第2話: 給食のヒーロー(募集中)




 誕生日を迎えて10歳になった千賀子だが、日常生活に変化が訪れるかといえば、そんな事はない。



 言っても、たかが10歳だ。



 法律的に色々と変化が起こる成人だって、日常生活が変化するかといえば、そんなわけもない。


 ましてや、それが成人以前に小学校すら卒業していない子ともなれば、変化が無い方が当たり前なのである。


 実際、3度に渡って饅頭をたらふく用意してもらってから半月が経過しても、千賀子の生活は何一つ変わらなかった。


 違いがあるとすれば、半月分だけ背が伸びて肉が付いたぐらいだろうか。


 まあ、たかが半月だ。


 背はまだしも、饅頭を腹いっぱい食べればちょっとは肉も付く。まあ、その肉も、日常を送っていれば自然と消費されてしまう程度でしかないけれども。


 千賀子の日常は、変わらない。平日は学校に向かう、ただ、それだけのことであった。



 ……。



 ……。



 …………で、そんな感じで平日。



 何時ものように『アスファルト? 此処に無ければ無いですね』な、土埃がチラホラ舞い上がる凸凹道をえっちらおっちら歩き。


 途中で、待ち合わせみたいになっている友人と合流し、あ~だこ~だと雑談をしながら、徐々に増え始める子供たちを横目にしつつ。


 もはや騒音レベルの喧騒の中、下駄箱にて靴を入れ替え……すっかり通い慣れた教室にて、ドカッとランドセルを机に下ろした千賀子は……ふう、とため息を零した。



(う~ん、この込み具合だけは何時まで経っても慣れない……子供の時よりも凄いなあ)



