とりあえずあなたの好みに合わせたはず
とりのめ
ただし望み通りにはならないかもな
トーマスは大きくため息を吐いた。
正装した男女の賑やかな声浴び、忙しなく働く人々を避け、きらびやかな会場からようやく抜け出したからだ。
ネクタイ緩め、襟元も開ける。きっちりセットした髪にも手を差し入れて崩し、いつもの姿に戻す。ジャケットのボタンは外して前を開けると軽く腕を回した。こういう格好をする機会は限られているのでいつの間にか肩が凝るのだ。
「……ったく、この手の場所はいつまで経っても苦手だぜ」
自分のジャケットの肩あたりから漂う、誰かの香水の残り香を吸ってしまい、眉間に深くシワを刻んだ。しかし苦労した甲斐があり、彼のジャケットの内ポケットには目当てのものが入っている。ベタベタと触られ、身体を寄せられても我慢したのだ、これはいただいておかねば割が合わない。
自分のセキュリティカードがなくなっていると主催者が気が付く前に、目的を達成してさっさとズラかりたいものだ。
「……金持ちの考えてることなんて、一生わかんねぇだろうな」
豪華というか、はっきり悪趣味と言っていいのか、理解の追いつかないオブジェを見つつ、そんなことを呟く。カネの使い方、もうちょっとなんかあるだろ。
セキュリティカードをかざし、解錠すると素早くコンピュータールームに滑り込む。事前にサミュエルに指示をされた通り、ずらりと並ぶ電子機器の箱の前を数えながら通り過ぎる。
「……5番目の箱の後の列の……更に右手に3つあって……その裏……」
何本もコードを生やした裏側を覗き込み、いくつか並ぶUSBの差込口に持ち込んだ小型デバイスを挿す。指定された機械だったらどこでもいいと言われたので、とりあえず一番右上に挿しておいた。
「これで、監視システムに干渉できるってんだから……うちのブレイン達はすげーな……」
こっちも一生理解できなさそうだな、と呟きながらその場を立ち去る。コンピュータールームを出て、パーティ会場に戻る前にセキュリティカードは廊下に落としておく。そして崩した服装を戻し、髪は申し訳程度に手で押さえる。
長居は無用と足早に立ち去ろうとする彼を呼び止める声があった。トーマスはゆっくりと振り返る。
「……あ、良かった。間に合って」
年若い青年がそう言ってトーマスを見上げながら微笑む。金髪碧眼のきれいな顔立ちをしている彼は、ようやく少年の域を脱したくらいでは、と思わざるをえない。
「……これはこれは、驚いた……。これほどまでにお美しい天使に声をかけていただけるとは光栄ですな」
トーマスは大げさなほど恭しく一礼する。青年はそんなトーマスに、大げさですよ、とはにかんだ。この微笑む表情を見れば大抵の男は落ちるだろう。例え目の前の人間が同性だったとしても。それほどに美しい容姿を持ち合わせている人間が声をかけてくるとは、裏があるのではと疑いたくもなる。
(……会場で接点は、なかったな……)
記憶をざっくり再確認し、青年に向き直ると彼は少し声を落としてトーマスにこの後の予定を聞いてくる。なにもないと答えると、青年はトーマスと一緒にいさせてくれないか、と縋ってきた。トーマスの手を取る彼のその手がかすかに震えている事に気が付き、いよいよ確信に至る。こいつは訳アリでどうもハニートラップくさいな、と。
(……せっかくだし、乗らせてもらおうか)
結果はどうかわからないが、とりあえず何か起きたらその都度、対処すればいいだろ。
トーマスは青年を自分の宿泊しているホテルに連れ込んだ。彼は行きたい場所があると言ったが、それには従わず半ば強引とも言える形をとる。
青年は思っていた事態と変わってきていることに動揺を隠せないでいるようだ。そしてしきりに髪の毛に隠れている自分の右耳辺りを気にしている。
おそらく、小型の通信機があるんだろうな、ということはトーマスも見抜いていた。まだ気付かないふりを貫き、立ったままの彼にベッドに座るよう促し、自分は着ているジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めてから青年のもとに歩み寄る。
その手にはホテルのデスクに置かれているメモ用紙とペンが握られていたが、予想外の展開になった青年はトーマスがそれを持っていることを疑問にすら思わない。ずい、と彼の眼前に出されたメモ用紙にはこう書かれていた。
『俺が何を喋ろうと、君は字を見ろ』
事態が飲み込めずにいる青年の横に座ると、その右耳あたりに手を差し入れる。彼の耳に装着されていた通信機を抜き取ると、トーマスは自分の人差し指を口元に当て、うっすら微笑んだ。それを耳によせると、その通信機からはこの青年に指示を出している側の人間が、一生懸命小声で喋っているのが聞こえる。指示、というよりほぼ罵詈雑言だ。
「……すまないな、俺は我慢の効かない人間で」
「……あ、……え、と……」
「事を急いでいる自覚はあるし、君が驚くのも無理はない。だが……」
そう喋りながらも手は別の言葉を書いている。
『こいつらから君を解放する。信じてくれ』
「……できる限りの優しさを俺が持っていると証明させてくれ……」
彼の肩に手をかけ、ベッドに押し倒したところに覆いかぶさりながらトーマスは優しく囁いた。
『……トムさん、ちょっといいですか』
「……いやー、いつも悪いなぁチーフ」
『……ちょっとコンビニでも行ってくる、みたいなテンションで犯罪組織の末端をツブしてくるの勘弁してくれない? うちがどういう状況かわかってる?? 慢性的人手不足なの!! 予定にないお片付け部隊出せないの!!』
「そうはいっても、ツブしてきちゃったしさぁー」
うーん、参ったなー、とこぼしながらトーマスは頭を掻いた。電話の向こうでこれでもかと大きなため息を吐いた彼の上司は、しばらくの沈黙の後、仕方ない、と小さく呟く。
『……末端も末端だし、ここは現地の警察に任せるのがいいか……。売春と人身売買に誘拐でしょ?』
「そうそう。あと、なんで俺を狙ってきたのか聞いてみたけど、依頼主から指示されただけでなんにも知らねぇってさ」
『……トム・スミスは恨みを買ってるからねぇ』
「……俺の身に覚えはねぇんだけど」
『じゃあ、どのトム・スミスの事だろうね』
上司は意味深に呟き、油断せずに気を付けて帰っておいでね、と穏やかに付け加えて通話が終わった。
とりあえずあなたの好みに合わせたはず とりのめ @milvus1530
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