第19話破綻

「さて、じゃあなにから聞こうかな。……そうだなあ、まずなんで私がガレリオ魔法学園に入学するのを拒むのかな? ただの勇士候補生にそんな権限はないし、理由もないよね?」


 シャロンの可愛らしい声音には、底冷えするほどの冷たさを孕んでいた。プレイの方針によっては冷徹なキャラとしてプレイすることもできるが、どのルートを辿っても、シャロンはこんな拷問染みた手段に訴えるようなキャラじゃない。


「お、思い出してシャロン。本当はこんなことしないよね? 優しい子だって、私知っているから。ね?」


 『聖剣を抱きし者たちへ』、その三作目にあたる勇者の章で主人公を務めるシャロンがこんなことをするはずがない――そんな私の淡い期待は、文字通り冷や水を浴びせられる結果となった。


 視界に布が被せられたかと思うと、すぐさま水が顔面に滝の如く降り注いできた。ヤバい、と思う暇さえなかった。水を含んだ布は鼻や口に張り付き、私の顔は簡単に水没してしまったのだ。


「ンンン~~~~~ッ!?!?!?」


 息が、できない。顔面の布を取ろうともがくが、手足に繋がれた鎖が耳障りな金属音を奏でるだけだ。叫ぼうにも、口を開いた先から水が入ってきてそれどころじゃない。


 死ぬ。転生して、雑魚の魔獣と初めて戦ったときでさえ感じなかった死の恐怖。それが冷たい水となって永遠ともいえる時間、私の顔を覆う布に浴びせられた。


 本当に、冗談抜きで臨死一歩手前といったところで布が取り払われる。解放された口と鼻は、反射的に水を吐いて空気を吸い込んだ。


「冗談だと思ったんだ? うんうん、それはだね! 面白かったから手加減して30秒で勘弁してあげたけど……次から質問の答え以外のことを口にしたら、10秒刻みで水を流す時間を増やすからね?」


 面白い、なんてシャロンは言っているが。その目はまったく笑っていない。


 結論から言って私はこの水遊びを20秒延長したところで、洗いざらいすべてをシャロンに話してしまった。


 ◇


「転生者ねぇ……」


 冷ややかな視線を浴びせながら、シャロンはこれ見よがしに樽へと手を掛けた。


 たった三回で身体に刻まれた臨死体験に、私は条件反射でビクついてしまう。しっとりと湿った布が顔に掛かる恐怖を、私はもう忘れることはできないだろう。


「ぜ、全部本当のことだから……お願い、信じて……!」


「……話をまとめると、この世界は『聖剣を抱きし者たちへ』っていう三部作のゲームで? 俺はその三部作の主人公でテメエはモブと。だから出会う前から俺の年齢を知っていたし、俺を勇者にすると大量虐殺エンドだから学園には連れて行きたくない……なるほどなァ? 確かに優しい魔族を殺しちまうのは問題だよなァ」


 あれから、三度の拷問を経てシャロンの化けの皮は剥きだしとなっていた。荒い語気に下品な言葉遣い。とても、原作のシャロン・ベルナでは考えられない変貌ぶりであった。


 しかし、「優しい魔族を殺してしまう」、その可能性に理解を示してくれたようで、私は安堵の息を吐いた。


「分かってくれ――」


「馬鹿かテメエは。その空っぽの脳みそを水でかさ増ししとくかァ?」


 ごとん、とシャロンの傾けた樽の底が床を打つ。全身に、あの溺水の臨死体験が電撃のように駆け巡る。


「テメエがのうのうとベッドの上でハッピーエンドを夢見ている間に、魔族は人間を殺してんだぜ? その言葉を鵜呑みにしたとして、ハッピーエンドまでどれだけの人間が血を流さなきゃならないんだ? おっと、死ぬ人間はモブだから別に構わねえのか」


「それは……! 必要な、犠牲だから……!」


「で? テメエはこれから死ぬ人間にそう言えんの? 優しい魔族が未来の勇者に殺されないために、今のあなたたちは悪い魔族に殺されてくださいってよォ? すげえなあ、原作知識のある転生者様は。どの人間を殺して、どの人間を生かせばいいのか決める権利があるんだもんなァ?」


 ――目を反らしてきた現実だ。私はトロッコの問題で、常に大多数を切り捨てている。


 だって、モブは何人生きていてもハッピーエンドにならないから。だから私は見捨てている。たった一言「ここにいたら危ないよ」とでも言えば、変わる未来すら私は許容しなかった。


 余計なところで原作改変すれば、どこでなにが影響するか分からない。これがゲームならセーブ&ロードのトライ&エラーでいくらでも試しているし、大多数を救っていたはずだ。


 でも、ここは現実。セーブ&ロードどころかポーズメニューすらない。考えている間にも時間は過ぎていくし、絶対にやり直しは利かないんだ。


 だから、私は原作改変を「ここぞ」の場面でしか行わない。そんなものを、ただのモブに使えるほどの余裕も勇気も私にはなかった。


「滑稽なのはその勘定にテメエの安全が入っていることなんだよ。勇士候補生になってリナの隣にいれば安全、レベルアップを意図的にしなければ学園内の魔族にマークされない、リナの姉貴を助けるのだって魔族とは戦わずにリスクは最小限。だってのに、モブは死んで構いませんってか? テメエもモブのくせになァ!」


 どすん、と仰向けになった私の身体の上にシャロンは尻を置く。響くような重みは確かに七歳のそれだが――私には、やけに重く思えた。


「極め付きはこの俺の邪魔をしようとしているってとこだ。なんで人間を襲っている魔族を殺そうと必死こいてる俺が、魔族にビビッて部屋の隅でガタガタ震えてるような勇士見習いに邪魔されなきゃなんねえんだ?」


「あなただって……言うほど危険なことはしていないでしょ! そのステータスで傷一つついてないし……! 口だけならなんだって――!」


 シャロンは一瞬驚いたような目をしたが、すぐに私を呆れたような目で見下してきた。

 

「テメエと一緒にするんじゃねえよ。――


 シャロンのその一言とともに、虚空より神聖兵装が現れる。それは、長い柄の鉄槌であった。女の横顔が描かれた、特徴的な装飾のハンマーヘッドに、魔力を燃料に推進する噴射口。


 私が知らないわけがない。なぜなら、あの武器は『聖剣を抱きし者たちへ』の偽りの章において、重要な意味を持つ武器だからだ。


 絶対に回避しなければならない重要ポイントその1――ロゼアン・カリストは殺さないこと。


 そのロゼアンを殺したとき、初めて手に入る神聖兵装――《鉄槌の処女ハンマー・メイデン》!


「なんで、アンタがそれを……!?」


 聞きたくなかった。


 でも、聞かずにはいられない。


「殺して奪ったに決まってんだろ、そんなもん」


 殺して奪った。


 それはつまり、私の原作改変は最初から意味なんかなくて。


 そして、怒らせてはならない存在の逆鱗に触れたことを意味していた。

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