第70話握り潰した「if」
《恋人の盟約》は、入学当初からモニカが注視していたほどの厄介な代物であった。
使用者はイフ・ハル。回復魔法を得意とする、学生勇士に扮した魔族である。ゲームのイラスト的な紹介をするならば、ヴィクトリアのような美人とはベクトルの違う、小動物系の可愛らしいビジュアルのキャラクターであった。
同時に、恋愛攻略が不可能なキャラクターでもある。学園に魔族が潜んでいる、という情報をリナが掴むことで敵対イベントである《恋愛侵蝕》のフラグが立つからだ。
イベント《恋愛侵蝕》。イフ・ハルによる魔装《恋人の盟約》によって、男子生徒がリナに対し敵対行動を取るようなるイベントだ。恐ろしいのが、魔族であると知らずにイフを人間の男性キャラと同じチームへ編成していると、その男性キャラクターも彼女の支配下に置かれてしまうことだろう。
幸いなのは、比較的序盤のイベントということもあって、イフ自身がそこまで強くないということか。彼女が扱う《恋人の盟約》は、使用者本人が殺害されるか、所有権を失うと対象の支配を解除する。それさえ知っていれば、そう怖い敵ではない。……が、事前情報のない一周目では男に囲まれたイフだけを倒すなど、ほぼ不可能である。必然、男性キャラクターのロストは覚悟しなければならないイベントであった。
その条件について、モニカは十分理解していた。それでも安易に手を出せなかったのは、すでに何人かの男子生徒がイフの術中に嵌っていたからである。人質を取られている状況で、イフという魔族はさして戦闘力のないモニカにとって、手も足も出ない敵であった。
同時に、それはシャロンにも言えることであった。《恋人の盟約》の性能を十全に活かすために、常に人間の男の壁に守られているイフは、シャロンにとってもある種の厄介さを抱えていたのだった。
技術的な面で可能か不可能か、と問われればイフの暗殺自体は不可能ではない。しかし、学園内でイフが突然死する――その結果はシャロンにとって望ましくない混乱を学園内に招くことを意味していた。
《恋人の盟約》は確実に手に入れられるだろうが、それだけだ。対し、魔族側に要らない警戒をさせるうえに、紅魔臣が打つ次の手が読めなくなる。すでに原作のルートから乖離している今、シャロンは丁寧に魔族を甚振る手段を模索し、そして一言呟いた。
「いい方法を思いついた」と。銀髪の外道はその悪魔めいた発想を決してモニカに告げることなく、突然回復魔法の勉強をしだしたのだ。
さて。器用万能のステータスを誇るシャロンであったが、回復魔法の習熟には難航した。なにせヴィクトリア殺害計画が実行されるまで勉強して、ようやくレベル1という惨憺たる結果であったのだ。……というのも人間の場合、回復魔法をはじめとする魔法の習熟に本人の適性が大きく関わっている。回復魔法であれば、攻撃性の高いキャラクターは習得に多くの経験値を必要とし、対照的に慈愛の精神を持つキャラクターは少ない経験値で習熟が可能であった。いかにシャロンといえど、回復魔法の適性ばかりは演技スキルで覆すことはできなかったのであった。
閑話休題。もちろん、シャロンはその前提条件についての解説をモニカから受けてはいた。そのうえで回復魔法に関する本を熱心に読み込んだのだ。……言うまでもないことだが、突然シャロンが慈愛の精神に目覚めたわけではない。
ある程度の読み込みを終え、回復魔法に関して初歩的な会話ができるようになったと踏んだ段階で、シャロンはイフに接近したのだ。
「なんでイフにわざわざ聞きに行くのよ?」とモニカが聞けば「分からないことばかりだから、上手に回復魔法を使える人に聞くのは普通だよ」とシャロンは天使のような笑顔で答えた。――嘘だ、と。根拠はないが、しかしモニカは確信をもってシャロンの演技を見抜いていた。
