第150話ありし日の選択

 私は、この世界を知っている。


 私は、この世界の運命を知っている。


 私に聖剣を抱く資格がないことも。


 ――だから、私が運命を変えるためには。


 咎を背負う。それだけが、唯一の方法だった。


 ◆


 ガレリオ魔法学園に入学する。それはこの世界の運命を変えるための絶対条件であった。


 誰も傷付けずに人間と魔族が争わなくていい世界を作りたい。それが甘い考えだと理解していながら、それでも私はこの理想を捨てられなかった。


 ……今にして思えば、私は自分の手を汚したくなかっただけなのかもしれない。

 

「リイン・カーネス。どうしましたか、早くやりなさい」


 冷たい言葉が私の背中に浴びせられる。苛立ちを孕んだ声だ。


 誰もができることを私はできずにいる。二度目の人生なのだから、少しは器用に立ち回れるだろう――そう考えていた私が浅はかで、どうしようもない馬鹿だった。


 なんの血統もないのに、少しばかり他の子と比べて魔力があった。それを転生の特典だと思い上がった自分の頭を叩きたい。


「……できません」


 指導官の指示を拒否する声を、私は辛うじて絞り出す。  


 魔力があった。だから神聖兵装を受け取ってガレリオ魔法学園に入学し、リナを助けられる。それが皮算用だと知ったのは、この施設に入って選抜試験が終わる直前であった。


 血と、脂と、人の身体から溢れる色々な体液。。それらを洗い流しやすいように設けられたタイル張りの床は、どこか赤黒く湿っている。……どうやらほんの少し前に、この部屋で魔族にとって強くなるために必要不可欠な儀式が行われていたようだ。




 そして、その儀式を――私もまた、行わなければならないらしい。




 目の前で無造作に転がる、生まれたままの姿の人間。目と口を覆われた――人間の、女の子だ。


「安心しなさい。その人間は魔法で眠っています。痛みで起き上がることもありませんよ」


 痛みで起き上がることはない。ぞっとするほど冷たい、指導官の配慮だった。


 私がナイフを胸に突き立てれば、この子はきっと痛みを知ることなく死んでいく。この子は眠らされる前に、どんな光景を見たのだろうか。そして、安らかな寝息を立てている今、どんな夢を見ているのだろうか。


 その命を――私が奪う? なんのために? 決まっている。世界を救うためだ。ガレリオ魔法学園に潜入し、リナと知り合いになって彼女を救い出し、犠牲が少ない形でハッピーエンドを目指す。


 だから必要なんだ。そうじゃないと魔族の私はいつまでも弱いままだ。「人間を殺す」という選択肢が選べないようじゃ、私はちょっと魔力量が多いだけのモブに成り下がる。魔力量のアドバンテージだって、いつまでも続かない。人間を殺した魔族と比べれば、こんなもの誤差の範疇なのだから……人間を殺しながら、平気な顔してリナの隣に立たなければ私の目指すハッピーエンドには辿り着けない。


 踏ん切りをつけろ、リイン・カーネス。私は魔族で、人間を殺さなくちゃならない。そうしないといつまで経っても弱いままだ。今はまだ弱くても許されるけれど――ガレリオ魔法学園に入学したら、否応でも強くなる必要がある。


 だから、殺せ。この世界のために。女の子の命で世界が救えるなら安いじゃない。そんなの、分かりきった結論だ――けれど。


 けれど、この女の子だけじゃない。……私は世界を救うために、何人の人間を殺して強くならなきゃいけないの?


