第8話 領地経営

 くたくたに疲れたユーリは馬車の中で寝息を立て、ユーリに体を預けている。

 その腕の中には、今日購入したばかりの服が大切そうに抱えられていた。

 洋装店は城まで届けると言ってくれたのだが、自分の服は持って帰りたいとユーリが言ったのだ。

 服を購入したあと、街を軽く見て回ったのだが、その間も肌身離さず服を抱えていた。


「幸せそうな寝顔だな」


 向かいに座ったギュスターブが笑み混じりに言った。


「そうですね。楽しんでくれて良かった」


 これからこうして一つ一つ、ユーリが喜んでくれることを積み上げていきたい。

 それはきっと、心の栄養になり、彼の人生を豊かにしてくれるはずだから。

 やがて城に到着する。

 フリーデはユーリを起こさないよう慎重に抱き上げると、城に入る。


「おかえりなさいませ……」


 出迎えてくれたメイドたちに、フリーデは静かに、とジェスチャーをし、ユーリの寝顔を見せる。

 フリーデの寝室まで連れて行くと、服を脱がせ、着替えさせる。途中で目覚めたように声を漏らしたが、すぐにまた眠ってしまった。

 そんな仕草を見ていると、普段はそこらへんの大人以上にしっかりしているように見えるユーリも、まだまだ子どもなんだと思えて微笑ましい。

 フリーデとギュスターブは、ユーリを間に挟み、二人して寝顔を見つめる。


「……ふりーでさま……こっちのどれすがすてきですぅ……」


 どうやら夢の中でも服を選んでいるらしく、フリーデとギュスターブは同時に、吹き出してしまう。

 こんなに幸せそうな顔をしてくれているのなら、連れて行って良かった。


「ギュスターブ様、今日は街まで連れていってくださってありがとうございます」


 突然礼を言われた彼は、驚いたように目を瞠った。


「な、なんですか、その顔は」

「いや……礼を言ってもらえるとは思わなかったから。もちろん、礼を言ってほしくてしたんじゃないが。フリーデも楽しんでくれたか?」

「そうですね。今日は久しぶりに楽しかったですね」

「なら、良かった」


 ギュスターブは当然のようにその場にごろんと寝転がった。


「……今日も、ここで眠るんですね」

「当然だろ。俺に離縁をするつもりはない」

「どうぞ、お好きに仰ってください。でも一緒に寝たからって、心変わりなんていたしませんので」

「分かってる。これはただ俺がしたいだけだ。おやすみ、フリーデ」

「…………おやすみなさい」


 目を閉じた。



 とある昼下がり。


 フリーデは思い出せる限り、この物語の大きなイベントをノートへ書き連ねていた。

 その中で早い内に対処をしておくべきなのは、二年後、北部の夏を襲う冷害、そして秋からはじまる大寒波だろう。


 冷害によって北部にある農耕が可能な僅かな土地が大打撃を受けただけでなく、秋から始まった大寒波によって南部と北部の行き来も難しくなり、飢餓が流行る。

 ギュスターブたちは民を救おうと備蓄していた食糧を開放するがとても間に合わず、大量の餓死者が出てしまう。


 大寒波の影響で死者を埋葬することもできず、街道に死者が溢れるのをただ傍観することしかできなかった。しかし問題はそれだけにとどまらなかった。

 春を迎えると、大勢の死体が腐り始め、そこから疫病が発生。

 大寒波を乗り越えた人々の多くがさらに命を奪われる。


 これに目をつけたのが、皇帝だ。

 皇帝は飢餓と疫病の発生の全責任をギュスターブに追わせ、責め立てた。

 ギュスターブは運良く病にかからなかったが、家臣の多くが倒れたせいで、領地経営は機能不全に陥っていた。

 皇帝は領地を召し上げ、ユーリもろともギュスターブを殺すよう、北部の皇帝派貴族に命じた。

 これにて長きにわたるギュスターブたちの逃避行がはじまる。

 その逃避行の果てに、ギュスターブはユーリを庇って死に、たった一人残されたユーリの苦難がはじまりを迎えるのだ。


 皇帝から領地を守るには、大寒波に備えた作物の確保、さらに医療の発展が急務。

 とある一人の女性によって北部の過酷な環境でもよく育つ野菜が発見される。

 帝都の医者にして植物学者である、シオン・クラスポー。若き才媛である彼女は平民でありながらその優秀さでアカデミーへの入学を許されるも、男社会の中で十分にその能力を発揮できず、不遇な目に遭っている。


