第6話 カラスとの日常
「ミーーズキーー、朝だよ~~」
瑞葵が眼を開けると、目の前にはアステリアの顔。
視界の大半が彼女の顔で埋め尽くされていた。それ以外の部分は、彼女の長い髪が占めている。
実質、彼の視界はアステリア一色というわけだ。
彼女の髪が瑞葵の頬や首を撫でるが、不思議とちくちくしない。
むしろ、絹糸のようにさらさらしていて、気持ちがいい。
瑞葵と彼女が共同生活を始め、早や二週間。
アステリアは順調に魔力を回復させ、今では常にヒト型で過ごすことができるようになっていた。
そして、この次元で普通の人間として過ごすために必要なもののほとんどを揃えていた。
今彼女は、この部屋での家事のほとんどを受け持っている。
瑞葵は彼女に「働きたければ働いてもいい」と言ったが、彼女は拒否した。
そして代わりに、一千万の札束を取り出した。
アステリアはそのお金を瑞葵に譲渡しようとしたが瑞葵が拒否したため、そのお金は今、アステリアが管理している。
とはいえ、仕送りや瑞葵のバイト代だけでは、正直この先、二人暮らしを維持するのは厳しい。
彼が一千万円を拒否したのは、彼自身の金銭感覚を維持するため、バイトのモチベーションを保つため。
あと、出所のわからないお金が怖かった。聞くのも怖い。
彼女は、イギリスで魔法使いたち相手に商売を繰り返したと言っていた。
国外だし、魔法使いが相手だし、どこまで本当のことなのかわからない。だが、そもそも彼女自身が魔女なのだ。
信じる根拠としては十分だろう。
とは言え、さすがに一千万円を拒否するのも後悔しそうだったので、水道代や光熱費諸々以外の、瑞葵が自身のバイト代で払っている諸経費は折半してもらうことにした。
主に食費だ。
全額負担してもらいたいが、それでは男が廃りそうな気がしたから折半という選択肢を取ってもらった。
ただでさえ、彼女には家事のほとんどを任せてしまっている。
ここでお金まで出してもらっていては、完全にヒモのようではないか。
二人は一つの机を囲い、朝飯を食べる。
もうすでに日常と化したこの光景。誰もこの少女が魔女だとは思いもしないだろう。
「ミズキ、今日バイトでしょ?」
「いや、今日は入ってないな。昨日、シフト変わったから」
「そう。なら放課後、デートでもしない? 近くにショッピングモールがあるでしょ?」
「おお、いいぞ。待ち合わせは? 一度帰ろうか?」
「いや、そのままでいいよ」
「……? わかった」
二人の朝の献立は、食パン、すまし汁、りんごとバナナとヨーグルト、ココア。
食べ盛り期の男子高校生にしては少ないかもしれないが、瑞葵は朝が弱い。
たとえ絶世の美少女が朝起こしてくれていても、弱いものは弱い。
これぐらいがちょうどいいのだ。
アステリアからしても寝られる時間が増えるから喜ばしいことだった。
魔女であっても睡眠は必要だ。睡眠中は魔力の回復効率がいい。
「続いて、今日の天気です。今日は県内広い範囲で晴れ。夏日となるでしょう。お出かけの際は――――」
テレビから流れてくる朝の天気予報を流し聞きすることで、その日の天気を知る。
傘を持っていくべきか否かだけなら、朝の重たい頭でも判断できる。
「ごちそうさま」
「はい」
皿洗い担当の瑞葵が食器を持って、洗い場に持っていく。
皿洗いが終わったら歯を磨き、着替え、学校の準備をして登校。
なお、教科書類は全部(宿題以外)学校にあり、部活にも入っていないため、荷物は少ない。
週2回、体育がある火曜日と水曜日は体操服が入る。
「それじゃ、行ってくるわ。終わったらそのままシオンだな」
「うん! 気を付けてね」
最初は「新婚生活ってこんななんかなぁ」なんて考えて照れ臭くなっていた瑞葵だったが、今ではもう慣れたものだ。
◆◇◆◇◆◇◆
――AM.8:30
「今日は転校生を紹介します」
いつもより5分早いSHRの始まり。
だが、生徒たちは薄々勘付いていた。突如増えた、机と椅子。
察するなという方が難しい。
廊下側の生徒たちは、廊下と教室を仕切っている擦りガラス窓のおかげで、転校生の輪郭が朧気ながら見える。
「おい、女子だぞ、女子」
長い黒髪があることを見切った侑暉が、瑞葵に言う。
それを聞いた周囲の席の生徒たちが身を乗り出して廊下側を見る。
「それじゃあ……入ってきてもらいましょうか。どうぞ!」
――ガラガラガラ
教室の横開きの扉が開く。
みんなとお揃いの上靴が顔を覗かせる。
一歩、一歩と転校生が入ってくる。
露わになったその素顔を見て、生徒たち(一人除く)は、一斉にこう思った。
――――美しい
だが、口にはしない。
口に、言葉が喉から出てこない。
黄金比すら勢いをつけて土下座するその美貌を前に、生徒たちはただただ、呆然としていた。
渋谷や新宿を歩けばスカウトが何人釣れるだろう。
ただ確かなのは、彼女をスカウトしない芸能事務所はないということだけ。
担任が黒板に、彼女の名前を書く。
「それでは、自己紹介を」
「初めまして。スペインから来ました、アステリア・クロバ・ステーラーです!」
彼女はそう名乗ると、丁寧にお辞儀をした。
そして先ほど、彼女を美しいと感じる余裕のなかった一人の男子生徒は、こう思っていた。
――まじか
――追加情報・5――
世の中には常に“裏”があり、そこで行われる経済活動は表よりも規模が大きいとされている。
更にそこでは、表では流通しないものも流通している。
例えば、この次元では夢物語とされている、呪具や魔導具の類。
それに伴い、それらを扱う呪術師や魔導士も存在している。
異次元の魔女であるアステリアからすれば、溶け込むのは表の世界よりも容易だった。
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