第5話 一緒のベッドで

 あの子が人並みの幸せを得るには乗り越えなければいけない壁があまりにもありすぎる。

 ユーリが行動すれば、その波紋は国中に広がる。

 その波紋は、強欲な権力者たちを望むと望まないとにもかかわらず、駆り立ててしまうのだ。


 ――私の知識で、ユーリの障害を少しでも減らせればいいんだけど。


 目指すは彼の人格が歪まない形で、皇位を無事に継承すること。

 部屋に戻る。


 ――ギュスターブ様への報告は明日でいいわよね。


 色々とありすぎて、精神的に疲れてしまった。さっさと寝よう。


「フリーデ」

「!」


 予想外過ぎる声にびっくりするあまりつまずき、前のめりに倒れそうになってしまうのを、ギュスターブが抱きとめる。


「ぎゅ、ギュスターブ様……? 部屋にお戻りになられたんじゃ?」

「ユーリのことを聞くまで眠るわけにはいかないからな。それで?」

「今眠ったところです。それから、もう大丈夫ですので離してくれませんか?」

「このままでも話は聞けるが」

「私が嫌なんです。だいたい離婚を切り出した相手とよく抱きしめたくなりますね」

「俺は離婚を承諾してないからな」

「……そうでした」


 ギュスターブの腕から力が抜けるので、さっさと距離を取る。

 フリーデはベッドに腰かける。ギュスターブは当たり前のように隣に並ぼうとするので、「あなたはそちらに座ってください」とカウチを示すと、不満そうな顔を一瞬見せたが、大人しく従う。


 ――一体どういうつもりなの?


 離縁をきりだされて突然、惜しくなったのか。しかし物語のことを知っているフリーデには通じない。ギュスターブはフリーデのことなんて一切考えない。

 その死後も一度も思い返すこともない。その程度の存在だ。

 そのうち、いい夫を演じるのにも飽きて、いつも通りの無関心に戻るだろ。

 それまでの我慢だ。

 フリーデは、ユーリのことを話して聞かせた。


「彼を引き取った時はどんな状況だったんですか?」

「奴隷も同然だった。とても許せるものではなかったから、ユーリを引き取ったあと……」

「詳しくはいいです」

「そうだな」


 話題を変える。


「ユーリは自分の出自のことは知ってるんですか?」

「本来の皇帝だと言っても混乱させるだけだ。皇位継承者ということはルードしか知らない。他の者には、恩人の子どもと話している。だから、そのあたりは気を付けてくれ。本当の出自に関しては折を見て話す」

「分かりました。それがいいですよね。それじゃ、おやすみなさい」


 しかしギュスターブななかなかその場から動こうとしない。

 いくら待っても意味はないと告げるようにフリーデはベッドにさっさともぐりこんで、背を向ける。

 小さく溜息をついたギュスターブが腰を持ち上げる気配。


 ――そうよ、さっさと出ていってください。


 この一日で、一生分会話したような気がする。くたくただ。


「……ユーリ、どうしたんだ?」

「えっ」


 飛び起きると、ギュスターブがユーリの手を引いてくる。

 ユーリは申し訳なさそうに眉を下げる。


「申し訳ありません、お二人の時間をお邪魔をしてしまって……」

「い、いいのよ。別に。それよりどうしたの?」


 ユーリはモジモジする。


「いつもは厩舎で牛や豚たちと眠っていて……賑やかだったもので、一人だとどうしても……それで……あの……ご迷惑とは思いますが、一緒に眠ってもらえませんか……?」

「いいわ。一緒に眠りましょう」

「ありがとうございますっ」


 ユーリのために、フリーデは左隣にスペースを空ける。


「あ、でもこの体勢ですと、ギュスターヴ様が眠れないですよ?」

「え、ギュスターブ様も一緒に寝るの!?」

「……寝ないんですか? お二人は結婚されていて……」

「それは、そうなんだけどぉ……」


 次の瞬間、ベッドが想像以上に沈んだ。


「ギュスターブ様!?」


 ギュスターブがユーリを挟むように、ベッドに潜り込んできたのだ。

 ユーリの手前、叩き出すわけにもいかない。

 ユーリは「あの、僕はここじゃなくても……」と遠慮するが、「大丈夫っ」とフリーデはしっかり彼の体を押さえ、動かないようにする。


 ――ユーリ、今のあなたは夫に対する防波堤だから動かないで!


「ギュスターブ様のことは一切、ぜんぜん気にしなくていいから。分かった?」

「は、はい」

「いい子ね」


 ユーリの頭を優しく撫でると、彼は耳まで真っ赤にする。でも嫌がっておらず、照れくさそうな顔だ。


「おやすみなさい、ユーリ」

「お、おやすみなさい、フリーデ様。ギュスターブ様」

「おやすみ、ユーリ」


 目を閉じると、すぐにユーリがすぅすぅと寝息をたてはじめた。


 ――ギュスターブ様と仲が良かったら、ここにもう一人、いたのかな。


 そんなことを、つい考えてしまい、はっと我に返って邪念を追い出す。


「ギュスターブ様、今日は特別ですからね。明日からは」

「ユーリがこの環境に馴れるまで、しばらくは一緒に寝た方がいいだろう」

「そ、それは少し卑怯では? これまで私たちは一度も同じベッドで眠ったことがないじゃないですか。今さら……」

「……ユーリのためだ。明日からいきなり別々に眠れば、自分のせいかと要らぬ罪悪感を抱かせることになる」

「う。それは……」


 ――子どもを盾にするのは卑怯では!?


 そう思いつつ、ギュスターブがユーリを寝室に連れて来たわけではない。

 ユーリの心身の状況を考えれば、あまり刺激をあたえないほうがいいだろう。

 今、彼に必要なのは愛情、そして周りの大人たちが守ってくれるという信頼と安心。


「……分かりました。でも、馴れるまでですから」


 ユーリを抱きしめながら、フリーデは目を閉じる。


 ――あぁ、子どもってすごく温かい。熱いくらい?


「おやすみ、フリーデ」

「………………………おやすみなさい」


 フリーデの意識はあっという間に、眠りの世界へと落ちていった。

 その日は夢もみないくらいぐっすり眠った。



 ユーリと抱き合うように眠るフリーデを、ギュスターブはじっと見つめる。

 二人の寝息以外、この静かな世界の空気を揺らす音は存在しない。

 戦場ではありえないことだ。

 帰ってきたのだと改めて思う。

 ギュスターブはゆっくりベッドから抜け出すと、懐から書状を引っ張り出す。

 それは戦場に届いた妻からの手紙。


『ギュスターブ様、突然このようなお手紙を差し上げて困惑されているかと思います。私はもう、あなたにほとほと愛想がつきました。離縁してください。あなたが戦場から悖り次第、詳しくお話がしたいです フリーデ』。


 ――妻からはじめてもらう手紙が、離縁状とはな、俺は本当に愚かだな。こんなことになるまで、フリーデの心に思い至らないなんて。


 しかし妻の状況を考えれば、離縁を思い立ってもしょうがない。

 仕方がないことを、ギュスターブは繰り返してきたのだから。

 気付くのが遅すぎたが、それでもまだできることはあるはずだ。

 誠心誠意、愛を伝える方法が。

 胸元から引っ張りだしたペンダントをぎゅっと握り、足音を殺して部屋を出た。

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