第9話 愛馬

 ユーリの部屋へ向かう途中、フリーデはちらっとギュスターブを見る。


「どうかしたか?」

「先程は意見を聞き届けてくれてありがとうございます。あのことですが」

「お前に気に入られるために受け入れた訳じゃないから安心してくれ。お前の考えがいいと思ったからやってみようと思ったんだ。領民の生活がかかっているんだ。公私混同で決めたりはしない」

「……でしたらいいんです」

「氷に関しては正直、半信半疑だがな。でももし氷が輸出品になれば、領地にとってはいいことだ。魚は他の地域でもどうにかできるが、氷はそうもいかないからな」

「それに、氷作りに人手を雇えれば、働き口に困っている人の助けにもなります。だからうまくいくよう祈りましょう」


 ユーリの部屋へ入ると、文字の練習をしているところだった。

 フリーデたちの訪問に、ユーリは顔を輝かせた。


「ギュスターブ様! ユーリ様!」

「文字の練習をしてたのね」

「見て下さい」

「うまく書けてるわ」


 はじめの頃と比べると、文字のバランスもいい。

 フリーデが頭を撫でると、ユーリは頬を赤らめてはにかんだ。


「これから外を散歩するんだが、来るか?」


 ユーリは満面の笑顔になる。


「行きます!」


 ユーリにはしっかり温かい格好をさせ、手を繋いで城の外に出る。

 夏と言っても、北部はそこまで気温が上がらない。前世の夏を知っている身からすれば春先に近いかもしれない。


「ユーリ、どこか行きたい場所はある?」

「行きたい場所……」

「馬は好きか?」

「はい、好きです! 厩舎の掃除もしてたので!」


 ユーリは目を輝かせた。


「うちにはたくさん馬がいるんだ」

「どれくらいですか?」

「二百頭はいる」

「そんなに!?」


 声をあげたのはフリーデだった。ユーリがびっくりした顔をしていることに気づき、フリーデは頬を赤らめ、咳払いをした。


「……知りませんでした」


 ギュスターブは目を細め、口元を緩めた。


「なら見に行こう」


 ユーリと手を繋ぎ、回廊を歩く。少し前を先導するようにギュスターブが歩いている。

 ユーリがちらちらと、ギュスターブを気にしていることに気付く。


「ギュスターブ様、ユーリと手をつないでください」

「ぼ、僕はそんな……」

「手を繋ぎたくなくないなら、いいんだけど」

「僕は――」

「遠慮は駄目よ」

「……つなぎたい、です」

「というわけですので」


 ユーリは耳を真っ赤にさせて恥ずかしそうに呟いた。

 ギュスターブは立ち止まると、左手を伸ばしてくると、ユーリは飛びつくようにその手を握る。

 ギュスターブはユーリの右手を包み込むように握る。


「馬鹿力で手をつぶさないようにしてくださいね」

「俺をなんだと思ってるんだ」


 ギュスターブは苦笑する。

 ユーリを見ると、嬉しそうだ。


「やっぱり、ギュスターブ様はすごいですね」

「ん、すごい?」

「僕の手が隠れてしまうくらい手が大きいですっ!」

「お前もそのうち、体が大きくなってくる」

「だったら嬉しいですっ」

「体を動かし、好き嫌いせず色々なものを食べるんだ」

「はい!」


 ――まるで本当の父子みたい。


 微笑ましい。

 厩舎に近づくと、獣臭がきつくなってくる。都会暮らしにはなかなか厳しいものがあるけれど、怯んではいられない。

 そこにもたくさんの人たちがいて、忙しそうに働いている。

 みんな、ギュスターブに気付くと帽子を取って頭を下げ、それからフリーデに気付いて驚いた顔をしてから挨拶をしてくる。


「これは伯爵様」

「作業を続けてくれ。カトル」


 周囲の人間に指示をとばしている立派なひげをたくわえた中年男性が近づいてくる。小柄ながら、かなりいかつい顔をしていた。


「奥様まで! ご夫婦で一緒とは、珍しいですね」


 フリーデは曖昧に頷く。珍しいというか、こうして城の外を見て回ることさえ、初めてのことだ。


「そちらのお子様は?」

「俺の恩人の子で、ユーリと言う」

「ゆ、ユーリです。はじめましてっ」


 ユーリは深々と頭を下げた。


「はっはっはっは。こりゃ礼儀ただしい! はじめまして、坊や」