 さすがに小学校に通い続けて4年も経てば、子供空間の騒がしさに幾らかの耐性は付く。


 しかし、それでも騒がしいと思えるのだから、如何に昭和世代の子供たちがパワフルか……いや、これは違うな。


 パワフルなのは何時の時代も一緒。違うのは、単純に一クラスあたりの人数が多いからだ。


 20人しか居ない部屋と、40人も居る部屋。どちらが騒がしいかって、そんなの数が多い方が騒がしいに決まっている。


 特に、昭和なんてのは、むしろ騒がしいぐらいで『元気が有って良い!』と評価する人が珍しくなかった時代だ。


 教師が到着してもいないのに大人しくしている必要性などまるで感じていない子供たちが数十人も集まり、それが全クラスともなれば……っと。



「──そういえば、千賀子は算数の宿題やってきた?」



 改めて話しかけてきた友人……明美あけみに、千賀子は頷いた。


 明美は、銭湯を家族経営しているところの娘だ。


 小学校に入って同じクラスになってから仲良くなった。実は物心が付く前から何度か顔を合わせているらしいが、千賀子には覚えが無かった。


 性格は、勝気の一言。悪い子ではないが、悪い意味で後先考えずに動く時があり、気も強い。


 前世の記憶保持者な千賀子の目から見ても、こりゃあ現代でも通用するぞと断言するほどに頭も顔も良い美少女である。



「それじゃあ、宿題写させてもらっていい? 登校途中で思い出しちゃって、なにも手を付けていないの」

「いいよ」



 特に断る理由はなかったので、素直に見せる。


 昔取った杵柄きねづかというわけではないが、さすがに小学校レベルの算数なら分かる。


 時々、うろ覚え過ぎて解き方が思い出せない時もあるが、分からないのはみんな同じ。


 大人しく教師の説明を聞けばすぐに思い出せることもあって、今のところは特に問題なく、胸を張って明美に見せる事が出来ていた。



「う~ん、それにしても、千賀子って本当に字が上手で羨ましいわね」



 喧騒の最中、机に広げられたノートを見比べながら、急いで書き写している明美が、思わずといった様子で呟いた。


 確かに、明美の言う通り、千賀子の字は客観的に見れば上手いようには見えるだろう……が、しかし。



「字が上手って言うか、偶々上手に見えるだけだよ」



 それが、謙遜けんそんではない千賀子の本音であった。


 少なくとも、習字の勉強をしている子に比べたら下手だと千賀子は本気で思っている。


 上手く見えるのは、単純に漢字を書き慣れているだけ。


 明美だけではない。同年代たちからすれば初めて習う漢字でも、千賀子にとってはそうではない。


 止め、跳ね、直線の綺麗さ、文字のバランス、書き順、どれ一つ取っても、さすがに小学生と比べたら経験値が違う。


 それ以上に難しい漢字を日常的に使っていたからこそ生まれる慣れのおかげで、上手に見えているだけだと千賀子は思っていた。



「それ、下手くそな私への自慢?」

「自慢というより、明美はもう少しゆっくり字を書く癖を付けるべきだと思うよ」

「ゆっくり?」

「せっかち過ぎってこと」



 その言葉に、ピタッと明美は紙面に走らせていた鉛筆を止めた。「手、止まっているよ」促せば、慌てた様子で再び鉛筆を動かし始めた。



 おそらく、自覚出来る心当たりがあるのだろう。


 実際、明美は千賀子が見る限りでは、少々性急な部分がある。



 良い言い方だと『勝気で思い立ったら吉日』みたいな感じになるのだろうが、悪い言い方だと『猪突猛進で、向こう見ずなところがある』といった感じだ。


 字の書き方ひとつ取っても、そう。


 今は時間が無いので殴り書きみたいになっているが、かといって、普段は丁寧に書いているかといえば、そうでもない。


 丁寧にやれば、明美もちゃんと綺麗な字を書けるのだ。


 しかし、せっかちな気質のあまり、普段から半ば走り書きみたいな感じなのに、そこに時間制限という要素が加われば……自分の書く字が普段以上に汚く思えるのも当然であった。



「──おはよう」

「あ、おはよう、道子みちこ



 することもないのでぼんやり眺めていると、声を掛けられた。


 振り返れば、もう一人の友達……道子が、のほほ~ん、とした笑顔で千賀子たちを見下ろしていた。



 ……道子は、明美と同じく、この学校の友人である。



 明美とは反対……というわけではないが、性格は穏やか。鈍臭いわけではないが、全体的におっとりとしている少女だ。


 この時代では珍しい、背も体格もある子で、千賀子たちと並べば1人だけ高学年として見られてしまう……まあ、そんな子である。


 ちなみに、家が千賀子たちとは離れているため、登下校は途中から別。良い所の御嬢様らしいのだが、お家に遊びに行ったことはないので詳細は不明……で、話を戻そう。



「何しているの?」

「明美が宿題を忘れたから、急いで私のを書き写しているところ」

「あ~、そうなんだ~……私も見ていい?」

「いいけど、道子も忘れたの?」



 珍しい事もあるもんだ……首を傾げていると、「違うよ~、確認したいだけ」道子はわたわたと両手を振って否定した。



「ちゃんとやったけど、どこか間違っていないかなって思って」

「ああ、なるほど」



 言われてみれば、道子の手にはノートがある。


 納得した千賀子を他所に、道子も明美の横に立つジッと覗き込み、自分のノートと見比べ始めた。



(……こうしてみると、同級生に見えないな) 



 比べるのは失礼だが、明美と道子は同級生だというのに体格が違い過ぎる。まるで、1人だけ年上が教室に居るみたいだ。



(まあ、道子はおっとりしているけど美形だし、中学高校に行けば、男連中が放ってはおかない感じになるだろうけど……さ)



 だから、なのだろう。


 ちらりと、目線だけで周囲を確認した千賀子は、道子の上から覗き込むようにして、2人のノートへと視線を向ける。


 いったいどうして……答えは、まあ、チラチラと教室の至るところから向けられる視線を遮るためだ。 


 普段はそうでもないが、気が緩んでいるうえに姿勢の関係で、道子の胸元は……角度によっては、覗き込まなくても中が見えてしまう状態になっている。



 何時の時代も、早熟な子は多い。そして、良くも悪くも色々と昭和は緩いのだ。



 そんな子にとって、年上の洗練された美少女に見える道子は、さぞ魅力的に映るのだろう。


 千賀子の目から見れば、ちょっと背が高いだけの子供にしか見えないが……まあ、下手に事実を教えても傷付くだけだし、あえて道子に伝えようとは思わなかった。



「ちょっと、暗くて見えづらいから退いてよ」

「反対から字が書き出されていくの、なんか面白いから、つい……」

「あ、なんかちょっと分かる気がするかも~」



 どうせ、見ている方もちょっとしたことで気が逸れる程度の認識だろうし。






 ……。



 ……。



 …………さて、そんな千賀子の学校生活だが、基本的にやることは現代と一緒だ。


 決められたカリキュラムに従って授業を受け、給食を食べる。


 精神が大人とはいえ、身体は子供なので、ただ机に座っているだけでも相当に腹が減る。



(……こればかりは、本当に慣れないんだよなあ)



