第54話: 女神様は愛し子が何よりも大事なのです(ガチ)

※今回1万文字越えです。

区切る場所がないので


ーーーーーーーーーーーーー



 その日の夜の秋山商店は、いつもとは明らかに異なる空気に満ちていた。


 別に、何かしらの問題が起こったわけではない。店の売り上げがどうとかの問題でもない。


 ただ、秋山家の娘である千賀子から、『今日はとても大事な話がある。どうか、最後まで話を聞いてほしい』とお願いされたからだ。



 千賀子が、いったいどんな話をするのだろうか。



 昔から、親の見ぬ間知らぬ間に色々と何かをやっているようで、かといって問題を……まあ、見た目が綺麗過ぎるがゆえにトラブルに巻き込まれる時はあるが、他人様に迷惑を掛けるような事はしなかった子だ。


 そんな娘が、わざわざ居住まいを正して、話があるから集まってくれと言ったのだ。


 そのまま話をせずに前置きをするということは、それだけ重大か、あるいは、ちゃんと話をしないとならない事なのだろう。


 それを、言われずとも察した秋山家の者たちは……テーブルを片付けた部屋の中で、静かに千賀子が来るのを待っていた。



 本来なら、千賀子が先に部屋で出迎えるのがスジである。



 しかし、『どうしても、心の準備がいる。あまり、身体に負担を掛けさせたくない』との事で、静かに待つ事となった。


 兄の和広も呼ぶべきところだが、タイミング悪く遠方の仕事に出ているとのことで、昨日の今日では戻れないとのこと。


 ならば、日を改めるべきではと聞いたが、『少しでも早い方が良い。それに、そこまでは千賀子の心が耐えられない』と、千賀子より言われたので、ひとまず、そのようになった。