「ユーリが馬が好きと言っていていたから連れて来た。仔馬が何頭か生まれただろう。それを見せてやれるか?」

「もちろんでございます。こちらです。あ、奥様は……」


 カトルがちらっとフリーデの足元を見て、言葉を濁す。


「靴が汚れる、ですか? そんなことは気にしません。汚れたら洗えばいいんですから」


 ところどころ水たまりやぬかるみのある地面を、フリーデは構わず進んだ。しかしヒールの踵がはまり、前のめりになるところをギュスターブに手を取られて支えてもらう。


「あ、ありがとうございます」

「もしあれだったら、抱き上げるが?」

「それは結構です。でも手は、お願いしま……あ、でもそうすると、ユーリが」

「僕のことは気にしないでください。ギュスターブ様は旦那さんなんですから、フリーデ様のことをよろしくお願いしますっ」

「でもユーリも歩きづらいでしょ?」

「ご安心を。このジジイが支えましょう」


 ユーリはカトルと手を繋ぐ。


「ということらしいが」


 ギュスターブが目だけで微笑み、「どうする?」と問いかけてくる。


「……ではお願いします」

「分かった」


(たしかにギュスターブ様の手、大きい。こんなに大きかったんだ)


 厩舎には本当にたくさんの馬がいた。黒いのや茶色の、赤毛や白馬。

 どの馬も筋骨隆々でたくましい。

 ユーリは牧草地で放し飼いにされている馬に目を輝かせた。

 鞍もなにも乗せられていない馬たちはまるでじゃれ合うように体を擦り合ったり、競争をしたりして遊んでいる。


「かっこいい!」


 ユーリの無邪気さは見ているだけで、フリーデまで嬉しくなってくる。

 厩舎には、母子の馬だけが飼育されているエリアがある。子馬が母親のお乳に吸い付いている。


「あの四頭が最近うまれたものです」

「近くて見てもいいですか?」

「あんまり刺激しないように気を付けてください。子育て中の母親は神経質ですから」


 カトルから許可をもらったユーリが、近寄る。

 乳を飲み終えた真っ黒な仔馬の一頭が、潤んだ目でじっとユーリを見てくる。

 ユーリが少し近寄ると,仔馬のほうも興味深げにユーリを見つめながら、近づいて来た。

 そんな彼の姿を見ていたフリーデの頭に、不意にとある文章が浮かんできた。


【「この馬とは、お互い、子どもの頃から気が合った。今となっては、こいつが俺の唯一の仲間であり、友だ」

 ユーリは顔をすり寄せるローランの頬を抱き寄せ、切なげに呟いた。】


 作中、ギュスターブを失ったあと、雨宿りでたまたま一緒になった流れ者との会話の一部。

 仔馬は、物怖じすることなくじっとユーリを見つめる。


「触ってみろ」


 ギュスターブがそっと促す。


「いいんですか?」

「あいつもお前に興味を示している」


 ユーリは恐る恐る右手を伸ばし、馬の鼻面を優しく撫でる。

 ヒィィン。

 仔馬はかすかに目を細め、頬をすりすりと頬ずりする。最初はおっかなびっくりだったユーリも、その仔馬がなついてくれるのが分かったのか、頬をすり寄せ、抱きしめる。


「気に入ったか?」

「はいっ」

「なら、今日からそいつはお前の馬だ。大事にしろ」

「頂けるんですか!?」

「二言はない。名前をつけてやれ」

「えっと、えっと……」

「ローラン」


 思わずフリーデは呟き、全員の視線が集まっていることに気付いてはっとする。


「僕もその名前が頭に浮かんでいたところです! ローランにします! よろしくね、ローラン!」


 馬は名前を気に入ったみたいに小さく嘶くと、母親の元へ戻っていく。


「ローランには何か意味があるのか?」


 ギュスターブが興味深そうに、フリーデに聞いてくる。


「あ、いえ。私も名前が頭に浮かんできただけです。あはは」


 誤魔化せたのかは分からないが、ギュスターブは微笑み、それ以上は何も聞いてこなかった。


「えへへ、フリーデ様と一緒のことを考えるなんて、嬉しいです」

「私もよ」


 フリーデたちは微笑みあった。

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