第24話: 限界ヲタク(女神様)は空気を読めない



 ──結論から言おう。千賀子の女学校入りは、お流れとなった。



 なんでも、千賀子が学校から帰ってくる前に、以前より目を付けていた女学校の者が尋ねてきて、『入学することは難しい』……と、話して行ったのだという。


 現代の感覚ではにわかに信じ難い話である。


 話を聞いた千賀子自身も、『わざわざ向こうから!?』と驚いたぐらいで、それは両親とて似たような……いや、ちょっと違う。


 両親の態度は、『わざわざご足労いただいて……』という感じで、千賀子の驚きとは少しばかり勝手が違うようだった……っと、話を戻そう。



 とにかく、千賀子の女学校入学は駄目になった。



 これを聞いた和広は、「俺のせいだ……」という呟きと共に、それはもう酷い落ち込みを見せたが……両親から語られる詳細を聞く限り、必ずしもそれだけが理由ではない事が伺えた。



 まず、和広の警察沙汰……これ自体は確かに問題ではあるらしい。


 ただ、当人は何の落ち度もないし、成績優秀であるし、教師たちの評価も高いとあって、受験を受け入れるかどうか……それが半々に分かれている程度に済んでいるらしい。



 ならば、なにが……それは二つ有り、一つは家柄だ。



 千賀子の両親が入学先として候補に挙げていたのは、昭和初期(その前身を含めれば、大正からだとか)からあるらしい、歴史ある女学校だ。


 この学校は出入り口(裏門も同様に)に守衛が常時駐在しており、敷地を囲うように高い外壁が設置され、その上にはなんと忍び返し(鋭い刃付き)まで取り付けてある。


 つまり、外部から不審人物が侵入するのはほぼ不可能。定期的に身回りも行われているので、下手に自宅に居るよりも安全である。



 ……そんな学校だから、来るのは資産家の娘が多い。


 いや、多いというか、ほぼほぼ資産家の娘である。



 将来は何処どこへ嫁ぐとか、誰それと婚約しているとか、あるいは、勉学よりも交流を通じてコネを構築する……そういうのを目的に来ている娘が居ること事態が珍しくはない。


 そんな場所に、繁盛しているとはいえ小さな商店の娘が入ればどうなるか……とのことらしい。


 いちおう言っておくが、教師たちはそういう差別はしないと断言された。


 なんでも、創設者の理念が『品性とは、努力して得る物である』というモノらしく、生まれだけで選別してはならない……との考えに共感した者しか、教壇に立てないのだとか。



 ……けれども、残念なことに……通う女子たちは違うらしい。



 注意深く目を光らせてはいるが、女同士のいさかいがあるらしく、また、家柄という暗黙のヒエラルキーによる差別などが横行しているのだとか。


 それに、公立とは違って寄付金などを行ってくれる家の意向には、人情的な意味で中々逆らい難い。


 また、一部の女子たちが結託して口裏を合わせるらしく、露見しても処罰が難しく……それでいて、その女子たちの親の影もあって、泣き寝入りが常態化しているのだとか。



 ──もちろん。



 そんな事を向こうの人が言葉にしたわけではない。


 あくまでも、穿うがった見方をすれば、そのように聞き取れるかもしれない曖昧な言い回し……さて、二つ目。


 二つ目は、一つ目の家柄も関係しているが……これまた、なんとも長ったらしく回りくどい言い回しだったが、要は、アレだ。



 千賀子が美人過ぎるから、間違いなく女子たちの嫉妬を買って酷い扱いになるだろうから……というものだ。



 なんじゃそりゃあ……と両親から話を聞いた時、率直に千賀子はそう思ったが……さりとて、そんな不安を覚えるのも致し方ないと、否定は出来なかった。



 だって……現在の千賀子……学校に、友達が居ないのだ。



 もちろん、作ろうとした。


 だが、話しかけた傍から距離を置かれるばかりか、中には露骨に嫌そうな顔で距離を置く者もいて、基本的に学校では一人ぼっちなのだ。



 ……小学校より付き合いが続いている、明美はどうしたかって? 



