第6話 耽美主義
女将から、探偵小説のリアルな内容をその後に聴いたが、ひろ子が考えた内容と、ほぼほぼ同じものだった。
核心部分の密室というのも、大まかなところで考えてしまうと、必ずどこかにぶち当たる。
そうなると、事件が真相に近づいたとしても、自分の中で、
「こんなことはない」
と打ち消してしまうところが出てくるのだ。
特に、これをリアルな事件ではなく、探偵小説だと考えると、どこまでが本当の事件なのかということを考えてしまう。
そこで、小説とリアルなところで、その違いが、事件の究極な発想を妨げてしまうだろう。
探偵小説家を目指していた時代があったひろ子だからこそ、分かる部分があった。今でこそ、フリーライターであるが、取材をしながら、何かのヒントがあれば、メモに取っておく。
そのメモというのは、
「探偵小説もネタ帳」
であり、フリーライターのような仕事をしていると、昔の風習や、その街の伝説などが聞かれることで、いかにも、探偵小説の舞台さえ出来上がれば、いかに事件を解決に導くことができるかというものの、
「部品」
を、書いておくという意味での、
「ネタ帳」
であった。
今回の女将の話は、正直、自分が書きたいような話だった。
しかし、材料とすることはできるかも知れないが、ネタとしては使う気はしなかった。
それだけ、リアルな内容であることで、いわゆる、
「著作権」
というものは、女将にあるということで、そう思っていると、
「この事件を女将はリアルな事件だというが、実は女将が自分で考えたネタであり、それを他の人に挑戦するという、いわるる「挑戦状」というものを叩きつかれたかのように感じるのであった」
しかし、女将とすれば、挑戦状をたたきつけたのに、結果としては、見事に謎を射抜かれてしまった。
普通に考えれば、
「女将の負け」
であり、女将の悔しがるところを想像できると思うのだが、女将が負けたという感覚よりも、
「謎を解かれる前提で、私に話をしているような気がした」
と、後から思えば、そんな風に感じたが、それは、
「そろそろいい加減に一人くらい謎を解いてくれる人が現れてもいい」
という思いがあったからではないだろうか。
その思いがあったことで、女将は知らず知らずのうちに、ひろ子に、ヒントのようなものを与えていたのかも知れない。
ひろ子自身は、そこまでの圧は感じなかったが、女将の思いが通じたのは、間違いないと思った。
「女将には、女将の思惑のようなものがあるのかも知れない」
と、ひろ子は感じたが、
「時代設定にしても、話の内容、あるいは、トリックを強調したところなど、ひろ子が、自分なら、こう書くという発想があったのではないだろうか?」
だから、女将に先ほどのような、
「他の人がどこまで近づくのか?」
ということを聞いてみたかったのだ。
これはあくまでも、
「自分だから事件が解けた」
という自慢から来ているものではなく、自分が辿り着いた回答の信憑性を確かめたかったからである。
「一歩間違えれば、私も、袋小路に入り込んでいたんだ」
と思うと、その違いがどこにあるのかを、知っておきたかったというのが、本音であった。
今回の事件の話は、確かに、時代が古かったことで、
「今ではありえない」
というような犯罪。
そして、そこに、猟奇殺人のようなものが潜んでいることで、トリックが、この場合では密室トリックであるが、どちらかというと、その発想が、矛盾しているかのようなストーリー展開を、女将が叙述することで、いかにも、事件のリアリティが生まれてくるという意味で、それはそれでよかった。
そもそも、本を読んで、その世界観に引き込まれるのがm事件の本質に入っていくことであるが、ひろ子は、そこまで自分で理解していると思っていて、そういう意味でも、
「これを自分が、小説として、描いてみたい」
と思うことでもある気がしていた。
だが、そんな中で、
「これは女将の小説だ」
という心の中のギャップのようなものがあり、そこで沸き起こる葛藤からか、どうにも、消化不良な気持ちになってくるのを感じた。
そのため、
「実に不謹慎である」
と感じながら、
「事件が本当に起こってほしい」
と思うくらいに、なっていたのだ、
だが、さすがに本当に事件が起こってほしいと思っているわけではない。むしろ、
「架空の事件を、自分で書いてみたい」
と思うのであった。
そういう意味で、編集長がくれた4日という期間が、最初は長いと思ったが、今では、
「中途半端だ」
と感じるようになった。
