第7話 地震 (1983~)(前半)

 お久しぶりです。今回は80年代以降の地震/津波についてお知らせします。

 地震・津波で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。


 1983年 5月26日 日本海中部地震

 1993年 7月12日 北海道南西沖地震

 1995年 1月17日 阪神・淡路大震災

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 2004年10月23日 新潟県中越地震

 2011年 3月11日 東日本大震災

 2016年 4月14日 熊本地震

 2024年 1月 1日 能登半島地震



 ●1983年 5月26日 日本海中部地震


 日本海側で発生した地震としては最大級のものであり、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10 mを超える津波による被害が出た。日本国内での死者は104人に及び、そのうち100人が秋田県を主とした津波によるものであった。津波による死者の内訳は41人が護岸工事中の作業員、釣り人が18人、遠足中の小学生13人などであった。地震発生は晴天の昼間だった。家屋の全半壊3,049棟、船舶沈没/流失706隻。

 

 2010年までに私自身が経験した一番大きな地震でした。それでも震度4程度。

 1970年代、80年代は大きな地震が比較的少なかったと思います。それでもこの地震と次の北海道南西沖(奥尻島)、そして今年の能登半島地震が示すのは、日本海側でも大きな津波被害が起きていると言う事です。海沿いにお住まいの方はお気を付けください。  



 ●1993年 7月12日 北海道南西沖地震(奥尻島地震)


 7月12日22時17分に、奥尻島近くで発生した地震である。マグニチュードは7.8で、日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模。推定震度6、火災や津波で死者202人、行方不明者28人の大きな被害を出した。震源域が島のすぐ近くであったため、地震発生から数分で奥尻島に巨大津波が到達したことが、この地震の特徴となっている。夜間の発生で火災も発生し避難はままならなかった。

 前兆として、後日の解析により、1992年ごろより今回の震央付近の活動が活発化していることがわかった。また、1984年3月18日から5月10日にかけて奥尻島で群発地震が発生していたが、1988年ごろまでは静かな状態が続いていた。


 私の実家に非常に近いところの地震でしたが、幸い被害は無かったようです。(私の実家は渡島半島の太平洋側) 当時私は既に関東に移り住んでいたので、直接の経験はありません。

 この地震5分くらいで津波が来たらしく、瞬時に行動し高台に避難した方達は助かったようです。日本海側の海沿いの方は迅速な避難が必要のようです。足腰が丈夫な方なら2~3分で400メートルは逃げられます。



 ●1995年 1月17日 阪神・淡路大震災


 1月17日5時46分、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の巨大地震が発生した。震源に近い神戸市の市街地(東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、近代都市での災害として日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。被害の特徴としては、都市の直下で起こった地震による災害であるということが挙げられる。日本での都市型震災としては、大都市を直撃した1944年(昭和19年)の昭和東南海地震以来51年振りであった。関西では1946年の南海地震を最後に地震が少ない時期に入っていたため、「関西では大地震は起こらない」という迷信が広まっていたことも被害を拡大した

 発生時刻が冬季の早朝であったため、外出、公共交通機関・道路の利用率が少なく、被害は主に市街地・自宅であった。当日死亡した5,036人の76%に当たる3,842人は地震から1時間以内に死亡しており、このうち9割が圧迫死(圧死、窒息死など)だった。多くは木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死したとみられる。特に1階で就寝中に圧死した人が多かった。建物が倒壊しても2階の場合は生存のスペースが残りやすく、死者は少なかった。また神戸市灘区などで、木造アパートに住んでいた学生が倒壊したアパートの下敷きになったケースも多かった。31の大学で111人の死者が出た。


 会社に行く前に大地震のニュースを見ました。7時頃でしょうか。最初はいくつか火の手が上がっているのと、死傷者が二十名とかそんな感じだったと思います。しかし時間が経つにつれて、火災が広がり、戦場のような様相を呈していき、死傷者も五十名、百名、二百名、五百名とうなぎ上りに増えていくのが恐怖でした。高速道路が崩れていたり、住宅地がぺしゃんこに潰されている映像を見て、想像を絶する地震だと思いました。まさか関西でこんな地震が起こるなんて、当時99%以上の人が想像していなかったと思います。


 この地震の後、私の会社でも地震対策が各種取られました。私はまだ入社したてだったですが、1~2年に渡り製品の固定器具を設計したり、転倒防止設計に追われたことを覚えています。キャスターが付いた装置は揺れを吸収して転倒しないですが、動いて人を挟んだりします。


 来年1月17日でちょうど30年ですね。なんとも言えない気持ちです。神戸と淡路の方々に想いを馳せたいと思います。



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 以下は後半で取り上げます。


 ●2004年10月23日 新潟県中越地震

 ●2011年 3月11日 東日本大震災

 ●2016年 4月14日 熊本地震

 ●2024年 1月 1日 能登半島地震

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