浪人生の俺、今日も怠惰お姉さんの自宅で自習する

古野ジョン

第1話 放課後、お姉さんの家に行く

 俺はいま、猛烈に数学の問題を解いている。あと一問終われば、今日の分のノルマは達成だ。よし、あと一息――


「マサく~ん、おせんべい取ってくれよ~」


 ぼさぼさ頭から、気の抜ける声が聞こえてきた。そう、俺が今いるのは――予備校の「先輩」である、中嶋恵なかしまめぐみことケイさんの自宅なのだ。


「ケイさん、自分で取ってくださいよ。ていうか勉強して」


「やだよ~、寒いよ~」


 ケイさんは布団にくるまれたまま、ベッドの上でじたばたと駄々をこねていた。俺はベッドの前に置かれたちゃぶ台の上に参考書を置き、問題を解いている。ケイさんはというと、俺が来てからずっと布団にくるまっていた。


「寒いって言っても、もう六月ですよ。起きてください」


「梅雨は寒いの~~」


 俺は仕方なく、ちゃぶ台に置いてある個包装のせんべいを取ってやった。渡そうとすると、ケイさんはぷいっと横を向いた。


「袋剥いてくれなきゃ、やだ」


「どんだけわがままなんですか」


「いいから、開けてよ~」


 やれやれと袋を開けてせんべいを取り出すと、ケイさんが「あーん」と口を向けてきた。その傍若無人ぶりにせんべいを割りたくなるが、目の前の端正な顔立ちに心が惹かれてしまう。結局、俺もせんべいを差し出してあげた。まるで同棲中の恋人のようだが、あいにく俺もケイさんも身分無しの浪人生である。


「ケイさん、勉強しなくていいんですか?」


「ふふん、私は頭がいいからね」


「じゃあなんで二浪してるんですか」


「あ、いじわる~」


 ケイさんはぼりぼりとせんべいをつまみながら、むーと頬を膨らませていた。俺は勉強に戻ろうとしたが、その時ふたたびケイさんが口を開いた。


「マサくん、おかわり」


「え?」


「おかわり、取って」


 彼女は布団にくるまれたまま、なんと二枚目を要求してきたではないか。今度こそせんべいを粉々にしてやりたいところだが、俺は妙案を思いついた。


「いいですよ。袋も開けてあげます」


「お、さすがマサくん。物分かりがいいね」


 ケイさんがそう返事をすると、俺はぺりぺりと袋を開けた。そしてケイさんが「あーん」するのを見て、俺は立ち上がった。そしてベッドから数歩離れたところに行き、せんべいを見せびらかした。


「ほ~らケイさん、せんべいはこっちですよ~」


「ちょ、それは反則だろう」


「ほらほら、取りに来てくださ~い」


「……分かったよお」


 ケイさんは気だるそうに返事して、のそのそと布団から這い出てきた。ベッドから降りると、芋虫のように這いつくばってこちらに向かってくる。


「お~、えらいえらい」


「……マサくん、私は赤ん坊かい?」


 布団から出たことを褒めてやると、ケイさんは不服そうに返事をした。やがて俺の足元へたどり着くと、ケイさんは口で俺の手からせんべいを奪い取った。


「ふぁっふぁふ、ふぁふぁくんはすぐふぉうひにふぉっふぇ……」


 多分、「全く、マサくんはすぐ調子に乗って……」と言いたいのだろうが、咀嚼音に紛れてさっぱり分からない。ケイさんはせんべいを頬張りながら、布団へと戻っていった。


 俺も勉強に戻り、問題の続きを解き始める。少し難しい問題だったが、十分くらいかけてなんとか解き終わった。


「よし、終わったんで僕は――」


 帰ります、と言いかけたところでケイさんが眠りこけているのに気づいた。いつになったら勉強するんだろう、この人。俺は帰り支度を始めたが、そのときケイさんが寝言を言っていることに気がついた。


「マサくん、寒いよぉ……」


 この人、夢の中でも俺に布団から引きずり出されているんだろうか。笑いそうになったが、俺はケイさんをからかってみることにした。寝息を立てる彼女に顔を寄せ、静かに呟く。


「僕が暖めてあげましょうか?」


「頼むよぉ、マサくん……」


 しめしめ、言質はとったぞ。俺はのそのそとベッドに上がり、ケイさんの布団をめくった。そして隣に寝っ転がり、再び布団を被った。


「ケイさん、これでいいですか?」


「……ん? マサくん、なんで君が――」


 次の瞬間、ケイさんが目を見開いた。みるみる顔を赤くしていき、俺をベッドから突き落とす。いててて、尻がいてえ。


「ななななな何をしているんだいマサくん!?」


「いってえ~、ケイさんが暖めろって言うからですよ」


「私はそんなこと言ってな~~い!!!」


 カンカンに怒るケイさんを横目に、俺は彼女の部屋を後にした。ああ~、今日もよく勉強したなあ。明日もよろしく、ケイさん――

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