 その明美は明美で、なにやら仲の良い(意味深)男子がいるらしいので……近頃は、以前よりも会う頻度を減らしているのが現状だ。


 もちろん、そうするに至る理由の全て(内心も含めて)を、手紙を通じて理由は説明しているので、仲違いをしたわけではない。


 その後で、ものすごく怒られたが、明美からは『まあ、千賀子が気にするのも仕方ないかな』と寛大な心で許してくれた。


 明美曰く、『私でも、ふとした時にクラクラッとしちゃいそうになる時があるから……』とのこと。納得は出来ないけど、仕方がないというのは分かってくれた。



 ……ちなみに、そうやって表向きとはいえ明美と距離を置き始めたのは、冬休みが開けてすぐの頃。



 なんで、そんな事をしているのかって……そんなの、明美から憎まれたくないからである。


 仲が良いということは、それだけ行動を共にする事が多いということ。そして、その分だけ……千賀子とも接する回数が増えるということ。



 万が一……そう、万が一にも、だ。



 明美が想いを寄せる相手を奪う形になれば……そう思えば、嫌われた方が良いと千賀子は考えてしまったのだ。



 ……自意識過剰と言われたらそれまでだ。


 ……自分勝手だというのは、分かっている。



 けれども、それでも、憎まれるよりは嫌われたままの方がずっと良い。


 嫌われただけなら、過去の思い出だけは楽しいままでいられるから。思いでの中だけは、そのままでいられるから。



 千賀子には、そんな事しか出来なかった。



 何故ならば、千賀子は己の美貌を理解している。と、同時に、今の己がどれほど異性を惑わせてしまうのかも分かっている。


 だって、一度や二度ではないのだ。誰それの彼氏に色目を使ったとか何だとかで、陰口を叩かれるのは。


 念の為に言うが、断じて、千賀子の方から誰それの彼氏を奪い取った覚えはない。


 千賀子から好意を向けたことだってない、あくまでも社交辞令に終始していたし、なんなら、雑談を一つ二つしただけの男子だって居た。


 けれども、それでも、男子の方から惚れられて……いや、惑わせてしまうのだ。



 ……言葉にはされなくとも、そういう感情を向けられている、その態度で嫌でも察してしまう。



 そのせいで千賀子は、名前はおろか顔すらよく知らない女子から恨まれているし、嫌がらせのように根も葉もないデタラメな陰口を叩かれたことだってあるわけで。


 千賀子には、女子間の情報を知る術が全く無い。


 知ろうと思っても、千賀子を恨んで目の仇にする者の存在によって、それ以外の女子からは『関わると面倒』だと思われており、距離を取られてしまっているので、分からない。


 結果、社交辞令程度の感覚で雑談をした相手が、実はとある女子の意中の相手であることが、何度か重なってしまう事が起こってしまう。



 つまるところ、ブッキング、ダブルブッキング。



 その相手からすれば、何人もの男を惑わせる尻軽な女で、まるでこちらを見下すかのように高嶺の花を気取っている……のように、見えてしまうわけで。


 そして、人間というのは真偽に関係なく、一度そのような印象を抱いた相手に対して印象を変えるというのはほとんどない。


 なので、最終的には『下手に関わると、意中の相手や彼氏を奪う女』という、もはや何を言っても意味がないほどに誤解が深まってしまったわけである。


 ……これ以上は蛇足になるので、話を戻そう。



(そうか、そうだよね。男の目が無くなるってことは、言い換えれば、明確な女社会になるわけだから……そりゃあ、伝手も後ろ盾もないぼっちの女が1人、格好の的どころか、ストレス解消のサンドバッグになるってわけか……)



 そんな感じで、一通り両親より話を聞いた千賀子は……さもありなん、と内心にて苦笑するしかなかった。


 いくら前世が男とはいえ、女として十数年生きてはいるのだ。


 嫌でも女の醜い部分……男とはまた違う、女社会、女のルールというものを嫌でも思い知らされている。


 小学生の時ですら、そのように見て来る者が居たのだ。


 その時よりも成熟し、物事を考えられるようになった高校生ともなれば……想像するまでもないだろう。



「──だから、気にしなくていいよ」

「いや、でもよ……」

「男には男の社会があるように、女には女の社会があるの。残念だけど、私は女の社会でやっていけるような人間じゃないし」

「だからといって……」

「そもそも、向こうからわざわざ教えに来てくれるって時点で、相当な話だよ? 普通は、こんなこと教えてくれないんだよ」

「そりゃあ……そうかも、しれないけど……」

「入学の願書すら出していないのに来てくれたってことは、それだけ私が向いていないってことでしょ……むしろ、土壇場で教えられるよりも良かったな感じさえする」

「…………」



 そんな感想を、落ち込む兄の和広へと掛けつつ……さて、どうしたものかなあ……と、千賀子は思ったのであった。






 ──と、いった流れでひとまずその場を終わらせ、晩飯を食べて、いつも通り就寝の運びとなった千賀子は。



(……進路、か)



 ひとり、布団の中で……考えていた。


 季節的に、この時期の夜は涼しい。それでいて、夜がとても静かだ。現代とは違って、この頃の夜は、24時間営業ではないのだ。


 そう、この頃の夜というのは、それが当たり前なのだ。


 反面、昼間は騒がしいというか……まあ、現代と違ってプライバシーなんて考えが皆無な時代なので、昼間はそれこそ意図して一人になれる場所に行かないとならないけど。



(公立は仕方ないとして……無難に、上の方を狙ってみるか?)



