帰らざる忠義
高麗楼*鶏林書笈
第1話
高楼に登り、王と弟の宝海は東の空を見ながら思いに沈んでいた。
「あの空の向こうに美海がいるんだなぁ」
王が呟くと宝海が
「そうですね、大きくなったことでしょう」
と応じた。続けて
「朴太守がきっと奪還してくれますよ。現に高句麗に捕らわれていた私をこうして取り戻してくれたのではありませんか」
と力強く言った。
先王の時代、現王の二人の弟は高句麗と倭国に連れて行かれた。表面上は友好のために招くという形を取っているが、実質的には人質だった。
王が即位した時、二人の弟を絶対、取り戻そうと決意した。そのために、王権を強化し、国力を高めた。
そして、昨年、ついにこの思いを実行に移すことにした。
王は、宴席を設け、弟を取り戻せる能力のある人物はいないだろうかと、臣下たちに訊ねた。
「朴太守がいいのではないでしょうか」
臣下の一人が言った。
朴太守は王族の末裔で、現在、地方官をしていた。文武両道の優れた人物として評判だった。
王はさっそく彼を王宮に招いた。
「二人の弟とは長い間、連絡も取り合えず、本当に気掛かりである。彼らのことを思うと夜もよく眠れなかった」
王がこのようにこぼすと朴太守が
「我が命に代えてもお二人をお連れいたします」
と言い、その場を辞すと高句麗に向かった。
朴太守は高句麗王に会って直談判しようと使節団を作った。
彼らが高句麗につくと、すぐに謁見が叶った。
太守は、「大国になった貴国が我が国の王子を人質にしたところでさほど意味が無いでしょう」と説得にかかった。
太守の言い分を一通り聞いた王は「よかろう」と言って、その場で宝海を解放した。
喜びを分かつ間もなく、宝海一行は祖国に旅立って行った。
朴太守一行が無事祖国に着くと、朝廷から一般庶民まで多くの人々が出迎えてくれた。
王は夢にまで見た弟に会えたことを心底喜んだ。
互いに抱き合う兄弟を確認するや否や、朴太守はそのまま倭国に向かった。
高句麗とは全く異なる倭国とは、交渉は困難と考えた太守は、別の方法を取ることにした。
彼は倭国の言葉が分かる者と数名の供を連れて倭国の海岸に上がった。
集まった人々に、自分たちは新羅から亡命して来たと告げた。
すぐに役人のような人物がやって来て一行を王宮に連れて行った。
王宮に連れて行かれ、王の前に平伏した太守は訳官を介して次のように言った。
「自分は新羅の王族だが、親兄弟が無実の罪で殺され、自分も命からがらこの地に逃げて来ました」
王は彼を気の毒に思い、屋敷を与えて居住を許可した。
屋敷に行って見ると青年と侍女らしき年配の女性が出迎えた。
「美海さま!」
青年が王弟であることはすぐに分かった。朴太守が最後に美海を見たのは十歳前後のことだったが、面影が残っていたのだった。
「朴おじさん!」
美海は新羅語で呼びかけた。
二人は抱き合い、再会を喜んだ。
屋敷内に入ると、太守は美海に人払いするように促した。
二人っきりになると、
「お迎えに参りました」
と太守が口を開いた。
予想外の言葉に美海が黙っていると太守は続けて言った。
「兄君の宝海さまも高句麗から戻り今は新羅にいらっしゃいます。主上は美海さまの身を案じ、一日も早く兄弟三人で暮らすことを望んでいらっしゃいます」
「兄上たちは私のことを憶えていらっしゃるのですね」
「もちろんですとも、私が絶対に美海さまを故郷にお戻しいたします」
それから、毎日、太守は美海のもとに行き、共に過ごした。
その間、太守は美海の周囲にいる護衛〜というより見張り役の倭人兵たちを手懐けていった。
太守が来てから一年ほど経ったある日、太守は美海を海釣りに誘った。
美海の舟には太守の配下の新羅人と美海に従って倭国に来た侍女と太守自身が乗った。
沖に出ると太守は後から来た小舟に乗り移り、舟を漕いでいた新羅人が美海の舟に移った。
太守は漕ぎ手に言った。
「早く行きなさい、新羅の船が迎えに出ています」
「おじさんは行かないのですか」
美海が不安そうに問うと
「私は後を追います、美海さまは取り敢えず先に行って下さい」
と応じた。
美海たちの舟は、遠ざかって行った。そして太守の舟は戻っていった。
陸に近付くと倭人兵たちの乗った舟が現れた。
「私は新羅の王子を逃しました。罪を犯したので捕らえて王宮に連行しなさい」
兵士たちは困惑してしまった。この一年、兵士たちは 様々な面で太守の世話になった。家族の病気を治療してもらったり、新しい技術や学問も教えてくれたのである。
「太守さまもお逃げになって下さい」
兵士の一人が言うと
「そうしたら、お前たちが困るだろう」
と応じた。
兵士たちは泣く泣く太守を捕らえた。
王の前に引き出された太守は、拷問や懐柔にも応じず、遂に生命を落とした。
美海一行は無事に新羅に到着し、王と兄は二十年近く離れ離れになっていた弟との再会を喜んだ。
「で、朴太守はどうしたんだ」
王が聞いた。
「後ほど追って来ると言っていました」
「そうか、太守が帰ってきたら慰労を兼ねた祝宴を開こう」
王は嬉しそうに言うのだった。
だが、祝宴は開かれることはなかった。
帰らざる忠義 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
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