女火事場泥棒

裏道昇

女火事場泥棒

 日が沈み、人通りが少なくなった観光名所。

 その中心に日本一とも噂される高級旅館が建っていた。


 海外からの評価も高く、贅を尽くした内装を一目見ようと客が途絶えることはない。


 ……そこからほど近い空家の二階で、一人の女が旅館を眺めていた。

 場に似合わないスーツを纏った、とびきりの美人だった。


 ――本当に火事が起こるんでしょうね?


 女は相棒の情報屋から、今日の夜に旅館で火事が起こると聞いていた。

 しかし、日が沈んでもそんな様子は微塵も見えない。


 彼女はその筋では有名な凄腕の火事場泥棒だった。

 一番高い物を盗んでいく。


 まあ、あいつが言うんだから、どうせ正しいんでしょうけど。

 そして女火事場泥棒の予想通り、旅館から薄い煙が上がって……急に騒がしくなってきた。


「ほらきた」

 女火事場泥棒はにやりと笑った。


 あらかじめ相棒から聞いて準備しておいたルートを使って、あちこちが燃えている旅館に忍び込む。


 この燃え方から見ると、放火だろうと女火事場泥棒が予想していると――驚くべきことがあった。


「何よこれ」


 悪名高い火事場泥棒が何人も旅館内を歩いていたのだ。

 皆、一般客に紛れてはいるが同業が見ればすぐに分かった。


「金庫ごと盗む事で有名な【剛力】に、芸術品だけを狙う《コレクター》……超一流ばかりじゃないの」


 これほどの旅館が火事になれば集まることも有り得なくはないが……珍しいことではある。


「よほどの宝でも眠ってるのかしら……まあいいわ、私は自分の欲しい物を盗むだけよ」


 女火事場泥棒は炎を前にしても落ち着いた様子で、近くの客室に入って一通り漁る。

 それを淡々と繰り返していった。


 手が早い奴がいたのか、どの客室からも金目のものは出てこない。

 だが、四部屋目を調べていた時に女火事場泥棒の手が止まった。


「? これは……」


 他の部屋にはない、小さな床下収納らしき扉を見つけたのだ。

 女火事場泥棒は慎重に扉を開ける。


 中には梯子が掛けられているようだが、暗くて底は見えなかった。

 彼女は慎重に梯子を下り始める。


「老舗旅館の地下にこんな空間があるなんて」

 下は防火シェルターになっていたようで、梯子の周りは明らかに上と材質が違っていた。


 五メートル程下りると、梯子は終わった。

 さらに下はあるが、シャッターのせいで行けないようになっているらしい。


 ――何か聞こえた?


 女火事場泥棒はそっとシャッターの上にしゃがんで耳を押し当てた。


「ふん、上は大騒ぎね」

「そりゃそうですよ、女将さん。有名老舗旅館が燃えてますから」


 声は耳を当てて、どうにか聞き取れる程度だった。

 女火事場泥棒は何も聞き逃すまいと、声に全神経を集中させる。


「あはは、放火犯が何を言ってるのやら」

 ――放火犯ですって!?


「はは、女将さんがやらせたんじゃないですか……だから、約束は守って下さいよ?」

「分かってます。貴方はこれからもウチの板長ですよ」

「……なら、文句はありません。ただ、捕まるのだけは勘弁ですからね」

「何度も言ったじゃないですか。ちゃんと政府高官と話はついています」

 ――政府規模の陰謀……!


「ウチは老朽化した建物を火事の名目で保険金を貰って処分。

 政府は火事場泥棒を一網打尽。一蓮托生なんですから」

「ふん。金品なんて初めから移動してあるってのに、偽情報に踊らされるなんて馬鹿な泥棒達ですよね」

「まったくです! これから三十分もすれば警察が突入するはずなのに!」

 二人の笑い声が小さく届いてきた。


「……でも、俺達はここにいなくても良かったんじゃないですか?」

「いいえ。全員無傷じゃ怪しまれます。私達は時間が来たら病院に運ばれないと」

「なるほど……俺達は被害者ですか」

「もちろん!」

 もう一度二人が笑ったところで、女火事場泥棒はそっと上へと戻っていった。

 彼女は客室に出ると、


「まさか政府が火事を自作自演するなんて思わなかったわ……」


 そう言ってしばらく考え込んだ。


 やがて彼女は頷くと、客室で一番重たそうな金属製の雨戸を三枚全て持ってきて床の扉に被せた。


 さらに重たいものをいくつも雨戸に載せる。これでは二人が出ることなど出来ないだろう。


「これでよし、と。……さて、警察が来る前に逃げるとしましょう」



 女火事場泥棒はさらに騒がしくなっていく小道を野次馬と反対方向に歩いて行く。


 その足取りは手ぶらなのに余裕があって優雅に見えた。

 ――帰りの抜け道も用意しておいて良かった。


 彼女は携帯電話を取り出すと、操作し始めた。

 ――報告しないとね。


 電話を掛けると、すぐに相手が出た。


「もしもし、私だけど」

「どうだった?」

 低い男の声が鋭く響いた。それに――


「……大成功」


 ――彼女は笑みを浮かべた。


「それは何より。何を盗んだ?」

「放火犯の居場所と陰謀……いくらで買ってくれる?」


 そうして、情報専門の火事場泥棒は放火犯の居場所と政府の大スキャンダルを見事に盗んだのだった。

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