第2話

 函館山の山麓に水元みずもと公園と呼ばれる公園がある。

 斜面を利用した公園は大まかに分けて二段に分かれていて、正式な名前は知らないが私たちはそこを上の段と下の段と呼んでいる。

 未舗装の急な坂を登り切った所にある上の段には樹齢百年を超える立派な桜が二本寄り添って立っているけど、市民でも知らない人が多く穴場の花見スポットとなっている。

 高校に入ってすぐに仲良くなり始めた友人と訪れてから、桜の時期以外にもたびたび足を運ぶようになって、もうすっかり定番になった。

 桜の時期に来るのは二回目。

 いつもの四人。

 そのうち三人が上の段へ続く急な坂道を駆け上がり、私だけがマイペースであとに続く。ときどき「転ばないようにねー」などと後ろから声をかけるから「リーダーって、リーダーっていうよりお母さんみたいだよね」なんて声が返ってくる。

 遅れて到着すると三人は美しく咲いた桜を見るのではなく空を見上げていた。

「何してるの?」

「そろそろ来るよ!」

 ちらっと腕時計を確認してからハナが声を上げた。坂道を駆け上ってきたはずなのに、三人ともやけに元気で、額にうっすら滲んだ汗も気にせずに山の方に顔を向けて空を仰いでいた。

 何が来るのかと、私もその方向に目を向ける。

 その影が近づいて来て「ああ、そうか」と納得した。

 この公園の目の前には、函館山の頂上とふもとをつなぐロープウェイの駅がある。山麓駅と頂上を行き来するロープウェイのゴンドラは、ちょうどこの百年桜の真上を通るのだ。

 運行時間を事前に確認していたらしい。

「来たよー」

 とハナが声を上げる。

 下りのゴンドラが姿を現すと三人は示し合わせたように大きく両腕を振った。ロープウェイの乗客に手を振っているのだった。

 上からもこの見事な二本の桜は目につくのだろう。

 窓から真下を覗き込むようにしていた乗客がハナたちに気づいて手を振り返した。思いがけない出来事に驚きながらも心から楽しんでいるように見えた。

 ゴンドラは頭上を過ぎ、私たちにその腹を見せ、そして後ろ姿へと移っていく。

 後方に乗っていた乗客も三人を見つけて手を振る。

 三人の手の振りはいっそう大きくなって、それはゴンドラが見えなくなるまで続いた。

 完全に姿が見えなくなると、三人は顔を見合わせてけらけらと笑う。

「もう。ホントに君たちは子どもみたいだな」

 私はあきれたように笑って三人のそばに立った。

 ハナと目が合う。

 なんでもないことなのに、どうしてか私はふいと視線をそらしてしまった。

 自分でもなんとなく気づいていた。直前の自らの発言にほんのわずかだか『ズレ』のようなものを感じていたのだ。

 同じことをハナも感じていたのだろう。

 他の二人の視線が桜に向いているうちに、私に向かってべえっと舌を出した。

 ついでにジェスチャーで何かを伝えようとしている。

 上空を指差したり両手を振ったりしているから、きっと「なんでさっき参加しなかったのさ」というようなことを言ってるのだろう。

 まあまあ、となだめるような視線を送って、私はランちゃんともっさんの横に並んだ。

 今年も桜は見事だった。

 明治時代に植えられたといわれている桜は、左右に張り出した枝をもう自力では支えられなくて、何本もの支え木によってなんとか保っているという状態だけれど、その枝の先までしっかりと花を咲かせているのだ。