ただ、それはあくまでも、ネタを仕入れるという意味での4日間であり、実際に書こうとするのであれば、ここに、客としてやってくる方がいいと考えたのだ。
原稿を出版社に上げて、この仕事をいったん終わらせておいて、客としてやってくる。
その時は、
「文豪が、馴染みの温泉にやってくることで、缶詰のようになって、作品を書き上げる」
という雰囲気になるのだろうが、ひろ子は、もっと気楽に来てみたかった。
小説を書くということが、確かに自分の中で、どれほどまだ、忘れられないものなのかということを確かめたいと思うのだった。
4日間で、しっかり取材をして、抜かりなく、原稿を書き上げ、それを出版社に提出することで、今回の仕事を終えることができた。
しばらくは仕事が入っていないということもあって、この温泉に、今度は客として、宿泊することにした。
期間としては、まずは、10日間。自分の中で、
「延長可」
だと思っていたのだった。
女将さんも、
「まぁ、ひろ子さんがまた来てくださるというのは、ありがたいことですわ」
ということで、
「とりあえずは10日を考えていますが、ひょっとすると、もう少し長くなるかも?」
というと、
「それは、もちろん、ありがたいことです」
といって、女将も、まんざらでもないと思ってくれているようだ。
今のところ、客は数名は入っているようで、それらの客は、ほとんどが常連だという。
前の4日間の間でも、確か同じ人が泊まっていたような気がしたくらいで、それだけ、
「やっぱり、常連で持っているお店なんだ」
ということであった。
一つ気になったのが、前の時も、今回も泊っている客の名前が、
「馬場崎」
という名前だということであった。
この間の探偵小説のような謎解きに出てきた名前と同じではないか。
確かに、昔の事件とはいえ、本名を使うわけにはいかないだろうが、かといって、実在する人物の名前を使うというのは、それこそまずいということであろう。
ただ、常連ということもあって、馬場崎という人が、女将が話す内容で、
「俺の名前を使ってくれるのは嬉しいな」
というほどくらいまで、仲がいいということであれば、それはそれでいいことなのだろう。
そういう意味で、
「馬場崎さんがいるんだったら、穴山さんもいるんじゃないだろうか?」
と考えた。
馬場崎さんも珍しい名前であるし、穴山という名前も、そんなにないだろう。
「そういえば、戦国時代に、穴山道雪などという武将がいたっけ」
というくらいの知識しかなかったが、本当にいるのであれば、
「お目にかかってみたいものだ」
と感じるのであった。
女将の話す事件では、穴山も、馬場崎も、ともに死んでいたということだった。
事件の発覚が、穴山の死であったが、
「馬場崎の死がいつだったのか?」
ということが、あの事件の根幹だったのではなかったか。
今から思えば、
「よく解けたものだな」
と感じるほどで、
「一度ニアミスをすれば、却って、自分の中での思い込みが、空回りをしてしまい、事件解決にまで、行きそうでいかないという、袋小路が待っているのだろう」
と、ひろ子は感じた。
ひろ子は、今回の事件を考えた時、今度は違った意味での袋小路に入ったような気がした。
以前女将が話してくれたストーリーと、その謎解きは自分の中でシュールすぎて、感覚が思い込みになっていることで、アイデアが、今度は浮かんでこないような気がした。
「密室トリック」
というものが、いかにうまくいくものかということを考えるのだった。
似たようなトリックはいくらでもあるのだが、
「どうせなら、不可能と思うような犯罪にしたいと、思うようになってきた。
実際にどんなトリックがいいのかということを考えてみると、
頭に浮かんできたことが一つあったのだ。
確かに不可能と思える犯罪ではあるが、だったら、それをどのように描けばいいのかということを考えると、それを形づくるのは難しい気がした。
だが、今回の犯罪のトリックを考えた時、やはり、女将の話した事件内容に結びついてくることが分かった気がした。
それにしても、女将から聞いた事件を、もう一度思い返してみることから考えてみた。
「私に私は、この事件に対して閃いたのは、自分でも、ビックリしている」
と感じたのだ。
女将は、ひろ子が、
「小説家のタマゴだ」
ということを分かってか、ヒントをくれたのかも知れないと思った。
確かに、
「私は、小説家になりたいと思っているけど、編集長も、そのことが分かっているから、ここで話を聴かせてくれるのを分かって、取材させてくれたのだろう」