 ……。



 ……。



 …………そうして、秋山家一同が、部屋の中で千賀子が来るのを待ってから……約、10分後。



「ごめんなさい、待たせてしましました」



 ふすまを開けて入って来た千賀子に、秋山家一同は改めて居住まいを正し、千賀子もまた、静かに座布団へと腰を下ろした。


 傍から見れば、千賀子1人に、両親と祖父母が並んで対面する形だ。中々に威圧感を覚える光景だろう。



「改めて、最後に確認します」

「これから私が話すことは全て真実であり、嘘は一つもありませんし、皆を騙すつもりもありません」

「私の気が触れてしまったと思うなら、これ以上の話を聞くだけ無駄だと思うのなら、何時でも席を立ってもらってかまいません」

「それだけの事ですし、それをする権利も自由もあります。そして、その結果、私を家から追い出す事になっても、私は皆を恨みません」

「今なら、まだ家族のままでいられます」

「でも、これから先の事を聞けば、家族でいられないかもしれない……それでも、私の話を聞いてくれますか?」



 けれども、千賀子は平然としている。そのまま、淡々と忠告を続ける。


 開き直るのとはまた違う、何とも表現し難い図太さ。そして、この場になってもまだ前置きをする。


 察していたことだが、これは本当にただ事ではないのだろう。


 秋山家の者たちは思い思いに目配せをした後で……おもむろに、父が話を切り出した。



「それで、千賀子。大事な話があるというので集まったが、いったいどんな話なんだい?」



 ……その問い掛けに、千賀子は目を瞑り……しばしの間、沈黙を続けた後。ゆっくりと、目を開けた。



「先に話しておきます。貴方達の前にいる千賀子は、貴方達の知る千賀子ではありません」

「え?」

「本体である私と同じ姿をした、分身です。つまり、貴方達の前にいるのは人間ではありません。本物の千賀子は、私の後ろ……ふすまの向こうに居ます」

「……え?」

「ちなみに、私の事は2号とでも呼んでください」



 ポカン、と。


 父だけでなく、この場に集まっている秋山家全員が、口をポカンと半開きにして呆気に取られた。



 ……一同がそんな反応をするのは当たり前である。



 現代とか昭和とか、関係ない。


 常識的に、ここまで前置きをしたうえで語られたのがオカルトともなれば、普通は怒り出すところである。



「……ふざけている、わけではないね?」



 でも、父は怒らなかった。


 母も、祖母も、祖父も、何かを考え込むかのように顔をしかめたが、口を挟むようなことはしなかった。


 それを見て、千賀子……いや、違う。


 2号と名乗る、千賀子にしか見えない何者かが、驚いた様子で目を瞬かせていた。


 まるで、想定していた反応と違い、意外に思っているかのように……ああ、そうだ。



「信じてくださるのですか?」

「少なくとも、一笑に付すつもりはないよ。千賀子が、普通の子でないのは……なんとなくだけど、幼い頃から何度も感じていたことだからね」

「……なるほど」

「それに、君はどこか千賀子とは違う。まあ、君が千賀子ではないと自分から言うまでは気付けなかったけど、改めて見ると……なんとなくだけど、違う気がする」



 ジッと、父は……そして、母は、2号を見つめる。



「雰囲気というのかな。何処が違うのかは説明出来ないけど」

「ええ、そうね。千賀子と瓜二つってぐらいに似ているけど……」



 両親の正直な言葉を聞いた2号は、さもありなんと頷いた。


 むしろ、違和感を覚えただけでも凄いと思った。


 実際、これまで2号に対して違和感を覚えた者は皆無であり、明美と道子ですら、しばし混乱していたぐらいだから。



「大したものですね、すごい事ですよ」

「そうかい……だから、気にせず出て来てもいいんだぞ、千賀子!」

「──申し訳ありません、まだ、もう少しだけ心の準備をさせてあげてください」



 わざと大声を出して娘を呼ぶが、その直後に娘と同じ顔をした女の子から止められ……それならば仕方がないと、父は姿勢を戻した。


 そうしてから、2号は……というより、奥に控えている千賀子は、何とも言えない気分になった。


 2号が、いや、千賀子が思っていたよりもずっと前から、家族は気付いていたのだ。



 ──秋山家の娘、千賀子は普通の子ではない、ということを。



 そう、千賀子だけは、家族があんまりにも普段通りな振る舞いだったから隠し通せていると思っていたが、そうではなかった事を、千賀子は今更になって知った。


