第57話: うんのよさ(四桁連勤)「さすがのワイも限界やで、ほんまに……」
これはけっこう誤解されがちなのだが、教育というのは、1年、2年で芽が出るものではない。
資格取得などで1年2年勉強すれば難関資格も~、という話はチラホラ耳にするが、それは、そのスタートラインに至るまでに掛かっている膨大な教育の時間を忘れている。
まず、文字を覚えること。次に、文字から言葉を覚える。言葉の意味を覚え、その言葉の正しい使い方、その読み取り方を覚え、そこから文脈というモノを覚える。
これだけでも相当な時間を必要とするが、そこからさらに算数……すなわち、数字の基礎の基礎を学び、合わせて、他の様々な知識を学び……それからようやく、スタートラインに立てるわけだ。
つまり、合計100時間200時間も勉強すれば資格が取れる~という話には、そのスタートラインに立つまでに掛かっている教育の時間を抜いたうえでの話である。
もちろん、中には幼少の時点で難関とされる資格を取得する者はいる。だが、それは特異な例であり、持って生まれた性質の影響が大きい。
ほとんどの者は、一つずつ積み重ねて、階段を登るようゆっくり覚えていくしかないのだ。
機械のように原理も分からず、『こうやれば、こうなる』、『こうすれば、こうなる』という身体で覚えた知識だけでもやっていけないわけではないが、それには限界がある。
また、イレギュラーな事が起これば、途端ににっちもさっちも行かなくなりやすいのが、コレの特徴であり。
やはり、全ての根幹には教育がある。
特に現代社会はそれ無くしてまともに生きてはゆけず、昭和のこの頃であっても、既に教育の重要性は庶民の間でも強く認識されていた。
(……反抗心を抱かせないために、あえて情報をシャットアウトしていたんだろうけど)
そして、前世の知識がある千賀子はある意味、この世界の庶民たちよりも切実に現状を理解しているからこそ、村人たちの現状に頭を悩ませていた。
と、いうのも……まず、良い所をあげよう。
村人たちは先天的な疾患を持っているとはいえ、頭が悪いわけではない。最低限の読み書きぐらいは出来るし、さすがに物の数え方が分からないとかではない。
というか、むしろ、千賀子の命令であるという前提さえあれば、そこらの一般人よりもよほど勤勉に、かつ真面目に様々な事を覚えてくれるだろう。
……で、悪い所というか、問題になるところだが……これがまあ、厄介だ。
まず、一般常識が無い。
本当に、村の外なら田舎の人ですら知っている有名なモノをほとんど知らないし、そもそも、知っているモノだって、それがなんなのか分かっていない。
そして、厄介なのが、その事に誰も危機感を抱かず、必要だと思っていない者がけっこういるということ。
酷は話だが、村人たちの意識や思考、心の柔軟性というやつが、根本から遺伝子レベルで完全に固まってしまっている。
ぶっちゃけてしまえば、村人たちは例外なく、とんでもないレベルで頑固なのだ。
村人たちは、自分たちのルールを何一つ変えられない。
彼ら彼女らの世界は、『冴陀等村』なのだ。
それ以外は別世界であり、恐ろしい世界であり、理解出来ない世界であり……皮肉な話だが、本当に気を休める場所が、ここだけなのだ。
この思考を元に戻そうと思うならば、同じぐらいの時間を掛け、何世代にも渡って、少しずつ少しずつ治療を続けるしかない。
そして、これがまあ皮肉なことに、その頑固さが、勤勉さや真面目さの裏返しにもなっているのだが……で、話を戻して。
だから、どんな仕事であろうとも、村の中で完結するモノでないとダメなのだ。
……なにせ、村人たちの中でも優秀な人たち。
勤勉に学び、教えている側が「是非とも、うちに来ないか?」と誘っているのに、「村に残りますので、すみません」と笑顔でサラッと断る者しかいないのだ。
中には大工の人(かなり、イケメン)からプロポーズをされた女性も居たが、その人ですら「ごめんなさい、村から離れるつもりはありません」とサラッと……止めよう、これ以上考えるのは。
……とにかく、だ。
客が来るにせよ来ないにせよ、村の中でやれる仕事なんて限りがある。これからの時代は、特に。
今が江戸時代とかならばともかく、昭和のこの頃にはもうとっくに食糧の大量生産は行われている。
とあるお偉いさんが色々と農業用の機会を融通し、プロの人が教えてくれているおかげで、生産力が跳ね上がった影響である。
つまり、村人たちが勉強をしたり何なりすればするほど、暮らしが便利になればなるほど、人が余り始めるわけだ。
また、特産品も名所もあるわけでもない、こんな辺鄙な場所で外貨(国内だけど)を稼ぐだなんて、不可能もいいところだ。
いちおう、『サラスヴァティー』の能力と巫女パワーを応用して温泉を掘り起こしているので、全く何もないわけではないが……とにかく、知名度が無さ過ぎる。
……『ククノチ』で林業とかはやれないのかって?