 魔族であれば、誰でも(最初は多少の抵抗感がある者もいるが)行える殺人という行為。前世の記憶がなければ、私もこの一線を越えることができたのだろうか。


 私は渡されたナイフを力強く握る。どんな間違いがあったとしても、このナイフが目の前の少女を傷付けないように。


「できません!」


 間違っている。殺すべきだ。魔族の身で世界を救うのであれば、覚悟を決めろ――何度も何度も自分に言い聞かせているのに、私の覚悟は土壇場で脆く崩れてしまう。


 世界を救う。ハッピーエンドに辿り着くために、最も邪魔なのはこの身だ。ああ――どうして私は魔族なのだろう。


 ◆


 私ことリイン・カーネスは魔族である。そんな自己紹介から始めなくても分かるくらい、私の頭には角が生えており、そして胸には魔族を象徴する魔核が埋まっている。


 そして、もう一つ。私はこの世界が鬱ゲーと名高い『聖剣を抱きし者たちへ』の世界であることを知る、いわゆる転生者であった。


 どんな世界であれ、私は端役がお似合いだろう。危ないことはしたくないし、平和に生きられるならそれに越したことはない。


 だけれど……一方的に知っている関係とはいえ、知っている誰かが傷付くのは嫌だった。行動の動機にしては、我ながら甘いと思う。


 だって、魔族は魔族のルールがあって、彼らはそれに従っているだけで……異端なのは私なんだ。


 ちょっと魔力量が多いからって、それだけで救えるほどこの世界は優しくない。


 どうしよう。どうすればいい。そんな疑問が思い浮かんでは消え、見過ごすしかないと諦める選択肢が何度も頭を過った。


「どうしよう……。どうすればいいと思う? モニカ……」


 答えが返ってくるなんて期待していない。それでも、私は彼女に聞かずにはいられなかった。


 心の根っこが人間である私は、養成施設でも浮いた(というよりは沈んだ)存在だった。有り体に言えば友達がいなかった。


 だが、そんな私にも唯一友達と呼べる人間がいた。――そう、人間。


「……? リイン、大変?」


「大変といえば大変かな……。全部、私が悪いんだけどさ」


 たどたどしく喋る少女の名を、モニカ・ハウゼル。……私のために育てあげられた生贄だ。


 この子を殺せば、晴れて私はガレリオ魔法学園への入学権を手にすることができる。それは、私専用の神聖兵装を手に入れることと同義であった。


 この子を殺さなければ、私の物語は始まらない。頭では理解しているのに、結局私はこの子を殺すことができなかった。


 ……モニカの住む住居は、ほぼ家畜小屋と変わらない住居であった。魔族にとって、「人間扱い」とはつまりそういうことだ。


 生まれてから魔族の経験値になるまで、この魔族の領地で生まれ育った人間は皆モニカのように……誤解を恐れずに言えば、私の知る人間よりも知性がない。


 『聖剣を抱きし者たちへ』の登場人物の知性が前世の人々に劣るという描写はなかったはずだ。だが、モニカのような魔族に育てられている(というよりは飼育されている)人間は、見た目より言動に幼さを感じる人々が多い。……そりゃそうだ、知性なんて魔族に飼われた人々に必要はないのだから。


 華奢な身体に似つかわしくない、ごつい足枷。寒さをしのぐだけの、意匠なんてこれっぽっちも感じない囚人服のような普段着。殺されるためだけに生かされている命は、あまりにもみすぼらしいものであった。


 人間は社会を作り、尊厳を持ち、そして自由を享受できる生き物なんだよ――そんな考えは魔族の中で異端である。人間に理解ある異端者として、私は今すぐにでもモニカの足枷を外し、魔族の支配から解き放つべきだ――分かっている。それが不可能なことも。


 飼育場の管理者の目を盗んでモニカを逃がしたとしよう。すると、モニカは問答無用で捕まり、そして為す術なく殺されてしまうだろう。飼育されている人間は、この閉鎖的な空間で育っているため、ほぼ全員のスキルレベルが低い。魔法あり、神聖兵装ありの魔族相手に追いかけっこするなんて、正気の沙汰じゃない。


 なにより耐えがたいのは、モニカが捕まり殺される横で、私の罰はきっと反省文を数枚書く程度で終わることだ。


 自分は安全圏にいながら、友達の命で博打する。まともな思考をしていれば、普通に実行しようなんて考えない。


「んーとぉ、元気出して? リインが悲しいと、私も悲しいよ」 


 言って分かるのだろうか。私の懊悩はあなたを殺さなければならないといけないってことなのに。


 魔族に飼育されている人間たちは、知性が低いが……馬鹿ではない。自分たちがどういう立場なのか、薄々とだろうが肌感覚で分かっているのだろう。


 従順だが、必要以上に会話をしようとはしない。モニカはやや人懐っこい部分があるが、それでも私以外の魔族と会話しようとはしなかった。


 モニカがどういう基準で私に気を許しているのかは知らないが、彼女の信頼を裏切りたくなかった。


 世界を救うために友達を殺せるか。――この世界を救うために突きつけられた問いに、私はまだ答えを出せずにいた。

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