【生首】
冷蔵庫に生首がいるせいで、他に食材が入れられなくなった。
腐敗臭のする液体が撒き散らされて、使い物にならなくなるせいだ。
生首はずっと、死の素晴らしさを説いている。
琴浪は突如として現れた笑顔の生首に特に臆することもなく、白けた顔でそれを聞き流して、いつもと変わりない生活を続けた。
腐りかけの生首が一つ増えたことなど、琴浪にとっては然程問題では無いようだ。
ああ。
いや。
全く問題がない訳でもない。
冷蔵庫にまともな食材が入らなくなったせいで、琴浪の食生活が元に戻ってしまった。
つまりは温めもしないパックのご飯をそのまま食べて一日を終えたり、塩を舐めて満足して寝たり、空きっ腹にカフェイン系のドリンクだけを入れて仕事に出たりする訳だ。
僕はこの家の冷蔵庫に干渉できるようになっただけで、買い物に行くことはできない。
生肉が悲しげに鳴いているので、早急に生首を冷蔵庫から追い出さなければならなかった。
けれども僕も生肉も、生首に対して有効な手など持ち合わせていない。
生肉が食べてくれないかと思ったが、腐臭が酷くて食べられたものでは無いらしい。
それに、生肉は我が身を琴浪に与えることを考えると、妙なものは摂取したくないようだった。
いや。この前。マンション。
この前……。
止そう、考えても碌なことにはならない。
結局、琴浪自身を頼るしか手段はなかった。
「なんで? 放っとけば消えるぞ」
生首を追い出して欲しい、と伝えた僕に、琴浪はソファベッドにうつ伏せになったまま問いかけた。
心底怠そうな声音である。元気が無い。ちゃんとしたものを食べていないからだ。
人間は食べないと死んでしまう。当然の話だ。
そういう意味では、死の勧誘は成功しているとも言えた。
「何? 声がうるさいってこと? 居候の癖に文句が多いな、我慢しろよ」
琴浪が死にそうだから、とは言えなかった。
もしもそれで『別に死んだっていい』と返ってきたら、どうすればいいか分からないからだ。
恐らく琴浪は、本当に自分を『死んだっていい』人間だと思っている。心の底から。
それは僕にとっては、なんだかひどく居心地の悪い事実だった。
『その、料理がしたくて』
「は?」
『……何か作ってると、ちょっと安心すると言うか、ええと……生活にハリがあるというか』
「あ?」
『……死んでるのに変な話ですよね、すいません、何でもないです』
「………………」
黙り込んだ琴浪からは、しばらくして、舌打ちが返ってきた。
不味い。怒らせたかもしれない。
縮こまって生肉の方へと身を寄せる僕を無視して、琴浪は穴の開いたスウェットで出掛けて行った。
十五分後。
次亜塩素酸水のスプレーを買ってきた琴浪は、冷蔵庫で怨嗟を吐き出す生首へと執拗に噴射した。
耳を劈くような叫び声が上がる。しばらく続いて、とうとう命乞いが始まったのに、琴浪はお構いなしだった。
そもそも構う必要など一欠片もないのだが、なんだか悪いことをしている気がしてくるのは何故だろう。
生肉は、僕の膝の上でぷるぷる震えていた。
掴んで引き摺り出した生首を浴室へと放り込み、キッチンハイターで追撃をかましている。
全てを無言で終えた琴浪は、スプレーボトルを僕に押し付けると、再びベッドへと戻った。
多分、汚れた冷蔵庫はお前が掃除しておけ、ということなんだろう。
生首が消えたおかげだろうか。三十分ほど頑張ると、冷蔵庫は綺麗に元通りになった。
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