第4話 火山噴火2:雲仙普賢岳、ピナツボ山 他

 お久しぶりです。今回は火山噴火の2回目です。次の5項目になります。


 ①長崎・雲仙普賢岳の大火砕流(1991年)

 ②ピナツボ山噴火(フィリピン・1991年)と火山泥流、土石流

 ③三原山噴火(東京都・1986年)

 ④ポンペイ(イタリア・西暦79年・約2000年前)

 ⑤鬼界カルデラ噴火、過去1万年で世界最大(南九州・7300年前)


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①長崎・雲仙普賢岳の大火砕流 

 1991年(平成3年)6月3日 43名の死者・行方不明者


 1990年11月に噴火し、翌91年2月、4月、5月にも噴火や土石流がありました。大規模な人的被害をもたらしたのは6月3日16時に発生した火砕流です。報道記者やカメラマンは火砕流の様子を捉えるために溶岩ドームから4.0km、川からも200m離れていた40mの高台にいましたが、そこを高温爆風(火砕サージ)を伴う大火砕流が襲いました。


 結果、43名の死者・行方不明者を出す大惨事となりました。 報道関係者16名、消防団員12名、 火山学者ら3名(海外)などが犠牲になっています。当時視界が悪く、犠牲になったカメラマンの映像では「何の音? やばいな」と口にした後に録画が終っていました。


 火砕流の危険性については認識が不十分だったようです。「熱風(火砕サージ)を伴うものとは知らなかった」とか、「焼け焦げるほど高温とは知らなかった」というコメントが残っています。また大半の人が火砕流は水無川に沿って来ると思い高台は大丈夫だと誤認していました。またパニックを警戒して警告がやや弱い表現になったらしいのですが、これも残念です。


 ◇ ◇ ◇


②ピナツボ山噴火(フィリピン・1991年)他、火山泥流、土石流


 ピナツボ山は1991年6月に20世紀最大規模の大噴火を引き起こしました。この噴火はおよそ400年ぶりに起きたもので、噴火のピークを予測して住民数万人の避難に成功しましたが、火山泥流などで死者847名を数えました。噴火の影響は世界中に及びました。大量のエアロゾル粒子が成層圏に放出され何か月も残留、地球の気温が約0.5℃下がり、オゾン層の破壊も著しく進んだそうです。

 

 火山泥流や土石流はラハールとも呼ばれ、噴火によって直接起きる場合と、雨などによって2次的に誘発される場合があります。直接的に引き起こされる場合は、高熱によって雪や氷が融解したり火口湖がある時などに発生します。この場合、ラハールは大量の水分を含んでいるため、流下スピードは極めて速く、時速100kmを超えることもあります。ラハールは世界各地で多くの事例が報告されています。


 例えば、1985年にコロンビアのネバドデルルイス火山で発生したラハールは、麓のアルメロ市を壊滅させ、死者21,500人を出しました。


 ◇ ◇ ◇


③三原山噴火 1986年(昭和61年)


 1986年11月15日、三原山の噴火が始まりました。溶岩が800m流れ出しました。噴火を見ようと5,000人を超える観光客が押し寄せました。噴火は一旦小康状態となったため楽観ムードが漂い始めました。しかし、6日後の11月21日に大きな噴火が起き噴煙は高度8,000mに達しました。1957年以来約30年振りの噴火でした。この噴火で溶岩が斜面を流れ下り、およそ3,000人が住む元町集落に迫りました。その後全島避難が決定されると、民間の船8隻や周辺の漁船2隻、海上保安庁の巡視船8隻や海上自衛隊の護衛艦2隻が派遣されました。なんと南極観測艦しらせも救助に参加したそうです。全島民および観光客、1万226人の救出が完了し、島民は東京都内や静岡県におよそ1か月間避難したそうです。山頂の三原神社が被災しなかったことが、大島の七不思議に数えられています。


 後年、私は三原山に新入社員研修で行ったことがあります。溶岩がものすごかった印象ですが、夜に宿泊所で、みんなで花火をやって怒られた記憶があります。お風呂に入らず二泊三日の予定でした。帰りの船で東京に帰る時、同僚がすごく臭かったのを覚えています。たぶん自分もね。


 ◇ ◇ ◇


④ポンペイ(イタリア・西暦79年)


 西暦79年8月のある日、午後1時頃にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けました。翌日(噴火から約12時間後)には火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まりました。さらに降灰は続き、津波も発生したと考えられています。市民の多くは火砕流発生前にローマなどに逃げましたが、逃げ遅れた約2千人が犠牲になりました。


 18世紀半ばから、ポンペイは発掘されて現在も続けられています。地中から次々と現れるローマ時代の遺品の美しさに世界が驚愕しましたが、その美しさの秘密は乾燥作用のある火山灰にありました。火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められていました。また居酒屋のメニューも残っており、「鶏肉、魚、豚、孔雀などを用意してあります」と記されているそうです。


 噴火時に発生した火砕流の速度は100km/h以上で、市民は到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになりました。人の居た部分に石膏を流し込むと、市民の最期の瞬間が再現されました。子供を守る母親や、パンや、食事、食器、壁の落書きなどが再現または保存されたそうです。


 上下水道は整備されており、身分によって食事の内容に違いはなく、全員が健康的な食生活を送っていたものと推察されています。噴火時の町の人口は1万人弱で、富裕層の別荘、食物市場、製粉所、飲料を提供したバー、小さなレストラン、円形劇場などが確認されています。


 他に火砕流の被害例として1902年の、西インド諸島のフランス領マルティニーク島プレー火山の噴火例を挙げます。この噴火では火砕流以外に麓のサンピエール市で泥流が発生し、警察の留置場に拘留されていた囚人を含めた3名のみを残して住民約2万8千人が一瞬にしてほぼ全滅したということです。


 ポンペイは関連小説が執筆され、映画も度々作られています。

 小説:ポンペイ最後の日(1834年)、ポンペイの四日間(2003年)、マジック・ツリーハウス ポンペイ最後の日(1998年)


 映画:ポンペイ最後の日(1926年、1935年、1950年、1959年)

 ボルケーノinポンペイ 都市が消えた日(2007年)

 マジック・ツリーハウス(2012年、監督:錦織博)

 ポンペイ(2014年、監督:ポール・W・S・アンダーソン)


 ◇ ◇ ◇


⑤ 7300年前の鬼界カルデラ噴火、過去1万年で世界最大と判明、鹿児島沖


 九州南方沖の海底火山、鬼界カルデラが起こした7300年前の「アカホヤ噴火」が、完新世(1万1700年前~現在)で世界最大の噴火であることが分かりました。


 この噴火は南九州の縄文人に壊滅的な被害を与えました。研究グループは「このような噴火が今発生すれば、火砕流や火山灰が現代文明に及ぼす影響は計り知れない」としています。鬼界カルデラは鹿児島市の南約100キロにあり巨大噴火が繰り返されてきたとみられます。直近の巨大噴火がアカホヤ噴火で、火山灰は東北地方の一部にまで飛んで積もり、噴出物は計332~457立方キロ以上とされています。研究グループは「巨大噴火は気候を左右し、都市に深刻な影響を与える」と話しています。


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<最後に>

火山噴火では火砕流、泥流、土石流に注意が必要です。

火山の近くに住んでおられる方はハザードマップ等でご確認願います。

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