 ……ちなみに、千賀子は中学生になってからか……と考えていたが、実際の片りんは、もっと前の幼い頃からいろんなところである。


 明確に現れるようになったのは小学5年か6年生ぐらいの頃で、中学生になってからはさらに表に出るようになっただけのこと。


 特に、見た目だ。


 そう、客観的に見れば、明らかに千賀子は美人過ぎたのだ。


 幼少の頃は、まだ血の繋がりを感じさせる面影があった。


 だが、毎日見慣れている己の顔で、変化は自分でも気付けないぐらいに少しずつ行われる。そして、成長期の中で顔が変わるのは良くあること。


 客観的に、千賀子は己が美人だと理解している。


 しかし、己がどれほどの美人なのかは理解しきれていない。


 どこまで行っても自分の顔でしかなく、人間関係が希薄であるがゆえに、幼少期に比べたら、もはや完全に別人と思ってしまうぐらいに顔が変わっていた。


 そして……それは千賀子だけでなく、その家族が、いや、家族の方がずっと強く認識していた。


 中学生になって、千賀子を目的に来店する客が増えた。なんなら、近くが姿を見せるまで執拗に居座る客も現れた。


 大した付き合いでもない人から『うちの息子が~……ところで~……』という具合に、探りを入れられる事も増えた。


 親の贔屓目を抜きに考えても、自分たちの娘とは思えないぐらいに綺麗で……でも、細かな仕草は、自分たちに似ていた。



 ……そうだ、たしかに、千賀子は娘なのだ。



 見た目こそ他とは違っていても、中身は昔から変わらない。


 何かを抱えているように思えたが、それでも、家族の事を想っていたのは、家族の誰もが分かっていた。


 長男である和広だって、それを分かっていたからこそ、表に出せないまま荒れてしまったのだから。


 だから、それでも自分たちの娘であり孫であると……言わずとも、誰もがそう思っていた。



「──単刀直入に言いましょう。千賀子は、神に愛された愛し子です」



 だからこそ……荒唐無稽としか言いようがない、その話に……誰もが、嘘を言っているようには思えなかった。


 もちろん、ショックな部分はある。改めて、普通の子ではないと断定されたも同じだから。



「……その、愛し子と言うのは?」

「そのままの意味です。神に愛された娘であり、神の寵愛を一身に受ける者を差します」

「千賀子が、そうだと?」

「はい」



 千賀子と同じ顔をした、2号のその言葉に……父は小さく唸った。他の皆も、難しい顔をした。



 ……冷静に、あるいは常識的に考えたら、本当の荒唐無稽としか言いようがない。



 だが、それを否定出来ないだけの原因は、既にある。


 ナニカあると思っていたので、その正体の一端を知ったところで……それ以上にはならなかった。



「……前置きは分かった」



 そんな重苦しい空気の中で、ふと……祖父が、ジロリと2号を見つめた。



「結局、俺らは何のために集められたのかを知らねえんだが、それも千賀子の準備が終わるまで教えられねえのかい?」



 その質問に、2号は……今度は逆に、難しい顔をした。



「……教える事は出来ます。ですが、それこそが、この場の本題でして」

「言えねえ、と?」

「いえ、そういうわけでは……ああ、ちょっとお待ちを」



 そこで唐突に会話を打ち切った2号は、目を瞑り……ナニカを呟きながら、2,3度頷くと……ゆっくりと、目を開けた。



「先に話して心の準備をさせた方が良いと言われましたので、お伝えします」

「……千賀子からか?」

「はい、そうです」



 声など、聞こえなかった。だが、察せられた。



「では、此度の席を設けるに至る、本題を伝えましょう」



 そうして、居住まいを改めて正した2号は……この場にいる全員の緊張が少しばかり治まったのを確認してから……ポツリと、それでいてハッキリと告げた。



「千賀子は現在──人の子ではない赤子を妊娠しております」



 その瞬間──誰しもが、ガチリと場の空気が凍りついたような錯覚を覚えた。



 ……。


 ……。


 …………誰もが、何も言えなかった。


 ただ、秒針のチッチッという規則的な音だけが、静まり返った室内に響いていた。


 ……。


 ……。


 …………そんな中で、最初に沈黙を破ったのは……千賀子の母であった。



「千賀子は、分かったうえで産むつもりなのですか?」



 その言葉に、硬く強張ったその声に、ハッと家族の誰しもが目を見開き──次いで、2号を見やった。



「はい、そのようです」