 配ぜん係より受け取った給食を、行儀よく席に座ったまま見つめていた千賀子は……思わず、ピクリと目尻をケイレンさせていた。


 本日のメニューは、ソフト麺にミートソース。パインともやしのサラダに、謎の揚げ物。


 そして、スキムミルクと呼ぶにはあまりにもおこがましい、容器になみなみまで注がれた、生暖かい脱脂粉乳である。



 ……察しの良い人なら分かると思うが、そう、あの『脱脂粉乳』である。



 概要を語るなら、脱脂粉乳とは牛乳の乳脂肪分を除いたモノから、さらに水分を除去して粉末状にしたものである。


 良質なタンパク質やカルシウムを摂取することが出来るうえに、牛乳よりも保存が利いて搬送しやすいこともあり、戦後間もなく給食に採用された一品である。


 効率性だけを考えれば、確かに脱脂粉乳は良い。


 現代に比べて保冷技術が未発達な昭和において、常温で保存出来るというだけでも良いというのに、成長に重要な栄養素を豊富に含んでいるのも、良い。


 作るのだって簡単で、お湯なり水なりで溶かせばすぐに飲食する事が出来る。


 戦後すぐの食糧不足の最中、それのおかげでどれだけの命が繋がったか……その点について、今さら考慮する必要性は皆無だろう。



 ……が、しかし。



 そんな、向かうところ敵無しな脱脂粉乳だが……一つだけ、致命的な弱点があった。




 それは──不味い、ということ。いや、もはや、そんな次元の話ではない




 そう、給食として出されていた脱脂粉乳は、お世辞にも美味いとは言い難い味であり、味覚が敏感な子供は堪らずもどしてしまうぐらいであった。


 いや、というか、子供どころか、実際は大人ですら、口に含んだ瞬間、『うっ……』と顔をしかめるような味で、臭いすらも、おおよそ食欲を掻きたてる類ではなかった。



 まあ、そうなるのも仕方がない。



 なにせ、現代の脱脂粉乳……つまり、スキムミルクと呼ばれているモノと、昭和の給食に出されていた脱脂粉乳は、ぶっちゃけ全くの別物である。


 加工用に使う物や、家畜用に回す物を流用した代物という説があるぐらいだ。


 これを美味しく飲める者は、それだけで一目置かれるほどだといえば、如何に凄まじい味だったのかが窺い知れるだろう。



 ……それが今、千賀子の眼前に鎮座している。



 正確には、子供たち全員の眼前に、だ。


 小賢しい配ぜん係の生徒の一人が、自分の分をこそっと少なめにしようとして、逆に教師から大目にされるという罰を受けているという珍事もあったが……それも、静まれば。


 ──いただきます。


 号令と共に、昼食の時間が始まった。直後、待っていましたと言わんばかりに誰も彼もが箸を手に取る……その中で。



(くそぅ……結局、目当てのモノは当たらなかったが、無いよりはマシと思わねば……!!)


『N:2分間だけ、ちょっとだけ食事の好き嫌いが無くなる』



 人知れず、ガチャの効果を発動させた千賀子は……意を決すると、なみなみに注がれた器を手に取り……ごくごくと、胃袋の中へ流し込み始めた。


 ……このガチャの効果は、言うなればなんでも美味しく思えるようになるというもの。


 ちょっとだけ、と言うだけあって、その効果は本当にちょっとだけ。


 例えるなら、臭いだけで気分を悪くするぐらい嫌いでも、臭いだけなら大丈夫という程度にはしてくれる……といった感じだ。



(──まっずい、マジでまっずい。これを美味いと思って飲めるやつ、マジで凄い……)



 なので、味覚の好みが変わるわけでもないし、不味いと思えるモノはやっぱり不味いまま。


 何とも言い難い臭いに、生暖かい触感。後味はえぐみがたっぷりで、どうしても飲めずに吐き出してしまう子が出るのも致し方ない御味だ。


 普段の千賀子なら、頼まれても飲むことはしないだろう。


 今だけは、ガチャの効果で、鼻をつまんで飲めばなんとかイケるから……そんな感じで、なんとか飲み干した千賀子は……げふっと勝利のため息を零したのであった。



 ……。



 ……。



 …………うん、まあ、うん。




 ──今すぐにでも口直ししたい。



 そんな思いでミートソースを見つめていたのだが、左右から向けられる懇願の眼差しに耐えきれなくなった千賀子は、チラリと交互に左右を見やった。



 右に、明美。その手には、申し訳なさそうに脱脂粉乳の器が。


 左に、道子。その手には、申し訳なさそうに脱脂粉乳の器が。



 そう、実は、お隣さんである。


 現代とは違い、席の数が多いので互いに隙間が無く、ちょっと手を伸ばせばいくらでも不正を働くことが出来た。



 ……。



 ……。



 …………二人とも、牛乳なら苦も無く飲むことが出来るのだ。



 実際、脱脂粉乳ではなく、牛乳が出た時は普通に飲めていた。まあ、それは千賀子も同じだが、とにかく牛乳なら大丈夫なのだ。


 けれども、今日の給食に出されたのは牛乳ではない。


 ちょっとずつ牛乳の頻度が上がってきてはいるが、まだまだ脱脂粉乳は現役……少なくとも、中学に上がるまでは、これに耐えなければならない。



『……ちょっとだけだよ』

『ありがとう、本当にありがとう……!』

『今度お菓子上げるから、ごめんね~……』



 まあ、それはそれとして、さすがに3杯も飲んだら腹を下しかねないので、二口、三口、軽く減らしてやるのが限界であった。


 とはいえ、それでも十二分に嬉しかったらしく。


 二人はお礼を述べた後、心底嫌そうな顔をしながら、鼻をつまんで……静かに、喉を鳴らしたのであった。




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