第56話亡霊との遭遇
ヴィクトリアの抹殺は問題なく終わるだろう。だが、シャロンを囮にした亡霊の誘い出しには成功するだろうか。あの言い知れぬ威圧感を放つ勇者の亡霊を相手に、魔装持ちの精鋭魔族をおよそ50――絶対的な戦力であるのに、それでもカルラは確信を持つことができなかった。
「で、出てきませんねー、勇者の亡霊さん……」
「……そうね」
なんとも重苦しい雰囲気に飲まれ、この空気に耐えきれず先に口を開いたのはモニカであった。ヴィクトリアと別れてから、もう一日は歩き詰めている。カルラからしてみれば、モニカとの行動はただのアリバイ作りでしかなく、この捜索任務に意味などなかった。
しかし、重要なことに変わりはない。学園内でも劣等生のレッテルを貼られたモニカだが、この場においてはなにより「力を持っていない」ということがカルラにとっては大きな意味があった。
(人間を守らなきゃならないのは癪ね。でもあなたには証人になってもらわなくちゃならないから、その間だけは死なない程度に守ってやるわ)
ヴィクトリアの死を学園内に伝えるべき人間の存在は必要である。その点、モニカはうってつけであった。その理由は二つ。まず魔獣が活発化するこの地域で、神聖兵装の扱えないモニカはカルラから離れることはできない。そのうえで――
(噂好きよね、あなた。散々あの噂を広めてくれたんだから、火の不始末には付き合ってもらうわよ)
ガレリオ魔法学園に魔族が潜んでいる、という噂の
——はっきり言って、この二つの利点を含めた上で、モニカの価値は目障りなゴミクズだ。しかし、モニカのような木っ葉の学生勇士が死んだところで、あの噂が消えるほどの強烈な印象を残すことはできないだろう。
ならば、ゴミクズなりの使い道を考えてやらねばならない。噂好きというのなら、惨たらしいヴィクトリアの死に様を学友たちに喧伝してもらおうではないか。
「あのさ、ここで聞くのもなんだけど……カルラは魔族じゃない、よね?」
同じ寝室を使っているというのに、この一か月でモニカとカルラの築いた友人関係は、酷く希薄なものであった。
原因はモニカである。なにをしたわけでもないというのに、モニカが一方的にカルラを避けていたのだ。同じ二段ベットの上と下という関係なのに、二人だけになるタイミングを決して作らず、隣には常にリナかシャロンがいるように立ち回るのだ。
カルラとて、この毒にも薬にもならない劣等生相手に時間を割くほど暇ではない。必然的に顔見知り程度の他人という関係が、この一か月の成果となったのだ。
そして、劣等生が同室の優等生に引き出した話題は——やはり、件の噂であった。
「……はあ。モニカ、私たちはこの一か月同じ部屋で過ごしたでしょ。私が魔族だったら今頃あなたはここにいないわよ。それとも、私が魔族に見えるの?」
もっとも、それは考えなしの粗暴な魔族であった場合だ。学園が神聖兵装とそれに付随する人間を管理するための施設だと、一介の学生勇士であるモニカが知る由もないし、知る必要もない。
「……あーうん、これっぽっちも。でもこう、身近に見た目とのギャップがありまくる奴を見ていますとね……」
「? シャロンのことかしら。確かにあの子、神聖兵装を使っているときは少し性格が好戦的になるものね」
「ははは、……ソッスネ」
シャロン・ベルナ。学園に潜む魔族にとって、最重要の保護監視対象だ。紅魔臣であるエルシャ・カリストの妹であるロゼアンに捕獲されるも、勇者の亡霊によって救出された少女。そして、現状では彼の姿を知る唯一の人間——そして、勇者の亡霊となんらかの関係を持つ者である。
シャロンの持つ神聖兵装は、使用者に回復能力と戦闘意欲を付与するものだ。神聖兵装としての評価は、中の下といったところだろうか。それでも使用方法の分からないモニカの神聖兵装よりは断然マシである。
(……討伐部隊が調子に乗ってシャロンも殺さないといいんだけれど)