 対して、2号は平然としていた。それが、眼前の、娘と同じ顔をした少女の異常性を端的に物語っていて……思わず、母はビクッと身を引き掛けた。



「相手は、誰ですか?」



 けれども、問う。何故なら、娘の一大事だから。



「存在しません。正真正銘の処女懐胎、人とは異なります」

「──どうして、千賀子は産むと決めたの?」



 ジッと、母は2号と、その後ろのふすまの奥に居る千賀子へと視線を向けた。



「嫌でしょう? 誰のか分からないのを身籠って、それが人ではないだと分かったのに……どうして、産もうとするの?」

「ひとえに、貴方達のためだと話していましたね」

「……私たちのため?」



 意味が分からず首を傾げる母。それは家族たちも同様で、一様に困惑した様子で……それを尻目に、2号は変わらず淡々と答えた。



「千賀子は、昔から考えていました。自分が、同性にも異性にもそういった興味を抱かないことに……間違いなく、生涯独身のままで生きると思っていました」

「それが、どうして?」

「だから、両親にも、祖父母にも、子供を見せられないことを悩んでおりました。それをとても申し訳なく思っており、今回のコレは千賀子にとっては渡りに船──」

「待って、え、待って……なんで、そうなるの?」



 2号の言葉を遮って、母は……かつてないぐらいに困惑し、なんとか2号の話を整理しようと唇を噛み締めた。



「どうして、そこで産むことを選ぶの? 私は、ううん、私たちは別に、千賀子の子供を見たいって言った事はないし、お見合いだって組んだこともないのに……」

「千賀子曰く、親孝行がしたい、とのことです」

「え?」

「子供を見せてあげたいそうです。行為に嫌悪感を抱く以上、行為を行わずに身籠れたから、千賀子としては、そちらの方が──」



 それ以上──2号は何も言えなかった。



「──千賀子、出て来なさい」



 何故なら、淡々としていた2号の肩が思わずビクつくぐらいの、あまりにも冷え切った声で、母が千賀子を呼んだからだ。


 けして、大きくはない。けれども、とてつもない、圧がある。


 思わず、真正面の2号だけではない。父と祖父までもが居住まいを正して背筋を伸ばしたぐらいで……祖母だけは、何かを考え込むかのように何度も頷いていた。



「出てこないのであれば、貴女を今日限りで勘当します。親子の縁を切り、2度と我が家の敷地に入る事を許しません。私が、許しません」



 ……。



 ……。



 …………沈黙は、5秒と続かなかった。



 スーッ、と。


 静かにふすまを開けて入った来たのは、この場においての主役である千賀子で。



「…………」



 誰もが、ワンピースを内側から押しあげている腹の膨らみを見て、改めて現実を理解し……一瞬ばかり、言葉を失くした。


 そう、特に、母と祖母は一目で理解してしまった。


 アレはもう、中絶出来る段階を過ぎてしまっていることに。


 医学的知識は無いが、それでも、代々あるいは親戚やらコミュニティやらを通じて様々な形で受け継がれてきたこと。


 女が知っておかなければならない知識によって、既に産む以外の選択肢が無いことを……二人の女は察してしまった。



「……千賀子」



 けれども、本題はそこではない。近しいが、そこではない。


 声と視線で促された千賀子は、少しばかり気まずそうにしながらも、どこか誇らしげな様子で、2号が用意した座布団に正座した。



「……どうして、笑っているの?」

「え?」

「分かっているの? お腹の中に誰の者とも知れない赤子が居るのよ? どうして、そんなふうに笑えるの?」



 直後、母は千賀子にそう言った……のを、千賀子は意味が理解出来ずに首を傾げた。


 だって、千賀子にとっては、見せられないと思っていた子供を見せる事が出来るという、お知らせの意味合いが強かった。


 驚かれるだろうと思っていた。


 なんなら、怒られるかもと覚悟もしていた。


 でも、それが終われば、喜んでもらえると思っていた。だって、前は見せられなかったから。


 だが、実際はどうだろうか。


 母は怒っている。それは、分かる。『巫女』としての感覚ではない、娘として、母が己に対して起こっているのは察せられた。


 けれども、それだけではない。


 どういうわけか、母は悲しんでいる。それも、その矛先は己だけでなく、母自身にも向けられている。


 いや、よくよく見やれば、母だけではない。


 父からも、祖父からも、祖母からも、何とも言えない悲しみの感情が見え隠れしている。



(……なんで?)