そして、この一か月で嫌と言うほど見てきたシャロンの邪悪さが、また一つ実を結ぶ結果となった。――そのすべては、イフ・ハルという魔族を爆殺するために。
そうして「回復魔法習得」の成果をすべて手中に収めた悪魔は満足げに呟く。
「成功率は半々と見ていたが、間抜け相手には過大評価だったか? ククク、一か月も懇切丁寧に回復魔法を教わった甲斐があったな。アイツなら後先考えずに回復魔法を使ってくれると信じていたぜ。どっかの性悪な魔族と違ってなァ」
もとより、魔核爆弾はあの場にいた紅魔臣二人を狙った攻撃ではない。掠り傷でも負わせられれば儲けもの、防がれて当然というのがシャロンの目算であった。高位の魔族であれば、魔核を触れた瞬間に《太陽の剣》で付けた呪いに気付かれる恐れがあっただろう。
だから、魔核爆弾で転送したのはイフの立っていた位置付近。同族に対しては心優しい間抜けは、急いで魔核に回復魔法を施すだろう。――それが、爆弾の起爆スイッチだと知る由もなく。
「結果はこのザマだぜ。……ふふ、どうしたの? カルラお姉ちゃん。ここ、笑っていいところなんだよ?」
ガレリオ魔法学園、女子寮。その人の気配がない、屋上にて。
「あ、ああああああああ……うわああああああああああああああああああッ!」
頭を押さえ、まるで胎児のように蹲って絶叫と嗚咽を繰り返すカルラの姿が、そこにはあった。
「教えて欲しいなあ。聖堂の地下室でなにが起きて、カルラお姉ちゃんはなにをしてくれたのか!」
「していない! 私はッ、私はなにも……ッ!」
「おいおいおい。あれだけ仲間を殺しておいて、なにもしていない、ってのは非道すぎるんじゃねえのかァ? 部下の介錯すらできねえ、テメエの大好きな臆病者には喜んでもらえたんだろ。自分のやったことに胸張れよ! それとも俺が感謝してやろうか? 間抜けどもから神聖兵装を回収してくれてありがとう、ってなァ」
《静かなる嗜虐心》を通して伝わった、仲間の魔核を砕く感触。そして、回収した先からシャロンに神聖兵装を奪われる感覚。《恋人の盟約》によって操られていた、あの瞬間はそれこそが正しい行いだと認識していたのだが。
シャロンの好奇心と嗜虐心を満たすために、《恋人の盟約》から一時的に解放された今、カルラの胸中は地獄のような現実が渦巻いていた。
もっとも。その渦はシャロンの小さな舌によってかき混ぜられたものであったが。
「外道が……! これが……これが勇者のやり方だっていうの!?」
「お気に召さなかったかな? 地下に籠った薄汚ねえクソカスどもが喜んでくれると思って、ずっと温めておいたサプライズだったのに……。カルラお姉ちゃんももっと喜んでよ。ほら、部下殺しに味方殺しって、とってもお似合いだと思うよ!」
「……ッ! うぅ、げぇええッ……!」
後悔も自責の念も、すべて吐き出せるのならばどれほど楽だっただろうか。仲間を殺し、バニスを欺いているという事実が(本人の意思とは関係ないとはいえ)、カルラの胃袋にずっしりとした重いものを残す。命では決して償えない、「シャロンベルナを軽んじた」という過ちを、どう贖えばいいのか。
「うん? もしかして懺悔でもしたくなっちゃった? じゃあ、愛しのバニス様が待つ告解室にでも行ってもらおうかなァ! もちろん、勇者の亡霊とはなーんの関係もない、私たちの近況報告も忘れずにね」
満面の笑みで、カルラの肩をシャロンは優しく叩く。
魔核に潜む、200もの《恋人の盟約》がぞわりと動き出す。――嫌だ、待って。そんな慈悲を乞う言葉さえ、シャロンは許さない。
「ええ、任せて。すべては、最愛のあなたのために」
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