それを思うと、編集長が、ひろ子を意識していることは、よくわかったのだ。
「女将の話を思い出していると、あの話が、昔のトリックを使ってのことだったことで、自分が好きだった探偵小説を結びついてくることが分かったのだ。
しかし、それ以上に、女将の聴いたというトリックであったり、事件の真相が、どこまでが本当なのかと疑問に感じるほどだが、
だからといって、事件が解決できるのかどうか、自分でも分からなかった。
もちろん、女将は、最後には、分からなければ、謎解きはしてくれたのだろうが、女将も、編集長も、
「この謎が解ける人は、まずいないだろう」
と思っていた。
ひろ子は、事件のことをいろいろと考えてみたようだが、すぐに浮かんでこない新たな小説に、頭を悩ませていた。
発想としては、
「女将の話とは、逆から見て見えてくるものではないのだろうか?」
と考えた。
私って、閃く時は閃くんだけど、ダメな時はからきしダメだ。
と思っていた。
しかし、これは、自分だけにいえることではなく、他の人にも言える。
むしろ、たくさんの人が、うまく発想できないことであり、女将さんも、ひろ子の謎解きに、彼女の中で理論が繋がってきているということを分かっているようだった。
いや、
「ああいう形で繋がらないと、ずっと繋がらないのかも知れないな」
と女将は思っただろうし、
「ひろ子さんも、同じことを考えているのかも知れない」
と感じるのであった。
うまく発想ができないというよりも、ある程度のところまでくると、頭が痛くなってしまうかのようで、まるで記憶喪失の人が、意識を取り戻そうとしているかのような雰囲気に感じるのであった。
「私、何か体調が悪いのかしら?」
とも感じられたが、温泉にも入れるし、食事もおいしいし、自分の発想がまったくうまくいかないことを、
「体調のせいにしていいのだろうか?」
と考えるのだった。
ホロ湖は、一つのことを考えるのに、どちらかというと、全体を見るというよりも、一つ一つのことに自分なりに疑問を持って、それを解決していく方であった。
だから、女将の話を聴きながら、メモを取っていた、箇条書きのようにしながら、決して時系列ではない話をいったんメモに書きながら、最後に、それをまた時系列で並び替えるというやり方をしていた。
すると、その中で起こってくるであろう疑問を、書き出していくと、そこから見えてくる疑問はいくつかあり、それをまた書き出していく。そしてさらに、その疑問に対して、ひろ子は、自分の発想をぶつけていくのだった。
ひろ子は、その時に、
「絶対にありえない」
という話になっているものを、
「いや、あり得ないと思うのは、物理的に無理だということを自分で思い込んでしまっているからだ」
と考えるのであった。
物事を逆に感じることで、不可能も、可能になるということであった。
これが、探偵小説などであれば、
「なんだ、こんなくだらないことか」
ということで、使わないトリックも、
「いやいや、現実であれば、これだって、十分なトリックになる」
というものだってあるだろう。
つまり、頭が硬くなっていると、分かるかも知れないと思うようなトリックを見逃してしまい、真相に辿り着かないということがあるのだ。
と考えたことがあった。
それが、探偵小説を書きたいと感じたひろ子が、昔の明らかに時代の違う今の時代に感じるという、
「ギャップ」
というものだったのだ。
その事件が起こったという時代背景と、ひろ子が読み漁っていた探偵小説の時代が、実に同じ時代であった。
女将は、その時代の小説を、ひろ子が熟読していたということを、分かっていたわけではないので、
「まさか、彼女が、こんなにすぐに事件を看破できる」
と思ってもいなかったであろう、
「時代背景は、昭和30年代くらいで、警察の科学捜査がどこまでできていたのかということが分からない時代では、犯罪に関しては、今の時代のような、ほとんどの犯罪は不可能ではないか?」
というくらいになっていることで、
「犯罪を犯しても、すぐに捕まるだろう」
ということであった。
探偵小説の頃にいわれていたトリックというと、
「密室トリック」
「死体損壊トリック(顔のない死体のトリック)」
あるいは、
「一人二役トリック」
「アリバイトリック」
などがあるだろう。
それらのトリックには、それぞれに今の時代では不可能とされるものが、ほとんどである。
いたるところに置いてある防犯カメラなどの映像から、密室トリックであったり、アリバイトリックなるものは、ほとんど不可能に近い。
さらに、科学捜査の発展によって、