 つい先ほどまで無邪気にはしゃいでいた一行がしんと口数少なくなり桜の古木に見蕩れている。

 きれいだね、と誰かが言った。

 来年も来れるかな、と他が続く。

 今くらいの時期なら、まだ殺伐としてはいないんじゃない、と私が言うと、三人そろって苦い顔をした。

「受験とか、イヤなことを思い出させないでよお」

「え? そういうことじゃないの?」

「そういうことも含んでるけど、来年もみんなで来れるかどうかは何だかんだわからないわけじゃない? つまり、今この瞬間を大事に生きようじゃないかということですよ」

 ハナが言う。

「クサいよ、ハナ」

 もっさんが笑い、

「熱いよ、ハナ」

 ランちゃんは感動していた。

「リーダーは?」

 ハナに聞かれて、私は一瞬口ごもった。

「ハナらしくていいと思う」

 そう言うと、

「リーダーもリーダーらしいよ」

 と呆れたような笑顔が返ってきた。

 ハナはまた時計を気にしている。

「今度はなによ」

 私が尋ねるとハナは「今度も、だよ」とだけ返した。十五分間隔で運行しているロープウェイの次の便を狙っているのだ。

「次はどれくらい乗ってるかな」

 なんて言いながらソワソワしている。

「そんなに楽しい?」

「楽しいよ! リーダーもやろうよ」

「私は――」

「こらこら。リーダーはそういうキャラじゃないから無理強いしないの」

「そうだそうだ」

 いつの間にかランちゃんともっさんも、ハナに倣って空を見上げていた。

 二人の視線が空へと向かう中、ハナはそっと視線を移し私の顔をまじまじと見つめた。

「やらないの?」

 いたずらな目でこちらを見てる。

「私は――」

「ハナ! 来たよ!」

 もっさんが声を上げた。

 すぐそばの山麓駅からゴンドラが出発したようだ。

 三人が立っている場所から少しはずれて立っていた私にハナが右手を差し出す。

「私は、」

 いつものように、無邪気にはしゃぐ彼女らをうしろから見守ればいい。それがいちばん自然だし、結局、自分自身もしっくりくるのだろう。

 でもそうしなかったのは、なぜか。

 『衝動』に駆られたのだ。

 私はハナの手をとった。

 すぐさまハナが私の体をぐいと引き寄せる。よろけるようにしながらみんなの輪に加わった。

「みんな、いくぞー!」

 ハナの声にうながされゴンドラに目を向ける。

 みんなが一斉に、おーいおーいと声を上げ、両腕を大きく振った。

 彼女らの声と、楽しげな空気の中心に立ち、私は軽い目眩を覚えた。それはとても気持ちのいい目眩だった。

 自然と笑顔になる。

「ほら!」

 とハナが肩を小突く。

 わかってはいるが、そんなに簡単にできてたまるか。いつもと違うことをするには準備運動も助走も必要なのだ。

 私は頷きゴンドラを見た。

 あっという間に間近に迫ったゴンドラは頭上に達し私たちを大きな影の中に隠す。

 その動きに合わせて振り返り、見上げた。

 両腕をぐんと空に突き出す。

 万歳をする形で空を見上げたら、いつもよりも空が大きく見えた。

 私たちの上を通過したゴンドラがさらに山の方に向かって進むと、後方部分に乗っていた乗客の姿が見えるようになった。

 目が合う。

 右隣で、左隣で、すぐ後ろで、

「ほら! リーダー!」

 と声が上がった。

 私はすかさず手を振った。

 みんなほど大きくは振れなかったけど、だけど手のひらをしっかりと広げ、いつもより力を込めて振った。

 おーい、おーい、と三人が楽しそうに声を張り上げる。ぶんぶんと音が聞こえそうなくらいに手を振って。乗客の笑顔が返ってくるとなおさら強く、調子良く、彼女らは手を振った。

 お手本のようにはいかなかったけれど、私も確かに手を振った。

 彼女らとともに、大空を仰ぎ手を振ったのだ。

 ゴンドラが遠ざかり乗客の様子が見えなくなったところで、自然と視線が集まった。

 くすぐったい沈黙。

 だけどみんな、満足そうな顔でこっちを見ている。

「楽しかった?」

 とハナがニヤニヤ笑いながら聞いた。

 私が答える前にもっさんが私の肩を抱きながら言う。

「まあ、そんなあらたまって言うほど楽しくはないよね。なんていうか、その場の、ノリ?」

 そうだそうだとランちゃんが続く。

「え! そうなの? もっさんもランちゃんも心底楽しんでるんだと思ってた!」

 予想しなかった言葉に衝撃を受けるハナ。私の顔を見て「リーダーは違うよね?」と訴えかける。

 答える前にもっさんとランちゃんを順に見た。私が何と言おうとしてるか理解した二人が堪えきれなくてふふと笑いをもらす。

「ふつう、かな」

 私はいつもの調子でハナに言った。

 ハナは泣きそうな顔で私に抱きつく。

「えー。そりゃないよ、リーダー」

 よしよしと慰めながら二人と顔を合わせ、もう一度笑った。


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