず、見たままを語るのであれば、赤ちゃんの恰好をした妙齢の女性(素っ裸)が、虚無の顔で呆けているといった感じだが……う~む。



「……まあいいか。トイレに行こう」



 考えたところで思い出せるわけもないし、どうせ神社の中だ。他の誰かに見られることもないし、ロウシは冴陀等村にいる。


 ちなみに、テイトオーはまだ厩舎にて預かっている。


 引退レースを終えた後で、ゆっくりと回復させている段階らしい。


 輸送してもOKという判断が出たら、北斑さんを通じて繁殖のための牧場に行くにしろ、冴陀等村にて静養してからにするにしろ、どうするかを決めるとの事だ。


 なお、引退レースでは14着に終わったとのこと……とまあ、そんな話は置いといて、だ。



(なんか、外は真っ暗だな……夜空は綺麗だけど、深夜に起きてきてしまったのか……)



 寝ぼけた頭で廊下に出た千賀子だが、時刻を確認せずに出て来てしまったので、今が何時なのかが分からない。


 これだけだと、何時ぞやの世界消失の時を思い出すが、あの時とは違い、今は夜空に綺麗な星々が良く見える。


 一般的に、星空を見る最適な季節は冬だとされている。


 理由は、大気中に含まれる水蒸気が少なくなる、乾燥した季節だから。あとは、日照時間が短くなるので、その分だけ早く暗くなるから。


 それは千賀子の居る神社からでも例外ではなく、不思議な女神パワーで常に快適な気温が保たれていても同じ。


 やっぱり、夏よりも冬の方が綺麗だ。


 プラネタリウムでは作り出せない、圧倒的な天体の迫力。それはまるで夜空に宝石を散りばめたかのようで、見慣れている千賀子の足を止めるぐらいであった。



「……ん?」



 と、その時であった。



「……なにあれ、青い月? 青い星? あんなのあったっけ?」



 何気なく見付けた、青い星だ。


 他の星々に比べて、明らかに大きい。目の錯覚ではなく、二回り以上も大きく見える。


 最初は月かと思ったが、色が違う。まだ酒が残っているのかなと思って何度か瞬きしたが、変化しない。



 …………??? 



 気になった千賀子は、素っ裸のまま境内へと飛び降りる。そのままトテトテと鳥居の方まで向かい、改めて青い星へと──目を凝らす前に、千賀子は気付いた。


 それは、鳥居の中心、参道を遮るようにして置かれた看板……制札(せいさつ)である。


 千賀子の知る限り、制札はそんな邪魔な場所に置かれてはいない。参道から少しズレたところに設置されていた……はずだ。


 これは……もしや、女神様が置いたのだろうか? 


 嫌な予感を覚えた千賀子は、何か事が起こる前にと書かれている内容へと目を向けた。



『 愛し子の神社:月面分社 』



 そして、理解した。



「…………oh」



 既に、手遅れだということに。




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