「死体損壊トリック」
というのも、指紋や首を切り取ったとしても、親族によるDNA鑑定により、被害者の特定もできなくはないだろう。
となると、一人二役トリックというのも、基本的には無理であり、この犯罪は、
「トリックが一人二役であるということがバレてしまうと、犯罪としては成立しない」
ということになる。
捜査が進むと、科学捜査や防犯カメラの映像などから、
「この犯行も、実は無理なんだ」
ということも分かってくるだろう。
そんないろいろな犯罪があったが、それを見えている範囲で、どの犯罪が、今回の、
「宿題」には含まれているかということを考えさせられるのである。
宿題の中で、特に今回は、
「密室トリック」
というのが、一番のミソのように見えるけど、それを隠れ蓑にして、他のところに、ミソの部分を表していると思うと、何となくであるが、事件の全容が見えた気がしたのだ。
だが、ひとつ気になったのが、
「加害者と思われる人物が、行方不明になっている」
というところであった。
この時、行方不明になった人がいて、見つからない。
つまり、最重要容疑者が見つからないということを考えると、
「この男は、すでに殺されているのではないか?」
ということに気が付いた。
そして、この人物が、被害者に対して、一番の殺害の動機を持っていると思うと、普通であれば、
「被害者を殺して、逃げている」
と思われるのだろうが、忽然と消えてしまったのだと考えると、
「待てよ?」
ということになるのだ。
つまり、
「馬場崎という男を犯人だと思い込むことで、警察はトラップに引っかかる。どうしても、被害者を殺したいというほどまでの、強い動機を持っているのは事実なのだが、馬場崎という人物の性格などは、今の話の中で語られていない」
「もし、私がそのことを聞いたら、女将さんはどう答えたんだろう?」
とひろ子は考えた。
「女将さんは、正直に答えてくれただろうか?」
と考えたが、
「では、この場合の女将さんの正直な答えとはなんだろう?」
「馬場崎の動機は、そこまで、強いものではなかった」
と答えたが、
「いや、非常に強いものだったと答えたであろうか?」
それとも、
「そんなに強いものではないと思うけど、その感情は本人にしか分からない」
と答えるかであろう、
正直という意味で言えば、最後の、
「本人にしか分からない」
というのが、当然の答えであり、その答えには二つの意味が含まれる。
「本人にしか分からない」
というのは、馬場崎はそのまま行方不明のまま、ずっと今のその行方が分かっていないということか、
それとも、
「本人は死んでいて、聴こうとしても、死人に口なしで、気持ちを確かめることはできない」
ということなのかということであった。
ひろ子は、それを考えると、可能性としてであるが、
「すでに死んでいた」
と考えるのが、一番だと思ったのだ。
しかも、もし、犯人が馬場崎だとすれば、このホテルを使うことに何の意味があるというのか、
「密室を作ることで、密室トリックを強調したい」
と考えたのだとすれば、
「策に溺れる」
と言えないだろうか。
一つ今回の殺人で、言えることは、真犯人が、馬場崎に対して、殺すだけの決定的な動機を持っているということだ。
つまり馬場崎は、被害者に対しての恨みがあるので、被害者しか見えていなかったが、実は、
「馬場崎に対して決定的な殺害動機を持っている人がいるとすれば、本当の目的は、馬場崎の殺害であり、ここでの穴山が死体で発見されたというのは、穴山は、事件に巻き込まれたというか、穴山も死んで当然の人間ということで、真犯人は、カモフラージュのために、穴山を殺したとしても、無理はない」
ひろ子はあそこmで考えて、女将が、最初に出したひろ子の答えを正しいと言ったが、ところどころ無理があり、結果、
「女将がこちらの推理を正しいと思い込ませようを考えているのではないかと思うのだった」
それを考えると、
「この事件に、女将は大きくかかわっているのではないか?」
と思った。
例えばパートで掃除婦をしていたことを利用して、合鍵を造り、カモフラージュの犯罪を演出したということである。
女将さんに限らずであるが、小説家には、作家が作品を使って、読者を、
「トラップにかける」
ということで、
「叙述トリック」
というものある。
ただ、探偵小説の中には、
「ノックスの十戒」
と呼ばれるものがあり、基本的に、
「探偵小説作家としてやってはいけない」
ということがある。
たとえば、
「犯人は、物語の最初に登場しなければいけない」