 だからこそ、1人ゆっくりと考え事が出来る、この時間は……思考を整理するのに重宝していた。


 傍で祖父母が寝ているので1人というわけではないが、千賀子の方から物音を立てなければ、実質1人だ。


 部屋の位置的に、家族の誰かがトイレに向かったとしても、祖父母の部屋の傍は通らない。


 だからなのか、今日は時計の秒針の音しか聞こえないぐらいに……静かであった。



 ……で、だ。



 布団の中で千賀子が考えるのは、これからの事……進路だ。


 この頃(1964年)の若者の就職は様々な理由から、日本史において1,2を争うレベルの売り手市場となっている。


 もちろん、全ての業種がそうなっているわけではない。


 高学歴が前提のエリートは例年通りに狭き門だが、単純労働がメインの仕事は、求人倍率が約2~3倍ぐらいの人手不足だ。


 ここらへんは現代と同じく、そういった仕事はだいたい労働条件が悪い。ただ、言い換えれば、ちょっとでも待遇を上げればあっという間に人が集まるということ。


 加えて、現代のように最低限の資格(国家・民間・学歴)が無く、中卒でも働き口があるという利点はあるが……千賀子の場合、他に問題がある。



 そう、今さらな事ではあるが、千賀子は女なのだ。



 おおよそ25歳までには結婚退職するのが当たり前となっているこの時代。雇う側も、それを前提に雇っている。


 仮に産まずに働くと言っても、まず信用されないだろう。


 信用されたとしても、その会社以外では『どうせ、そのうち辞める人だから……』という目で見られる可能性が極めて高い。



(私の取り柄って、ぶっちゃけてしまえばこの見た目だけど……でも、これはもろ刃の剣だしな……)



 それらを踏まえたうえで、千賀子は己が持っている武器の中でも、最も目立つし否が応でも付き合っていかなければならない、己の美貌に目を向ける。



 ……ぶっちゃけるならば、だ。



 見た目の良さに頼り切るのは……正直、リスクが高すぎて多用したくはない、それが本音だ。


 今ですら、被害を完全に防ぎきれていないのだ。己の頭では、まったく扱い切れていないという自覚すらある。


 なのに、身体は日に日に成長し、胸だって以前より大きく、尻とてとうに形良くなっている。向けられる視線が、昔に比べて増えているのだってとうに自覚していた。



 ……メリット、デメリット、振り返って考えてみる。



 メリットは、なんと言っても、男性からの対応がだいたい甘くなることだろう。


 同性は人によりけりだが、男性からの対応は本当に違う。


 男だった前世の記憶があるからこそ、分かる。美人であるというだけで、如何に男性からの対応が優しく、気を使われているのかが実感できる。



 ……だからこそ、一部の同性から目の敵にされてしまうのだろうが……で、だ。



 デメリットはやはり、この美貌でもある。


 優しくしてくれるが、中には、そのまま恋慕がエスカレートする場合もあるし、『優しくしたのだから──』と、暗に対価を求めてくる場合もある。


 別に、対価を支払うこと事態は良いのだ。


 問題なのはその対価が、暗に千賀子との交際、あるいは、千賀子からの何かしらの直接的なお返し(意味深)である場合だ。



 これがまあ、中々に難しい。だって、千賀子の家は商売をやっている。



 それに、スパッと全てを断れば、それはそれで反感を抱く層が一定数いる。かといって基準を設けてしまえば、それを理由にまたいざこざが生じてしまう。


 ならば、いっそのことこの武器が最も使える業界に……いや、それならそれで、リスクが高すぎる。


 現代社会ならまだしも、昭和のこの時代。


 そういう業界は、漏れなくヤクザが関わっていると思った方が良い。


 なにせ、この頃は全盛期と言っても過言ではないぐらいにヤクザの勢力が増しており、ヤクザが公然とビルの一室を借りていたり、縄張りを決めたりというのが横行していた。


 あと10年20年も経てば話は違うが、今はそうではない。


 そんな業界に、色々と不思議な力があるとはいえ、見た目が良いだけの女が入れば……そこまで考えたあたりで、千賀子は(そっちは、駄目だな)と判断した。



(サラリーマン勤めは一旦他所に置いとくとして……この店を継ぐとしたら、どうだろうか?)