 あまりにも想像していたモノとは違う状況に、千賀子は困惑するしかなかった。



「……だって、孫を見せてあげられるし」



 だから……千賀子は、率直に尋ねた。



「私は、その、そういう行為をするのもされるのも本当に嫌で……子供だからどうかじゃなくて、生まれ持って駄目なの」

「結婚する事になって、我慢して行為は出来ても……たぶん、私はその子供の事を愛せないと思う」

「我慢して産んだ子でも、その、行為をした相手の顔とか、行為そのものがチラついて……たぶん、嫌々に育てると思う」

「でも、コレなら」

「コレなら、そういうのが頭に浮かばない」

「相手が居ないから、ちゃんと子供の事を愛してやれるかなって……それで──いっ!?」



 千賀子の口上は、それ以上続かなかった──いや、続けられなかった。



「……なんで?」



 何故なら、母が千賀子の頬を叩いたからだ。


 それも、軽くではない。思いっきり振り被った平手打ちは、千賀子の頬に赤い痕を残し……意味が分からない状況に、千賀子は呆然とするしかなかった。



「──ふざけるんじゃない!」

「え……」

「命を何だと思っているの! 私は、貴女をそんなふうに育てた覚えはない!」



 だが、母は千賀子を呆然とさせたままにはしなかった。


 ふう~、っと。


 大きく、ゆっくりと、静かに深呼吸をした母は……千賀子の肩に手を置いた。



「……いい、千賀子。よく聞きなさい。そして、分かりなさい。貴女は、とても間違った事をしようとしているの」

「え?」

「そりゃあ、孫は見たい気持ちはあるわ。そこは、私たちだって否定はしません」

「それじゃあ──」

「でも、それはちゃんとした相手と……千賀子が、この人と決めた相手と出来た子供ならの話よ」

「え、でも、それじゃあ……」

「何処の馬の骨とも知れない男に股を開けと言う親がいますか。あんたは、私たちがそのようにしろと望んでいるとでも思っていたの?」

「そ、それは……」

「それで、私たちが喜ぶとあんたは本気で思っているの? そんな形で生まれた子供を、私たちが可愛がると思っていたの?」

「…………」



 言われて、千賀子は……どうしていいか、分からなかった。


 確かに、千賀子の知る両親や家族は、口が裂けてもそのような事を言う人ではない。それは、断言が出来る。


 だからこそ、そんな家族だからこそ、千賀子は見せたいと思った。


 既に一回は死んでいる身だし、それぐらいの親孝行はしておきたいと思った。優しい家族のために、祖父母が生きている間に、子供を見せておきたいと思っていた……それなのに。



「貴女が望まないなら、それでいいの。それが、普通の事なの。だって、貴女の人生は、どこまでも貴女の人生でしょう?」

「え?」

「貴女は誰かのために生きているわけじゃない。自分のために生きているんでしょ? 貴女の人生を犠牲にしてまで何かをされたって、私たちはこれっぽっちも嬉しくないの」

「────っ」



 そう、真正面から言われた千賀子は……その瞬間、ポカンと口を開けたまま呆けるしか出来なかった。


 ……。


 ……。


 …………自分の、人生? 



 その言葉に、千賀子の思考は少しばかり停止した。



 ……。


 ……。


 …………私の、人生? 



 ようやく動き出した思考の中で、千賀子は……それ以上の事を考えられなかった。


 何故ならば、これまでの千賀子の人生を振り返って見やれば、ほとんどが受け身であり、基本的には誰かのために動いていたからだ。


 そう、千賀子はこれまで様々な体験をしてきた。


 だが、思い返してみれば、自分がナニカをしたい、あるいはナニカを手に入れたいから動きたいという起点は、だいたいが他人のためであった。


 力が暴走して意図せぬ形になった事はあっても……そうだ、思い返せば、だ。


 幼少の時に魚釣りをしていたのは、家族にもっと食べてほしいため。自分も食べたかったけど、必ず自分だけが得をするようにはしなかった。


 小学生の時にはガチャを回すために色々とお手伝いなどをしたが、だからといって、それ抜きでも手伝いはしたし、ただガチャを回すだけでコレといった目的は無かった。


 言うなれば、ゲームのステータスを上げるような感覚でしかなく、上げた先の事は特に考えていなかった。


 中学生の時は、新たに得られた能力の悪影響を考え、隠す事を選んだ。自分の事だけではなく、周りに迷惑は掛けられないと思って動いていた。


 その気になれば大金でも権力でも得られたのに、「それは、どうなんだろうか?」と千賀子は判断し、あくまでも己を護るために終始していた。


 神社を女神様より与えられた時だって、そうだ。


 やろうと思えば、神社の機能を使えば、『巫女』の力を使えば、周りを一切考えなければ、千賀子はだいたいの者には成れた。


 でも、千賀子は成ろうとは考えていなかった。


 今だって、お金を稼ぐのは何かが欲しいわけじゃない。


 ただ、いずれ来る災厄を前に、有って困る事は無いと思って稼いでいるだけで、それだってなりふり構わず必死にやっているわけでもない。


 そして……今だって、同じだ。


 赤子が欲しいと思ったのは、家族に孫を見せてあげたいから。


 別に千賀子自身が子を欲したわけではなく、どうせ生まれるのであればという感覚の延長線でしか──ああ、そうか、そうだったのか。



(そうだ、私は──)