あるいは、
「超自然能力、つまり超能力を用いた犯罪、秘密の抜け穴などが、二つ以上あってはいけない」
などというもの、さらには、
「偶然や、第六感のようなものが当たって、事件を解決してはいけない」
ということもある。
そして、最後には、
「双子・一人二役はあらかじめ読者に知らせられなければいけない」
ということであるが、最後の場合は、
「読者に予見できるだけの内容を示す」
ということである。
結果、それが、
「一人二役である」
と予見されたとしても、それは仕方がないこと、それ自体が、事件解決になるからということである。
この場合は、女将さんがあたかも、ひろ子が、
「推理を正しい」
というようにほのめかしているだけで、
「本当にそれが、正しい」
ということを言っているわけではない。
そういう意味では、現実に、相手を騙したということになるわけではないが、女将が、どういうつもりで、ひろ子の推理したことを、
「正しい」
と判断したのだろう。
それを考えると、ひろ子にとっては、
「自分に叩きつけられた挑戦状を、見事に跳ね返したかのようで、嬉しいではないか?」
と感じたことは、
「自分が、これから探偵小説作家としてできるかどうかということを、認められたようで、最初に書けるようになって、本当に最初の頃に、人から初めて褒められた」
などということがあると、
「これからも、小説を書き続けてもいいんだ」
ということを感じるに違いない。
そのことを考えると、自分が、解いたと思った謎が、
「どこまで正しかったのか?」
ということが分かるわけではない。
と考えるのだった。
女将は、それからも、
「いつでも、泊りにきてね」
といってくれた。
有頂天になった。ひろ子は、自分がまるでプロの小説家となり、
「温泉地に籠って小説を書いている」
という、文豪になった気がしたのだ。
温泉では、女将の出した、
「宿題に答えられた」
という意識があったことから、
「温泉に浸かっているだけで、いろいろなアイデアが浮かんでくるような気がした」
しかし、ひろ子にとっては、何も女将の設定したストーリーと、女将が考えていた解決とが同じであるかどうかは関係なかった。
それはあくまでも、
「模範解答」
の一つということであり、女将が設定している回答よりも優れている回答があり、ある意味、その素晴らしさで、自分が、その回答に酔ってしまったとしても、それはそれで納得できることだったのだ。
そういう意味で、ひろ子の回答は、女将の発想を逸脱していたのかも知れない。ただ、女将の用意した模範解答ではなかったことは、女将の最初の態度を見れば、ピンとする人はきただろう。
しかし、女将が模範解答を自分で考えたということを知っている人はいない。だから、ここで気づいたとすれば、それこそ、超能力者ではないだろうか、前述の、
「ノックスの十戒」
という意味でも、
「超自然能力を事件の解決に使用してはいけない」
ということになるのであった。
そういう意味でも、ひろ子の謎解きは、女将にセンセーショナルを巻き起こし、ひろ子自身も。自分に自信を持つことができたということでは、お互いによかったということであろう。
ひろ子は、そんなことを考えながら、また、この温泉にやってきたことで、
「作家として、今一度頑張って挑戦してみよう」
と思ったのだ。
完全なアイデアを持っているわけではないが、これまでにいくつかのアイデアをメモにまとめてきているので、
「それを生かせる時がきた」
と思うのだった。
そういえば、昔読んだ探偵小説の中で、死体が見つかるというパターンの中で、よくあるものとして、
「温泉地などの奥の方に、滝があり、その滝の近くにある祠のあたりで、女性が死んでいる」
というシチュエーションがあったような気がした。
もちろん、自殺の場合もあるだろう。
昔のような、理不尽なことばかりだった時代を思えば、好きな人と結婚できないところか、食べていくためという理由だけで、どこかに売られるということ、さらに、もっと古い時代などは、今の時代からは信じられないことであるが、
「お城をつくるためも、人柱」
ということで、何ら落ち度もないのに、ただ、
「キレイな娘」
というだけで、都市伝説として、生き埋めにされるという、信じられないこともあるのだった。
そんな時代に、人柱に決まってしまった娘であれば、世を忍んで、自分から命を絶つということもあるだろう。
もっとも、死ななければいけない人などいるはずもなく、今であれば、
「なぜ、こんなことが、平気で行われる?
