冬山にて

清原 紫

第1話 漆黒の少女 ver.2.0

「お前が吸血鬼のルル・ストーカーだね?」


 今から60年ほど前、ルルはその老婆に初めて会ったにもかかわらず、名前と正体を言い当てられた。


 ◆


 夜、彼女は漆黒のロングコートをはためかせながら、渓谷に沿った小路を大型バイクで疾駆していた。


 彼女の相棒は「ホンダ CB1100 RS」。全長が2.18m、重量は252kg、排気量1,140ccという小柄な少女には不釣り合いな代物である。このバイクはとある故人から譲り受けたものだったが、そのエンジン音に惚れてしまった。


 加速する度に低く響くエンジン音は、バイクの歓喜であるような気さえした。ボディにぴたりと身体を密着させて、速度を一気に上げる。500年にわたる人生の後悔をすべて置き去りにできるような気がした。しかし彼女の表情はフルフェイスヘルメットに遮られて見えない、悲しみなのか喜びなのか……。


 夕暮れを待って都市部から北へ向かった。最初こそ道も広く舗装されていたが数時間もすると、路面も荒くなり、街灯も疎らになってくる。道も未舗装になり、ケモノ道しか残っていないような場所でバイクは停められた。


 彼女がバイクからゆっくり降りる。使い込まれた黒のライダーブーツに包まれた両足が軽い身のこなしで地面につく。身体は華奢で、背も高くない。160cmほどだろうか。ヘルメットを脱ぐと、なかに収まっていた艶やかな銀髪がさらりと垂れた。まだ幼さの残る少女の顔が見えた。


 周囲は鬱蒼とした山に囲まれている。彼女はバイクに腰掛けるようにして、グローブを外すと白い息を吹きかけた。ロングコートのポケットからピースを取り出して、火をつけた。暗い夜空に白い煙が立ちのぼる。


 夜空は重く、雪でも降り出しそうだ。それを眺めつつ、彼女はバイクにくくりつけられたバックからウイスキーの小瓶を取り出して一口飲んだ。ゆっくりした動作でバイクを押しながら、山奥へと歩みを進めた。


 彼女は回想する。

 吸血鬼狩りたちから逃げるように日本に来たのだった。しかしここでも吸血鬼狩りに襲われ、銃弾を撃ち込まれ、行き着いた先で老婆に出会った。


「随分と来るのが遅かったじゃないか、来ないかと思って心配したよ」


「あなたには私が来ると分かっていたのですか?」


「まぁね、話はなかでしようじゃないか」


 ルルはとにかく休みたかった。なぜ老婆が自分のことを知っているのかは気になったが、もし危害を加える気なら、出迎えなどしなだろうと自分を納得させた。


 出された座布団に座ろうとして、左太股全体が血まみれであることに気が付いた。


「ひどい傷だね」


 たしかにこのまま座れば、座布団が汚れてしまう。ルルは謝った。


「手当をしなくちゃならんだろってことを言っているんだ。いちいち謝らなくていいんだよ」


「恩に着ます」


 ルルは正常に思考が働いていないことに気が付いた。彼女は吸血鬼であるから、銃弾くらいでは死なない。しかし痛みは感じる。何度も気を失いそうになりながら、ここへたどり着いたのだった。


「傷を出しな」


 ルルはズボンを脱ぐと、病的に白い肌が露出した。老婆は太股をなで回した。老婆の方をよく見ると、目が白濁している。


「その目で見えるんですか?」


「いや、見えない。だが、分かるんだよ」

 老婆は低く笑った。


「ちょっと痛いよ」


 老婆は火箸を持ってきて、無造作に傷口に突っ込んだ。グチャグチャと傷口がかき回される。こんなことなら自分でやった方が良かったとルルは後悔したが、遅かった。


 痛みで脂汗が垂れそうになる。


「取れたよ」

 老婆はまた笑って、包帯のような布で傷をしっかりと縛る。その際にも痛みにもだえるルルの様子をどこかからかっているようだった。


「少し休むといい」

 老婆はそう言って、布団を持ってくれたのでありがたく使わせてもらった。




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