 と、なれば、発想を切り替えて……というわけだが、しかし。


 この店を継ぐ……仮に、そうなったとして……たぶん、そう長くはやっていけないだろうなあ、と思った。


 何故なら、千賀子がこれまで結果を出せているのは、違う世界とはいえ、限りなく似ている歴史を辿っているからこそ使える、未来の知識のおかげだ。


 それですら、実際のところは断片的。


 こんなボーナス前世タイムが何時まで続くか分からないうえに、そもそも、千賀子自身に経営なり目利きのセンスがあるわけでもない。


 その証拠に、小学生の時になんか『抱っこちぇ~ん人形』なるビニール製の空気人形がブームとなっていたらしいが、千賀子は最後まで『これが、売れるのか……』としか思えなかった。


 ……そう、千賀子が記憶している前世の現代社会、この世界の未来知識(あくまでも、推定)なんて、所詮はこの程度なのだ。


 前世の彼がいわゆる歴史ヲタクだとか、あるいは理系の大学を出ているとか、特に近代に詳しければとかなら、話は違っただろう。


 だが現実は、せいぜいテレビやネットでフラッと仕入れた雑学程度の知識しかなく、それでこの先やっていけるほどに千賀子の地頭はよろしくなかった。


 ……。


 ……。


 …………そんな感じで、アレやコレやと、とりとめもなく未来について考えながら……ふと、千賀子は前世の世界について思いを馳せる。



(……そういえば、家の前の道路も、もうすぐ工事が入って舗装されるって言っていたっけ?)



 現代では当たり前なモノが、この時代には無い。千賀子にとっては当たり前だったモノが、この時代には無い。


 そして、その当たり前が、初めて生まれてくる様を見たのは……いったい、何度目なのだろうか。


 まだまだ剥き出しの地面は多いが、小学生の頃に比べて、明らかに舗装された地面が増えてきているのを目にしている。



 それは、千賀子の家の周辺も例外ではない。



 千賀子は見ていないが、バス停などには『来タレ! 作業員!』の文字が大きく書かれた看板が置かれているらしく、それも一つや二つではない。


 近隣住民総出での舗装作業が行われ、たった数日で3,400メートルの舗装を終えたところもあったと、人伝に耳にしている。


 なんでも、報酬こそ安いが、協力すれば素早く整備してくれるとあって、空いている時間を作り易い主婦や子供などが、事前の掃除や土砂の運搬などを手伝っているのだとか。


 現代なら考えられないような話だが、この頃はそこらへん、かなり緩かったりする。


 何時までも舗装工事に時間が掛かって排気ガスの臭いが漂い、雨が降るたびに中断され、凸凹だらけを我慢するよりも、さっさと綺麗に舗装してもらいたいと思うのだろう。


 それに、変化は道路だけではない。


 今にも潰れそうだった家は新しく、衣服だってどんどん新しく、最近では和服よりも洋服を着ている者の方が圧倒的に多数派だ。


 車の数だって、小学生の頃より増えている。


 内風呂だって増えているし、客足が減ったから、明美のところの銭湯が少しばかり値上げせざるをえなくなった……という話も、耳に入っている。


 直接顔を合わせる機会は無くなったけど、道子とも、時々文通を行っている。


 『海外の常識って凄いけど、日本の常識も凄いわね』という感じの、どういう意味なのかいまいち判断に困る内容が多いけれども……それでも、時は流れている。



 他にも、他にも、他にも……色々な事が、千賀子の脳裏を過る。



 子供の頃にあったモノが、今は無い。


 子供の頃に無かったモノが、今は有る。


 記憶の中に有ったモノが、その始まりが、増えてゆく。


 それが、時代の移り変わりというものだ。


 そこに少しばかりの寂しさを覚えるのは、ノスタルジーなのか。


 あるいは、前世の世界に近付いてくる、その懐かしさが見せる錯覚なのか……それは、千賀子自身にも分からなかった。



(……毎日見ているこの景色も10年後、20年後には無くなっているかもしれないんだよなあ)



 そんな事をぼんやりと、うっすらと見える天井を眺めながら考えていたら……ふと、思った。



(車も、高層ビルも、何もかもがどんどん増えていくし……近所の空き地もどんどん人が入れなくなって、見慣れた光景がどんどん広がっていくんだろうなあ……)



 それが良い事なのか、悪い事なのか……社会的、経済的には良い事なのだろうけど……でも、うん。



(……なんだろう、残してやりたいなあ)



 なんとなく……本当になんとなくだが、唐突に千賀子はそう思った。



 ──いったい、何を残したいのか? 


