残された『トリあえず』

楠秋生

第1話

「とりあえず、ここを出よう」


 香澄と彩乃はお互いの手をしっかりと握って、駆け出した。

 真っ暗闇の林の奥には何が待っているか分からない。だけど、このまま二人で怪しげな建物にいるのは、もっと怖かった。


「ねぇ、あの家、絶対に何かいるよね?」


 歩きながら香澄が小声で問いかけた。彩乃からの返事はない。


「とりあえず出てきたけど、これからどこに行ったらいいんだろう?」


 サークルのみんなで集まったペンション。買い出しに出た他のメンバーが帰ってこないまま夜になった。



  ☆  ☆  ☆


「あー! もう! とりあえず書きかけたけど、なんか違う! これじゃあ、ただの『とりあえず』になっちゃう。面白くない!」


 美咲はパソコンを前に頭を抱えこんだ。


「気に入らないの?」


 コトンとコーヒーカップをキーボードの横に置いて、佳祐が隣に座った。


「ありがと」


 画面を睨みつけたまま、コーヒーに口をつける。気に入らないも気に入らない。大体なんで『トリあえず』なんてカタカナが入ってるのよ。すでにあがっている他の作者さんたちの作品にだーっと目を通してみたけれど、みんな苦労してるみたい。ネタも被ってきている。

 『トリ会えず』も思いついたけど、誰かが書いている。

『トリは〈あ〉絵図』ってどんな絵図よ。トリが〈あ〉なら、ハナは〈ん〉? いやおかしいよね。


 あー。何かこう、面白いの書けないかな。一味違うやつ。


「とりあえず書けたなら投稿しちゃったら?」


 佳祐がこんな風に口出ししてくるなんて珍しい。


「とりあえずで投稿なんていつもしてないのに、なんでそんなこと言うの? しかもあたしがその『トリあえず』で頭抱えてるっていうのに!」

 

 完全に八つ当たりなのは、美咲自身も分かっていた。だけど煮詰まったところに言われたものだから、つい言い返してしまっただけなのだ。


「そんなことより、とりあえず僕の話を聞いてほしい」

「そんなことってどういう意味? それにまたとりあえず、ってケンカ売ってるの!?」

「そうじゃない。ただ……」

「あー。もう! 毎年三月中はKACで頭がいっぱいなのわかってるでしょ! 落ち着いたらゆっくり聞くから、ちょっと待ってよ」


 まだ何か言いたそうにしばらく隣に座っていた佳祐は、美咲が画面から目を離さず全く話を聞く気がないのを見てとると、静かに部屋から出ていった。


 中々アイデアが浮かばす、お腹が空いてきたので席を立つ。ダイニングには、おにぎりが置いてあった。

 そういえば、コーヒーをちゃんと猫舌の美咲がすぐ飲めるようにちょうどいい温度だったことも思い出す。美咲は自分の態度の悪さをつくづく反省し、大きく一つため息をついた。


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