ということである。
お城普請に関しては、工事責任者としての、請け負っている人たちは、完成すると、その秘密をばらされないように、謀って、秘密をばらされないようにするということを理由に、建築後に、暗殺される。
ということは、当たり前に行われていた。
それが、
「昔の時代における、秘密を守るため」
ということで露骨に行われていた。
しかし、今のアニメや漫画では、
「そんな理不尽なことはいけない」
として、それらのことを、
「成敗する」
という番組が流行ったりした。
いわゆる、
「勧善懲悪」
というやつである。
奥にある滝では、このあたりにもいくつもの伝説があるようで、それを思わせるように、滝つぼの横には、祠が建っている。
「あの祠が、本当に昔の伝説通りなのかということは、今いろいろ、研究が進められているところです。だから、時々、この宿には、昔のことを研究されている偉い大学の先生とかが、時々お泊りになることがあるんですよ」
と女将さんは話した。
ひろ子は、女将さんの話を聴いていると、どうしても、前の時の謎解きを思い出すせいか、ついつい、言葉の端々を読み取ろうというくせがあるようだ。
そのことを考えると、
「どうも、私はここの女将さんから、洗脳されちゃったのかも知れないわ」
とばかりに、
「やれやれ」
とばかりに、頭を掻いてしまうのだった。
ただ、女将さんが、
「勧善懲悪的な性格である」
ということは間違いないようで、人が殺されるという理不尽なシーンになると、その声が一気にヒートアップしているように思える。
もちろん、ただの演出だというだけのことなのかも知れないが、本当にそれだけではないような気がするのだった。
また、この祠の奥には、何やら隠し扉ができているというウワサもある。
ここの祠には、
「任天堂」
という名前がついていて、近くにある城の天守に繋がっている。
というウワサが、実しやかに囁かれているようだ。
それも、信憑性としては、かなり高く、実際に、任天堂の奥から少し入ったところに、洞窟が続いているのが分かるという。
ただ、その洞窟は、途中から、まるで何かに爆破されたかのように、塞がっている。城の側から研究をしている大学の研究チームの発表で、
「この城は仁和の時代に制定された、一国一城令に基づいて、天守を破壊、それに伴って、抜け穴も一緒に破壊された」
ということであった。
だから、通路は、途中から、石で埋まっていた。だから、ここに石が存在するようになってから、すでに、400年以上が経っているということだったのだ。
時代は400年を経た今の時代でも、この滝つぼには、人の死が絡むような事件が脈々と受け継がれてきたのである。
最近になってからの事件というと、そのほとんどは自殺であり、殺人事件というものは、ない。
それを思うと、祠の近くに小さな石を組み合わせたような、墓碑がいくつかある。その墓碑について、
「あれは、祠が、お城の抜け道になっていたということで、ある意味縁起が悪いということを言い出した人がいて、自殺者の供養のためには、祠とは関係のないものにしようということになったのだが、何しろ時代が時代で、墓を作ることもできない。それならばということで、小さな墓碑銘を作ることにしたというわけなんだけど、その墓碑銘は、それから、数十年という月日が経っているにも関わらず、朽ちることはないんですよ。だから、ここには神のご加護があるのだと言われるようになって、密かに参りに来ている人もいるというわけです」
ということであった。
女将のその話を聴いて、
「なるほど、いろいろな言い伝えがあるんですね。確かに、ここの環境は、自殺する人が絶えないというのも分かる気がします。でも、皆よくここの存在を知っているものですよね。口伝えで伝わったんでしょうかね?」
とひろ子は訊ねた。
確かに、滝つぼに、祠に、お城からの抜け穴。そこに佇む小さな墓碑銘。
その中には、曰くのあるものもあるに「違いない。
言い方を変えれば、このような、
「昔の因縁」
であったり、
「今の時代の殺伐とした世の中と切り離された場所」
というのは、今のような、あまりにも、実際とは違いすぎる雰囲気が、生々しく感じられた。
殺伐とした今の時代の世の中とは確かに切り離されてはいるが、それは、何も、