少なくとも、勇者の亡霊を殺すまでシャロンの利用価値を失ってはならない。……あの声を聞くだけで肌が粟立つほどの威圧感がある化け物に、唯一勝機となる手札なのだ。討伐部隊が血気盛んなのは大変頼もしいのだが、シャロン殺害という最悪のケースだけはなんとしてでも避けてほしい。
(シャロンが手元にいない状況なんて、恐ろしくて想像もしたくないわね……。エルシャ様は正規勇士にしてから殺したいみたいだけど。亡霊を殺してから考えて欲しいものだわ)
願わくば、もう二度とあの悍ましい声を聞きたくないし、その姿など想像さえしたくない。一日でも――否、一秒でも早くこの世から消え去って欲しいが、次も見逃してもらえる保証はどこにもない。
……見逃してもらう、などという弱者の考えにカルラは奥歯を噛み締める。《静かなる嗜虐心》を抜いた状態で亡霊と対峙したとき、はたして自分は怯えることなく戦えるか。
今も瞼の裏に焼きついている、ナンナの死体。しかし、あの場で亡霊の正体を知るよりも、魔獣と融合させられた身体を内側から焼かれていくナンナの死に様を、ただ何もせず見ていた方がマシだった。
一か月。一か月経った今でも、カルラは恐怖と後悔を抱いたまま、しかし同時に安堵もしていた。
あの日、あの瞬間——振り向かなかったことで、自分はまだ生きている。仲間を見捨てたことで得た、卑怯者の安寧だ。
もしも、あのとき振り替えることができれば、バリーとナンナの死にも意味があっただろうに。そんなものは誰に言われるまでもなく、カルラが一番よく理解していた。
だからこそ、バリーとナンナの死が生み出してしまったこの噂を消すためにも。この出来損ないの劣等生を守り、ヴィクトリアの死を学園に広めて貰わなくてはいけない。
「最後にもう一回聞くけど。カルラは、本当に魔族じゃないんだよね」
「……モニカ。同室になったよしみだから二度目までは許すわ。でも三度目はないわよ」
普通ならば、初手で侮辱と取られかねない暴言である。
それでもカルラがその暴言を一度許したのは、モニカとの友好関係を築くため。そして二度許したのは彼女の臆病さを内心で笑う余裕があったからだ。
「いや、いいの。ごめんね、魔族じゃないなら問題ないから気にしないで。でも万が一、魔族だったら——来るよ、亡霊」
「……まるで確信があるような口振りね。モニカ、あなた亡霊についてなにか知っているの?」
「いやまったく。これっぽっちも、全然」
《看破スキル発動——対象、モニカ・ハウゼルの発言に嘘を検知》。
「モニカ、あなた……!」
「と言ったら嘘になるか。いやあ、演技は苦手でさ。偽装ならまあまあなんだけど。正直に言うと、心当たりならあるんだよね」
飄々と語るわりにモニカの表情はどこか引きつっている。胃の辺りを片手でさすっているせいか、今にも吐きそうに見えた。
しかし、カルラにとってはモニカの体調など、今はどうでも良いことであった。
「なっ、それなら早く先生方に報告しなさいよ! あなた、自分がなにをしているか自覚しているの!?」
「いや私だって命は惜しいもの。あの子を裏切るくらいなら、魔族に喧嘩売ってる方が万倍はマシだからさ」
この劣等生は、なにを言っているんだ。
(その話の流れだと、まるで教師に魔族がいるとでも言いたげじゃない! それに——)
あの子って、誰だ。
「……嘘を吐いたね、カルラ。まあ、それは私もなんだけどさ」
大気に、重いものが伸し掛かる。
威圧感と恐怖。生存本能を逆撫でする、強者がまたそれを、カルラもモニカも月夜の下で否応なく触れてしまう。
「ま、ぞく……! みつけ、た……!」
あのヴィクトリアさえも、ゆうに見下ろせるほどの巨躯。その頭部から、たどたどしい人の言葉が盛れる。
「は、はは。最悪。もう第二段階じゃん。どんだけ魔獣と魔族を食い散らかしてんのよ……!」
「な、なによ、コイツ……!」
レギオン。バリーが瀕死であった22人の勇士を合成して作り上げた、まさしく亡霊と呼ぶべき存在が、そこにはいた。
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