それもいちおう、やれない事はないが……そうなると、今以上に千賀子が付きっきりにならないといけなくなる。さすがに、そこまで面倒を見るつもりはない。
かといって──国は頼れそうにない。
千賀子も能力でサラッとしか把握出来ていないが、どうやら、この『冴陀等村』……国家レベルでの、ある種のアンタッチャブルみたいな扱いになっているらしい。
それは長年の極悪非道が露見してしまうのを恐れているのもそうだが、どうも、それ以外ではないっぽい。
千賀子にも詳細は分からなかったが、なんでも、『冴陀等村の非道な行い』に多かれ少なかれ関与していた者が、失踪なり死亡なりが相次いでいるらしい。
どういうこっちゃ、といった感じだが、冗談でも何でもなく、本当に死者が出ており、既にその数は三桁にも達しているっぽいのだ。
おかげで、『冴陀等村』の事に触れることはおろか、関わることすらも滅茶苦茶嫌がる官僚が多く、議員連中も見て見ぬふりに徹しているのだとか。
もっと上の人達が口封じに動いているのか、それとも、本当に呪いだとか恨みだとかがあって……止めよう、考え出すと、妙な寒気がする。
とにかく、だ。
技術支援だとかインフラ整備だとかは無償でしてくれるが、そのかわり、十分だと判断したらもう国の手は引かれるとのことで、その後はこちらから要請しない限りは何もしない……とのこと。
まあ、それに関しては致し方ない。
女神様という経験からくる耐性があるおかげで千賀子は平気だが、客観的に見て、村人たちの態度というか、反応はちょっと不気味である。
熟練のプロたちの中でも、勘の良い者からは『教えがいはあるけど……』という感じな反応が多く、接する時間が長ければ長いほど、説明出来ない違和感を覚えるらしい。
たぶん、本能的に村人たちの異質さに気付けるかどうかなのだが……とにかく、教える側が気味悪がってしまう事が多いから、あまり長く続けられないとのことだ。
(まあ、何時までもおんぶに抱っこはしてくれないってことか……国からしたら、地方の支社のやらかしに、ずーっと本社が賠償し続けるようなものなんだろうか?)
千賀子としては、なんとも都合の良い理屈どすな~といった感じだが、敵対して合法的な嫌がらせをされたら嫌なので、ここで手打ちにするしかない。
とにかく、国の助けは、そう長く期待出来るものではない。
最近ではすっかり髪の量が寂しくなったお偉いさんを通じて色々と融通してもらっているが、それが終わればもう、村人たちは自力で生きて行かなければならなくなる。
けれども、村人たちは村から出られない。というか、出るという考えが思考の端にすら浮かばない。
無理やり外に出せば、どんな問題を引き起こすか……かといって、村人たちのワガママだからと捨て置くにはあまりに哀れというか、忍びないというか。
(……いや、まあ、ある意味、一番無難に生き残る手ではあるし、女神様のやり方にはイラッとするけど、村人たちの要望を叶えつつこの地で生きて行こうと思ったら、これしかないのは……うん、私も、そうするしかないと分かってはいるけどさ)
その結果、苦肉の策として。
(こんなやり方でもなお、ここで生きていくためにヤルのかと聞いたら、誰一人反対の意見が出なかったから……まあ、それでいいなら、後は村人たちが自由にやっていくでしょう)
前世の歴史において、1957年(昭和32年)に正式に閉鎖された『吉原』が……名前は継いでいないが、それと同じ用途の建物が出来ることになるのは、なんとも皮肉な──っと。
『──ハロー、本体の私。いま、いいかしら?』
(ん? 3号か?)