「ここが極楽浄土のような、夢のような世界」
というわけではない。
世の中と離れているだけに、この場所を、
「最後の地」
として選ぶ人が多いのだ。
死を覚悟した人は、死に場祖というのに、こだわるのかも知れない。
ペットとして飼われているような動物の中には、
「飼い主に死に際を見せたくない」
という思いからか、最後の力を振り絞って、飼い主から離れ、自分の死に場所を求めるという、何とも健気な動物だっているのだ。
それを、考えると、人が自殺を考えるのも、
「死に場所を選ぶ」
というのも、分からなくもない。
生き続けるということに限界を感じた人が行き着く先は、死後の世界であるが、そのために、この世に有終の美を飾ろうというのか、それとも、この世に自分の爪痕を残そうという考えなのか分からない。
ただ、生き残った人から考えると、
「死んだ人間が自分にとって、どれほどのかかわりがある人なのかに関わらず、悲しみはそれほど続くものではない」
と言えるだろう。
確かに、悲しい時は、人によっては、
「後追いで自殺もしかねない」
ということで、見張りがつけられるくらいの人であっても、一定期間が過ぎると、自分が生きているということに違和感がなく、生き続けるのだ。
それだけ、人間は、どんなに大切な人であっても、どれほどの思いで、死を選んでいった人なのかということであっても、自分の生き方に変化を与えることはないといえるだろう。
しかし、それでも、死に場所を選ぶというのは、生き残った人に対して、自分の思い出が生きていくうえで大きな影響をもたらすということはないだろうということである。
それを考えると、ひろ子などは、
「人知れず死ぬ人の気が知らない」
と思っているのであった。
だが、死を選ぶのに、
「自殺の聖地」
を求めてか、
「自殺の名所」
と呼ばれる、全国に一定数ある場所で自殺を試みるのだ。
見事本懐を遂げ、
「キレイな死に方」
ができた人は、まるで、昔の武士にとっての、
「切腹」
のようなものではないだろうか?
昔の武士は、斬首と呼ばれる処刑であったり、相手に討ち取られたりする前に、自らの恥を晒しまいと、
「自分から腹を切る」
という
「切腹」
というものがあるのだ。
それが、武士にとっての美徳。そう、
「耽美主義」
というものに、近いのではないだろうか?
耽美主義というのは、優先順位において、何よりも、
「美」
というものを優先し、尊重するというものである。
要するに、道徳観念やモラル、さらには、それが犯罪であっても、美を追求するという、一種の、
「究極の主義」
といってもいいだろう。
それを考えると、日本古来からの文化は、
「耽美主義」
というものに特化していたともいえるかも知れない。
もちろん、諸外国にも、日本人の想像も及ばないような耽美主義的な発想もあるのだろうが、日本においての、
「死」
というものに対しても特化した耽美主義は、そうもないだろうから、さぞや、諸外国では、日本人が考えるよりもさらに、
「耽美」
として称えるのではないだろうか?
ただ、それはあまり気持ちのいいものではない。
日本人が耽美を称えるのであれば、それはいいのだが、実際に感覚も分からないくせに、わけもわからない外人が、
「ハラキリ」
などといって、日本文化をバカにしているのを見ると腹が立つというものだ。
それこそ、日本文化への冒涜であり、もっと日本人は、腹を立てるべきなのではないだろうか?
それだけ、諸外国から、バカにされて、下に見られているということを分かっていないということであり、嘆かわしいことである。
耽美主義において、考えていると、祠の横のいくつかある小さな、墓碑銘の中に、少し大きな石が置かれているのに気づいた。ほとんどが、新しい石なのだが、この石だけは少々小さく、名前も消えかかっている。それが気になって、女将さんに聞いてみると、女将さんが、また、事件の話を始めたのだ。
「ああ、あの石は、本当はあの中でも新しい部類の石だったんだけどね。なぜか、すぐにあんな形になってしまったんだよ。それには少し曰くがあってね」
と言い出したのだった。
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