 今更ながらに、千賀子は気付いた。いや、思い出した。


 己は今まで千賀子として生きてきたと思っていたが、それは半分だけ。半分、違っていた。


 己は──千賀子として生きながらも、同時に、前世からの続いている人生の延長線上として、この世界もそうなのだと認識し、生きていたのだ。


 当たり前と言えば、当たり前だ。今さらと言えば、今さらだ。


 何を言っているのかと、傍から見れば思われるだろう。


 だが、違うのだ。


 ここは、前世の千賀子が知る世界ではない。


 かつての千賀子が生きた世界の過去ではなく、千賀子が知る歴史を辿るわけでもないし、命が生まれるわけでもない。


 限りなく似ているけれども、違う。


 同じ文字が、同じ言葉が、同じ出来事が起こって、漢字が違うだけだとしても、ここはかつての千賀子が生きた世界ではない。


 それは千賀子にとって、目から鱗と表現するぐらいに衝撃的な事で。


 そんな当たり前のことを、何時の頃からかすっかり忘れていた……そうだ、忘れていたのだ。


 この世界の一員でしかない千賀子が、神様でもない己が、何を偉そうに上から目線で考えていたのか……本当に今更になって、ようやく認識出来た。



(……そりゃあ、そうだよね。皆からしたら、そりゃあ怒って当たり前だよね)



 スーッと、頭の奥より広がっていた熱気が冷めていくのを感じ取る。浮ついていた心が、ゆっくりと落ち着いてゆくのが分かる。



「お母さん、ありがとう」

「え?」

「もう、大丈夫だから……ちょっとだけ、考え事をさせて」

「……わかった」



 ゆっくりと、押さえていた肩から手を放して、元の位置に戻ったのを見やった千賀子は……静かに、お腹に手を当てる。


 と、同時に、千賀子は……己がこの騒動の際に発していた様々な言動や対応に思考を向け……あ~、と内心にて頭を抱えた。



 ──理由は言うまでもなく、腹の中の子である。



 嫌悪感というものは、幸いなことに感じない。『母性』の恩恵なのか、『地母神』の影響なのかはさておき、取り乱すといった事はない。


 ただ、『巫女』の能力によって、感じ取れてしまう。冷静になった今だからこそ、ハッキリと感じ取れた。



(女の子だ、この子……)



 自らの腹の中に居る、子の姿を。


 姿形は、完全に人だ。腕が4本あるとか、目玉が3つあるとか、そういう異形な部分は全く見つからない。


 何か月目の大きさなのかは分からないが、既にちゃんと赤子の形だ。なんとなく、顔立ちは今の自分に似ている気がする。


 というか……間違いなく、似せているのだろう。


 僅かばかり生えている産毛のような髪の色は……金色だろうか。


 目の色は、青い。閉じている瞼の奥を感じ取っているだけなので違うかもしれないが、感じ取れる限り、青色だ。


 そして……鼓動を、意思を、感じ取る。


 生きようとしている。精一杯、生きようとしている。


 言葉を知らなくとも、人ではなくとも、千賀子の腹の中で、頑張って生きようとしている。


 これを、寄生虫として認識するか、授かり物と認識するか……まあ、ほとんどの人は寄生虫として認識するのだろうけど。



(……せめて、人の形じゃなかったら)



