とりあえずの罪

R

第1話

 「あなた、わたしたちの子供よ」


 妻がベッドで嬉しそうに言っているのを聞きながら、男は面倒くさいと思った。

 赤ちゃんが生まれたからといって、自分はわざわざ病院に来なくても良かったかなと思う。


 妻の話が終わったタイミングで、

 「とりあえず安静にしておくんだぞ。俺はもう帰るから」

と言って男は病院を出た。


 外は風が吹いていて肌寒かった。歩いていくと、ふと、ラーメン屋が目に入った。お腹が鳴った。


 男は自分が空腹なことに気づいた。どこかで食べてから帰るか、弁当でも買うか。迷った末、男はとりあえず帰ることにした。


 家に着いて冷蔵庫を見たが、そこには飲みかけの牛乳と、男はあまり使うことのないジャムやふりかけや調味料の類しかなかった。妻が病院に行ってから、男は自分で何かを買うということはしなかったのだ。   

 せめて米さえあれば他に何もなくても食べられるのだが。


 男は、とりあえず何かしら体に入れなければ死んでしまうので、仕方なく水道の蛇口をひねり、コップに水を半分ほど注いでそれを一気に飲み干した。


 そこで男はやることがなくなって手持ち無沙汰になったので、とりあえず寝ることにした。


 男は寝るのが好きだった。寝ている間は何も考えなくていい。気づけば時間が経っている。暇なときはとりあえず寝ておけば、時間はいくらでも消費できた。


 そんな非生産的な日常を繰り返して生きてきた男は、だんだん考えることをしなくなっていった。

 困ったときも、とりあえず無難な選択をしていれば生活するのに別段苦はなかった。


 妻が入院している間も、男は最低限妻に頼まれたときと仕事以外では外に出なかった。  

 どこかに行こうと思っても、自分では決められず、そういうときはとりあえず寝ることにしていた。



 一週間ほどで妻と赤ちゃんが家に帰ってきた。しかし男はどうして良いか分からず、また寝ることにした。


 どれくらい時間が経っただろうか。男が目を覚ますと、妻はいなかった。買い物にでも行ったのだろうか。

 男がまだぼんやりしている頭で考えていると、かすかに赤ちゃんの泣き声が聞こえた。そうだ、家にはもう赤ちゃんがいるのだ、と男は思い出し、声がする方に向かった。


 どうやら、声は寝室から聞こえてくるようだった。男が寝室のドアを開けると、そこには自分たちのベッドと布団に埋もれて苦しそうに声を上げている赤ちゃんがいた。


 男は戸惑った。

 「どうしよう、とりあえず妻に連絡を…。いや、病院か…。とりあえず様子を見るか…」

 男はしばらく立ち尽くした。


 泣き声はやがて止んだ。赤ちゃんは動かなくなっていた。

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