 彼女の才能が花開くのは、ユーリが皇帝になってから。

 一刻も早くシオンを領地へ招かなければならない。

 しかしギュスターブに突然、そんなことを言えば意図を探られる。

 なにせ彼が戦地へ出向く間、領地経営は執事のルードがおこない、フリーデは触れてこなかった。


 にもかかわらず、いきなりシオンを北部に招くことを主張すれば、違和感を持たれる。

 まさか未来が分かると言うわけにもいかない。

 それが不自然に見えぬよう、領地経営に参加し、功績をあげておいたほうがいい。


 というわけで領地経営の改善案も考えた。

 フリーデは部屋を出ると、執務室の扉をノックする。


「入れ」

「失礼します」


 フリーデの登場に、ギュスターブやルードは驚きを隠せないようだった。


「私は下がっております」


 部屋を出ようとするルードを、フリーデは呼び止めた。


「ルードもいて。あなたにもかかわることだから」

「ユーリに何かあったのか?」


 フリーデは首を横に振った。


「いいえ、別件です。私も領地経営に参加したいと思い、本日は足を運びました」

「本当でございますか!?」


 迷惑がられるかと思ったが、ルードは嬉しそうに言った。


「ルード。本来、ギュスターブ様を支えるのは私の仕事であったにもかかわらず、長らく、あなたに任せきりにしてしまいました。ごめんなさい」

「いいんです、そんなことは……」

「またいつギュスターブ様が出兵されるかも分からないことを考えると、私も領地経営を勉強しなければいけないと思ったんです」

「当分出兵するつもりはないが、そう言ってくれて嬉しい」


 ギュスターブも二つ返事で許可してくれる。


「だが、やるからにはしっかりやってくれ。北部の民の命に関わることだ」

「もちろんです」

「なら、歓迎する」

「それで、今なにを話していたのですか?」

「領地の新しい事業に関して、でございます。この地は一年の半分が冬です。農耕や商品作物などの栽培には不向き。鉱物資源に関しても調査費用がかさんで、どうするべきかと頭を悩ませていたところで」

「氷を輸出するのはいかがですか?」

「氷というのは、あの氷か?」

「はい」

「それは先々代様が一時期やっておられましたが、南部に到着する頃にはすっかり溶けて、とても有効な事業とは」


 ルードが言葉を選びながら言う。


「安定的に氷を都まで輸出することができるかもしれません」

「どうやって」

「木材から出るおがくずを使います。これを氷にまぶし、保温するんです。表面は溶けるでしょうが、大本の氷が損なわれることを防げます」


 これは江戸時代、日本でも実際に行われた氷の輸送方法で、現代でもそういったやり方で天然氷の保存が行われてもいる。

 ギュスターブとルードは顔を見合わせる。


「……方法を考えてくれたのは嬉しいが、おかずくで、本当にできるものなのか……?」

「実家にいたころ家庭教師の先生から教わったんです。たとえばお風呂上がりに濡れたままの体でいると、風邪を引きますよね? あれは体についた水分が蒸発する時に、体温も一緒に奪うことで冷えるからだそうで……」

「つまり、おがくずを氷の表面にまぶすことで水分を吸収させ、蒸発する際に、熱を奪わせることで、氷を溶けにくくするということか?」

「そういうことです。嬉しいことに北部の財源は木材の輸送。おがくずも大量に余らせていますよね」

「たしかに処分に困るほどあるが」


 ドキドキしながら二人を見つめる。


「どう思う、ルード」

「こればっかりは私には……その、考えたこともない発想でして」


 困惑するのは仕方がない。

 いきなり、はいそうですか、ということにはならないだろう。


「一度、試しにやっていただけませんか? それでうまくいけば良し、失敗しても失うものは氷とおかずくだけですから」

「そうだな。せっかくフリーデが考えたんだ。試すだけ試してみるか」

「よろしいのですか?」

「俺たちはここ数日、事業について話してきたが、有効なものは思いつけなかっただろう。それに失敗してもフリーデの言う通り、失うものは少ない」

「かしこまりました」

「それからもう一点よろしいですか? 新しい事業ではありませんが、魚の塩漬けに関してです。あれの輸出はやめるべきです」

「奥様、それは……。この領地にとって大切な輸出品ですので」

「それは分かってるわ。でもね、商人たちは私たちの足元を見て、安く買いたたかれているんじゃない?」


 ルードは驚きに目を見開く。


「よく、ご存じで……」


 図書室で過去の記録に目を通して知ったことだ。

 でもそんなことを続けていては、せっかくの特産をどぶに捨てているも同様。

 商人たちに買いたたかれるということは、過酷な環境で漁に出る人々の実入りも少なくなる。彼らの実入りが少なくなれば、北方の経済はますます縮小してしまう。

 消費者にお金が回らなければ、影響は領地全体に広がる。


「なら、どうする?」

「地産地消。つまり、魚はこの領地で領民向けに販売するんです。そっちのほうが商人に買いたたかれるよりずっといいはず。それでも消費しきれなかった分を輸出に回せばいいのです」

「しかし奥様、代わりの輸出品はどうするのですか?」

「氷を代わりになるはず」

「まだうまくいくかは分かりません」

「そうね。でもこちらが下手に出れば出るほど、嗅覚の鋭い商人たちは買いたたくでしょう。でも北部の魚は、皇宮の宴でも人気なのよ。商人たちにとっても北部の魚は重要なの。ここは根比べが必要な時だと思います。そして何がなんでも商人から妥協を引き出さないと」


 フリーデは、ギュスターブをじっと見つめる。


「フリーデの言う通りにやってみよう。買いたたかれている問題は、俺たちにとっても頭の痛い問題だっただろ。これはいい機会じゃないか。傭兵稼業と一緒だ。何でもかんでもハイハイと言われるがままに従っていても、ありがたがられるどころか、いつの間にか、これくらいのことならやって当然という認識に変わる。商人どもに暴利を肥え太らせるために北部の民を犠牲にするわけにはいかない」

「左様でございますね……」


 ルードはすぐに部屋を出ていく。迅速に動くところが本当に頼もしい執事だ。

 彼の将兵もそうだが、ギュスターブは人に恵まれている。


「ありがとうございます、ギュスターブ様。ではこれで失礼いたします」

「待て。少し外を散歩しないか? 今日は天気がいいし、風も穏やかだ。ユーリも誘って」


 フリーデは執務室の窓から外を眺める。たしかに今日はいい天気だ。今日は朝から部屋にこもっていたから気付かなかった。


「それはいい考えですね」

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