頭の中へ唐突に響いたその声に、千賀子はムクッと新品の畳から身体を起こした。
3号というのは、『SSR:鏡の中の私』によって作り出された、新たな千賀子の分身である。
見た目は2号と一緒。まあ、千賀子の分身なので見た目が違ったら分身とは言い難いが、とにかく、新たな千賀子の分身である。
ちなみに、最初は『V3』と千賀子は名付けようとしたらしいが、当のV3から真顔で『3号で』と要望が出たので、それ以降は3号である。
どうして3号を新たに作ったのかと言えば、単純に千賀子1人(あと、分身1体)では手が足りないからだ。
さすがの神通力も、一日を40時間に増やすとかは出来ない。
平日は学校に行って、放課後は散歩代わりのロウシのパン売り、不定期にロウシとテイトオーの触れ合いの見守り、まとわりつく女神様の相手をしたり。
冴陀等村案件、実家で頼まれごとが有ったり無かったり、二つある『神社』の確認や、構って構ってとじゃれつく女神様の相手をしたり。
他にも、東京の店の事や、道子から時々『双の葉牧場』へのお誘いが来たり、あるいは、それ関係からなのか、顔も名前も覚えのない人から相談を持ちかけられたり、あと、女神様の相手をしたり。
とてもではないが、現状では千賀子1人で回りきれるものではない。
いくら神通力とガチャによって体力が人並み以上にあるとはいえ、身体一つでこなそうとすれば、一ヶ月持たずに倒れるぐらいの過密スケジュールである。
文字通り、寝る時間を全部他に回しても足りないぐらいで……とまあ、そんな理由から3号が生まれたのだ。
(どったの? あんた確か、神社で果物を見繕ってから店に行くって言っていなかったっけ?)
話を戻して、千賀子は3号からの突然のテレパシーに首を傾げる。
ちなみに、現在は日曜日の10時。
神社でもなく、実家の自室でもなく、村人たちも畏れ多いと入って来ない冴陀等旅館のこの部屋は、千賀子にとっては秘密基地みたいな感覚である。
なにせ、パンパンと手を叩くと、すぐに村人の誰かが顔を覗かせ、飲み物だとかお菓子だとか色々用意してくれるのだ。
色々とやっているのだ、これぐらいしてもらっても罰は当たるまい。
気持ちはもう、お殿様である。賢君としてではなく、バカ殿的な感じだ。
なので、ボーっとしたり、だらけたり、ゆっくりと考え事したい時は、ここでゴロゴロするのが最近の千賀子のお気に入りであった。
『うむ、たまには違う物を作ろうと思って、色々と選んでいたところだ』
(ほ~ん、それで?)
『悩んでいるうちに、何時もより時間が掛かってね。さっき、ようやく決まったから店に向かったところなのだが』
(なのだが?)
ちなみに、何故か3号は千賀子よりちょっと口調(テレパシー含めて)が雑というか、男っぽい。
まあ、それはそれとして、チューっ、と。
カルピスと氷が生み出す心地良い音色、そこへ無慈悲に刺さったストローから広がる、幸福の味。
何時の時代も、世界が変わろうがカルピスは美味いと思いながら、全身からヤル気の無さを見せていた千賀子……なのだが。
『うむ、店に行ったら、店が燃やされた跡があった』
「──うぶふぅ!?」
とんでもない発言(テレパシーです)がなされたことで、思わず千賀子は咽てカルピスをブフッと噴いたのであった。
……いや、まあ、驚くなというのが無理な話である。
えほ、えほ、えほ、と。
あまりに想定外の話に、しばし咽て思考がまとまらなかった千賀子は、落ち着いてから、チュッと軽くカルピスを吸った後で、おもむろに3号へ尋ねた。
(え、マジ? お店、大丈夫なの?)