 なまじ、人と同じ姿をしていて、生きようとしている意思を感じ取れる分だけ、千賀子の心に重く圧し掛かる。



 ……中絶は、今の段階ならば自力で行える。



 相当に負担が掛かるけれども、神通力の能力をフル活用すれば、なんとか行える。やれるという確信が、千賀子の中にはある。


 しかし、それをすれば、確実にこの子は死ぬ。


 この子は今、なんの不安も抱いていない。不安という感情を理解出来なくとも、この子はいま、安らぎの中に居る。


 全幅の愛情と信頼が、伝わってくる。


 この子は、望まれてはない。


 だけども、この子に罪は無い。


 いや、そもそも、罪かどうかは人の基準であり、神の基準からすれば、罪とカウントする事ですらないのかもしれない。



(…………)



 悩む必要などない。望んで得た子ではないし、中絶するのが正しい。それが、当然の選択だろう。



(……う~ん、分かってはいるんだよ、分かっては……ちゃんと、分かっているんだけど)



 でも、千賀子は……時間制限があると分かっていても、どうしても、千賀子は選べなかった。






 ──そうして、結局その場では結論を下せなかった。



「少しばかり、1人にさせてほしい」

「……大丈夫なのね?」

「大丈夫、早まったりはしない。ただ、ゆっくりと考えたいから」

「……そう、千賀子がそう決めたのなら、ゆっくり考えなさい」



 そうして家族に断った千賀子は、悪いとは思いつつも……2号を伴って、再び神社へと戻った。



 ……なんで、『神社』を選んだのか。



 おそらくそれは、千賀子にとってあの家は、心の聖域であるからだ。


 あの場所だけは、どんな形であれ巻き込みたくない。


 そんな思いがあるからこそ、千賀子は家族からの視線や思いを振り切って、神社へと戻ってきたわけなのだが。



「──ロウシ」


 ──ブフフン。



 境内に戻ってすぐ、まるで来るのが分かっていたかのように待ち構えていたロウシに挨拶をされた。


 ……そういえば、お腹が大きくなってから初めてまともにロウシに挨拶をされた気がする。


 ロウシの視線が、ジッと膨らんだ腹に向けられているのを察した千賀子は……まあ、それもそうなるなと1人納得する。


 今だからこそ頭が冷えたが、それまではまともに会話が通じなかっただろう……何を言っても無駄だと分かっていたから、ロウシは何もしなかった。


 そして、今も……どうするのかと視線で訴えてくるが、ロウシの視線や感情からは、それ以上の事は何も感じ取れない。



(……かなり怒ってくれているけど、私が何も言わないから黙っていてくれているのかな?)