 ──千賀子自身、それを説明する事は出来ない。


 ──漠然としていて、姿形がハッキリとしていない。



 けれども、不思議なことに……その思いつきは、まるで初めからそうであったかのように、カチリと胸の奥でハマったのを……千賀子は感じ取った。



 ──その瞬間、千賀子はスーッと、胸の奥に爽やかな空気が取り込まれて行く……そんな感覚を覚えた。



 今が夜で、自宅の中であること等、関係ない。


 ただ、その場で立ち止まり、あるいは、その場で足踏みを続けていたのがようやく動き出してくれたかのような、そんな感覚──っ? 



(ん? あれ? いた、いたた……)



 そんな、前回が何時だったのか思い出せないぐらいの、清々しい気分に水を差すかのように、なんとも表現し難い痛みが唐突に下腹部より走った。


 我慢できないような、もしくは、悶絶してしまうような痛みではない。


 しかし、気にせずにはいられない程度には痛く、ズキンズキンと不機嫌さを誘発させる絶妙な不快感も伴っていた。



(なんだ、もしかして晩御飯に食べたのが当たったとか……いや、でも、それならみんなも……ん? なんか垂れて……?)



 合わせて、生暖かい液体がジワッと漏れ出る感覚と共に、それが太ももの内側へと伝っていく……反射的に手を入れれば、ぬるりとした液体が指先に触れた。


 まさか、この歳で尿漏れかと──思ったが、鼻先まで持ってくれば、すぐにその正体が分かった。



「うっそでしょ……このタイミングで始まるのか……」



 夜の闇の中でもハッキリと分かる、血の臭い。


 それは、少女から女性になった証。


 昼間ならともかく、傍の祖父母は寝静まり、両親たちとて深い眠りに着いている……そんなタイミングで起こった、まさかのハプニングであった。


 むくりと、傍の祖父母を起こさないよう気を付けながら身体を起こした千賀子は、掛布団で隠しながら『火よ』と下腹部を照らした。



(うわぁ……手遅れだった。寝間着どころか、下の布団も微妙にアウトじゃないか、これ……)



 直後、あまりの惨状に千賀子は溜め息すら出せなかった。


 どうやら、色々と考え事をしているせいで他に気が回らなかったのか、始まっている事に今の今まで気付いていなかったようだ。


 母方の家系的に遅い方だろうと言われていたから今年中か、あるいは来年ぐらいだろうと思っていたが…………まさか、こんなタイミングで初潮が来るとは想像すらしていなかった。



(あ~、着替えと洗うのは別として、ナプキンってどこに仕舞ったっけ……?)



 実は、この頃にはもう現在のナプキンに近しいモノ(というか、原形)が販売されており、千賀子も来る日に備えていたのだが……買ったのがけっこう前なので、すっかり忘れてしまっていた。



 ……精神的に、こう、ショックは無いのかって?



 それが、ほとんど無い。


 さすがに、女になって昨日今日ならともかく、10年以上も女として過ごし、母親から色々とそれとなくレクチャーを受けてきたのだから、心構えの一つや二つは出来ている。


 始めからずっと受け入れられなかったならともかく、千賀子は受け入れている。加えて、精神的年齢はもう成人しているし、これまで付き合ってきた己の身体だ。


 いまさら、その程度でショックを受けるような──っと、その時であった。



『──ぴんぽんぱんぽ~ん、お知らせです』


(ヒェア!? 女神様!?)



 唐突に鳴り響く女神からの神託に、千賀子はビクッと肩を震わせた。悲鳴を出さなかったのは、ひとえに慣れてしまったからだ。



『たった今、シークレットミッション『初潮を迎える』、を達成しました。通過儀礼みたいなものですけど、おめでたいですね……拍手~、ぱちぱちぱち』


(……え、これ、褒められているんですか?)


『なんだか感慨深いですね、よちよち歩いていた愛しい子がもう、子供を産めるにまで成長したのですね……オヨヨ、わたくし、なんだか涙が出そうになります、出ませんけど』


(あ、褒めてはいるのですね……)



 頭の中に鳴り響く、女神様の声に、千賀子はどうする事も出来ずに呆けていた……のだが。



『いやあ、なんか嬉しいですね。愛しい子より垂れ流される命無き血潮の無情さもそうですが、痛みに悶えて唸る愛しい子も可愛らしくて、女神様ポイント10万点と、『初潮記念100連ガチャ』を贈呈しましょう』




(女神様、さすがにその言い回しはキモいっす……)




 さすがに、月経をそのように褒められるのは嫌だなあ……と、千賀子は思ったのであった。




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