第6話 契約書

 翌朝、目覚めたフリーデはギュスターブがいないことに気付く。

 彼が眠っていた布団に触れるとひんやりして冷たかった。

 きっと朝の訓練にでも出たのだろう。

 布団から出ようとすると、重みを感じた。見ると、ユーリが胸元にぎゅっと抱きついている。


「ふふっ」


 その無邪気な表情に、口元が緩んだ。

 前世の自分は独身だった。

 家と会社の往復で、まだ結婚しないと母からせっつかれる日々にうんざりしていた。


 いつかはできるだろうし、そのいつかを待てばいいやと気楽に思っていたが、まさか事故に遭うとは思いもよらなかった。


「んぁ……?」


 半ばねぼけたユーリと目が合う。


「あ、ふ、フリーデ様……ごめんなさい……っ」

「いいのよ」


 ユーリはあわあわと赤面する。そんなちょっとした仕草にも胸がきゅんとする。

 扉をノックする音にベッドから降りて扉を開けると、メイドだった。


「奥様、ユーリ様、おはようございます」

「お、おはようございます……!」


 ユーリはぺこぺこと頭を下げる。

 メイドは微笑み、カーテンを開けた。

 眩しい朝日に目を細める。


「ギュスターブ様がどこにいるか分かる?」

「旦那様でしたら、執事長様と一緒に執務中でございます。それから、朝食をご一緒にと仰られていましたがどうされますか?」

「そうね、食べるわ。ユーリも食べるでしょ」

「はいっ」

「ユーリを部屋へ連れて行って、着替えさせてくれる?」

「かしこまりました」

「ユーリ。また後で会いましょうね」

「はいっ」


 ――うーん、ユーリってばいい子!


 手を振って見送ると、別のメイドに手伝ってもらいドレスに着替える。

 食堂に足を運ぶと、ギュスターブとユーリはすでに席に着いていた。

 フリーデを見ると、ユーリはわざわざ椅子から立ち上がって頭を下げる。


「ユーリ、そんなことをわざわざしなくてもいいのよ。私たちは家族なんだから」

「か、家族……」


 ユーリは頬を桜色に染める。


「フリーデ、おはよう」


 ギュスターブが挨拶してくる。こんな普通の挨拶を交わすのははじめてだ。


「……おはようございます。今日はずいぶん早く起きられたのですね」

「早くに目が覚めたんだ」

「すいません。僕がいたから……」

 ユーリが申し訳なさそうに萎縮すると、ギュスターブは首を横に振った。

「まだ体が戦時から平時に移行しきれてないだけだ。戦場では自然と眠りが浅くなる。そのうち戻っていくものだから気にするな」

「そういうものなのですね」


 食事が運ばれてくる。バスケット山盛りの焼きたてのパンと温かなコーンスープを前に、ユーリのお腹が盛大に鳴った。


「あっ」

「ふふ、遠慮せずたくさん食べて」

「ここにあるもの、ぜんぶ食べていいんですか?」

「もちろん。あ、でも無理はしないようにね。お腹を壊すから」


 ユーリは頬が膨らむくらいパンを詰め込むように、あっという間に平らげてしまう。


「あ、すいません。ユーリ様とギュスターブ様の分が……」

「気にするな。それより腹はいっぱいになったか?」

「はい。こんなにお腹がいっぱいになったの初めてです! 温かい食事も! 幸せです!」


 こんな何気ない食事で幸せを感じてくれて嬉しい。それだけ過酷な日々を耐えてきたんだ。

 食事が終わると、ギュスターブは席を立つ。


「フリーデ、執務室に来てくれ。見て欲しい書類がある」

「分かりました。ユーリ、少し部屋で待っててくれる? 用事が終わったらまた会いましょう」

「僕のことは気にしないでください。お二人のお邪魔はしたくないので」


 ――十歳にしては気を利かせすぎない!?


 ただ、ギュスターヴとの時間はどんどん邪魔して構わないんだけど、とは思った。



 執務室に入ると、書類とペンが差し出された。


「契約書だ」


 すでにギュスターブのサインが記されている。問題がないか、自分の目で一つ一つ、条項をチェックする。


『妻が、夫を愛した時にはいつでもこの契約を破棄できる』。


 その項目を見た時にはさすがに溜息が出そうになった。


 ――さすがにありえない。


 問題なしと判断してサインをする。お互いに一通ずつ保管する。


「それでは私はこれで」

 ぺこりと頭を下げて部屋を出ようとすると、呼び止められる。

「もう行くのか」

「他にもまだ何かありますか?」

「……いや」


 そこへルードが現れる。部屋を出ていこうとするフリーデに軽く会釈をする。

 部屋を出ていこうとする寸前、聞こえて来た会話に思わず足を止めた。


「ロレイン子爵の使者がきました。近々、援軍を頼みたい、とのことでございます」


 また戦争か。

 ギュスターブは戦争によって伯爵の位と領地を得た。

 そして今も彼は休む間もなく別の戦争へと向かおうとしている。

 彼には狂犬や戦争狂というあだ名がついているが、まったくお似合いだ。


 ――結局、また戦地にいかれるのね。今さら驚くようなこともないけれど、ユーリを引き取ったくせに無責任なんだから。


「断れ」


 フリーデは耳を疑った。


 ――え!?


 フリーデだけなく、ルードも驚きの表情を隠せない。


「よ、よろしいのですか?」

「ユーリのこともある。俺が領地を空けるわけにはいかないだろ」


 ――散々空けてきておいて、今さらでしょ!?


 ギュスターブは、フリーデのことをちらりと見る。


「私のことならお気になさらず。留守には馴れておりますので。どうぞ、どこへなりとも戦争をおやりになってください。ユーリのことはしっかり責任を持ちますので」

「いや。これからはお前との時間をつくりたい」


 フッ、と思わず笑ってしまう。


「今さら一緒にいたところで私の気持ちが変わりませんよ? 時間の無駄です」

「変えたいと思っている」


 ギュスターブは真摯に見つめてくる。

 そんな顔をされたら、フリーデが悪女のようではないか。


「……お好きなようになさってください」


 フリーデは部屋を出ると、ユーリの元へ向かう。


 ――契約を結んだからってあそこまでがらっと変わるもの?

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