 複雑ながらも、己が迷いを見せているからロウシもそれに倣っている……気を使わせていることに申しわけなさを覚えつつ、千賀子は本殿へと続く階段にて腰を下ろすと。



「女神様、お話があります」



 初めて……そう、もしかしたら、初めて自分から話をするために、女神様を呼んだ。



 ……。


 ……。


 …………千賀子には、変化を感じ取れなかった。



 だが、人間よりもはるかに鋭いロウシは、気付いた。


 ブフフン、と鼻息を荒く吹くと、わざとらしくパッカパッカと地面を蹴り……次いで、千賀子へと視線を向けた。



『ああ、愛し子……今宵は私を呼びましたね? とても嬉しい、貴女から呼んでくれる日が、今日は良い日です』



 瞬間──スルリと、いや、気付けば、己が大きなナニカより抱き締められ、己の身体が肉の中へ沈んでいることに気付いた。


 それは、とても甘い香りがした。


 見なくても、己が女神様の身体にスッポリと包み込められているのが分かった。己の頭よりも大きな膨らみが、スッポリと己小顔を挟んでいる。


 見上げれば……そこには、手で覆われた顔がある。


 言葉通り、手で覆われた顔だ。いくつもの手で隙間なく顔を隠したような、そんな顔が見下ろしている。


 その奥より向けられる視線を受け止めた千賀子は……静かに、身体の力を抜いてもたれ掛った。


 それは、千賀子が知る何よりも柔らかく、大きくて、暖かで、肌触りも良くて、この世のモノとは思えない、極上の安心感と安らぎを覚えた。


 いくつもの腕が、滑らかで白く美しい腕が、千賀子の背後より伸びて、まるで千賀子を労わるように、優しく撫でさすってゆく。


 その手付きは、本当に優しい。


 2つと無い宝物を愛でるよりもなお優しく、これ以上ないぐらいの愛情が込められているのが……これでもかと、分かった。



『とっても元気ですね、ああ、元気。貴女の御子が、元気に育っているのを感じます、これは祝福をしないといけませんね』



 その言葉と共に、一斉に──夜だというのに、神社の周囲より──動物たちの、祝福の鳴き声が響いた。



 ……。


 ……。


 …………これは、好意であり善意なのだ。



 人間から見ればどれだけ一方的であろうとも、女神様からすれば愛情であり祝福であり、そこに悪気は全く無い。


 本当に、幸せにしているつもりなのだ、一切の迷い無く。


 女神様の望みである点を除いても、千賀子が子を孕んだ(孕ませた?)ことだって、女神様からすれば純粋な好意と善意に過ぎない。


 何故なら、生き物の目的は繁殖である。


 繁殖して種を繋ぐ、それが生物の絶対なる大原則であり、種としての宿命であり、それを成せないモノは絶対に滅び去る。


 ゆえに、女神様からすれば、それは間違いなく優しさであり、愛情でしかないのだ。


 たとえ、女神様自身が千賀子の子を見たいという欲求があるにしても……当の千賀子が、それを望んでいないにしても──いや、違う。


 あまりにも『格』が違い過ぎて、女神様は理解出来ないのだ。


 千賀子の反応、全てが女神様にとっては可愛らしく見えてしまい、何をしようが何を言おうが、女神様にとっては可愛い千賀子が元気でいる……というふうにしか認識出来なかった。



『……? 泣いている、のですか?』

「……すみません、女神様。少しだけ、涙が止まるまで待ってください」

『悲しいのですか? 苦しいのですか? ああ、どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう……』



 けれども、今日、この時、初めて女神様は気付いた。


 愛し子が、悲しんでいる事に。涙を流していることに、女神様は気付き──とても、慌てた。


 女神様は、千賀子が悲しんでいるのは分かる。悲しいから、悲しんでいる。だが、どうして悲しんでいるのかが分からない。


 女神様は、千賀子が泣いているのは分かる。泣いているから、泣いている。だが、どうして泣いているのかが分からない。


 けれども、女神様は考えた。


 愛し子を悲しませ、涙を流す原因は、なにか。


 いったい、何が愛し子を苦しませているのか……それを考えた女神様の視線が、愛し子の腹部へと向けられた。



『……大丈夫、安心して。これで貴女の悲しみと苦しみは消えます』

「──ま、待ってください! 女神様、まっ──」



 異変に、そう、女神様の意志を感じ取った千賀子は──だが、遅かった。



「あっ──」



 その声が千賀子の唇から零れた時にはもう、千賀子の膨らんだお腹は凹んでいた。



 ……そう、凹んでいたのだ。



 初めから何も無かったかのように、先日のくびれた腰が、そこには戻っていた。


 消えた。命が、千賀子の中から消えた。


 千賀子の中で生きようとしていた命が、たった今まで、そこにあった命が……完全に、消滅した。



「      」



 その瞬間、千賀子は己が何を口走ったのか、千賀子自身にも分からなかった。なんとなく、言葉になっていないのは分かった。



『これで悲しみも苦しみも無くなりましたね。今度は、もっと貴女を悲しませず苦しませない子供にしましょうね』



 そして、そんな己に対して、欠片も気にしていない女神様から掛けられた言葉を聞いた──その、瞬間。



「    、うぁあああああ!!!!!」



 ブチリ、と。


 己の中でナニカがキレた音を聞いた千賀子は。



「ふざ、ふざけるなあぁああああ!!!!」



 気付いた時にはもう、女神様の抱擁から飛び出し──その顔に、拳を叩き込んでいたのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る