『マジだ。あと、店は大丈夫だ、店の裏側に、ちょこっと放火の跡があるだけで、火を点けたはいいが、すぐに思い止まって火を消した……といった跡だな、これは』
いや、ちょこっとでも大問題……という言葉を、千賀子は呑みこんだ。
(それ、よく上の階の人とか周りにバレなかったね)
『ある意味、全員の死角、心の盲点を突いたような形だからな、二度目は不可能だぞ』
(そっか……いちおう聞くけど、心当たりある?)
『あるぞ』
(そっか、やっぱ──え、あるの?)
『あるぞ』
駄目元で聞いてみれば、まさかの心当たりある発言。
これには本体の千賀子もビックリだ。
ちなみに、千賀子は分身との同期が怖くて出来ないので、本来なら瞬時の情報共有が出来なかったりする。
(それ、私の知っている人?)
『知っているぞ』
(誰なの?)
『テイトオーの前の馬主の、北斑平八(きたむら・ひらはち)さんだ』
(え、あの人が!?)
3号から語られた名前に、千賀子は思わず目を見開いた。
その人物とは、テイトオーの受け取りや書類記入の際に数回だけ顔を合わせ、挨拶を交わした程度の仲である。
見た目は、優しそうなお爺ちゃんといった感じだ。
そして、千賀子と顔を合わせた時は、とても複雑な顔をしていて、悲しそうな感情オーラを放っていた。
まあ、仕方がないとはいえ、愛馬のテイトオーを実質的に売却するのだから、悲しく思って当然だろう。
とても馬想いで、厳しくも優しそうな雰囲気で、とてもではないが、そのような事を仕出かすようには見えなかったし、思えなかったのだが。
(なんで、そう思ったの?)
『テイトオーがダービーを買った日の翌々日だったかな。その爺さん、店に来てな……ものすごく暗い顔で私を見ていたからな』
(報告してね!? そういう大事な事はさぁ!?)
堪らず、テレパシーにてそう怒鳴った千賀子は……次いで、前馬主の事を思い、なんともやるせない思いになった。
……放火は、許されない。
しかし、客観的に状況を見れば、不運にも大金が必要となり、泣く泣く手放した愛馬が、誉あるレースで勝った……という流れだ。
千賀子にとっては、あくまでも周りがレースに出したら良いというからレースに出しているだけで、無事に帰って来てくれるなら負けても良いとすら思っている。
それは、勝負の世界においては失礼を通り越して無礼なのだろう。それは千賀子自身、承知している。
だが、それでも、千賀子の本音はソレなのだ。
そして、北斑さんもまた、承知しているはずだ。
けれども、魔が差してしまった。誰にだって、それはある。
身勝手だと分かっていても、前の馬主から見れば、複雑極まりないのは想像するまでもないから。
(そういえば、今度テイトオーの勝利記念パーティーを開くから来て欲しいって道子から……あ~、たぶん、北斑さんも呼ばれているよなあ……)
もちろん、現代社会のようにカメラ映像とかがあるわけでもないので、あくまでも容疑者の段階でしかないけれども。
……出来ることなら、違っていてほしいなあ……そう、千賀子は思ったので──まあ、それはそれとして、だ。
『ちょっといい? 本体の私、トラブルが起きたから報告するわね』
(ん? その感じは2号だね? なにかあったの?)
なにやら、緊急といった様子でテレパシーが届いた千賀子は、一旦3号の話を保留して、2号の方に意識を傾け──。
『そんなに大した問題じゃないわ。ただ、パンの売り上げ、親子ダブルプレーで盗まれちゃったから、今日の売り上げと御釣り用のお金合わせて赤字だから』
(いや、大した問題だからね!? え? 盗まれたの?)
『盗まれたわ、売っている最中に、コロッと親子連れに騙されてしまって……街中だし、追いかけるわけにも行かず……幸いにもロウシは何もされていないから』
(ま、まあ、それなら……)
──これまた、とんでもない報告がなされた千賀子は、堪らず頭を抱えたのであった。
……。
……。
…………この時、というか、しばらくの間、千賀子は気付けなかった。
これまで己をギリギリのところで守っていた『うんのよさ』が、ついに連勤○○○○日目に達して、ギブアップ宣言をしていたことに。
「う~ん、悪い事は重なるものだなあ……」
ポツリと呟きながら、チューっとカルピスを吸っている千賀子は……気付いていなかった。
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