第3話 サンドスキンク
太陽は真上にあった。ジリジリと乾いた暑さがゆっくりと平等に生物を焼いていく。そんな気候の荒野で馬車が一台倒れていた。
付近には人型のトカゲが6匹。鎧のように太陽光を照り返す鱗で覆われた魔物だ。彼らは2人の人間を囲んでいた。1人は鉄のサーベルと皮の鎧で武装した戦士、もう1人は情けない声を上げて転がる商人。生きた人間はこの2人だけだった。もっとも死体ならばあと3人ほど転がっているが。
トカゲたちは鉄のサーベルを戦士に向ける。
「くそ! なんでこんなに
戦士が息を荒げながら、剣を前後左右のトカゲに忙しなく向けて牽制する。しかし、明らかに1人で6匹を相手取るのは無理があった。戦士の目に焦燥が映る。
「何してる! 早くこの汚らしいトカゲを殺せ!」と小太りの人間が叫んだ。その目も恐怖に揺れていた。怒鳴り散らす事で大抵の難事は解決してきたのだろうが、こと戦闘に関してはそうもいかない。
護衛が息絶えれば次は自分がトカゲ共に食いちぎられる番だと少しずつ理解してくると、一層大きな怒声が出る。
戦士の死角からトカゲが剣を振るった。戦士の皮鎧に当たり鈍い音が響く。斬れはしなかったが、衝撃で彼は膝をついた。
その一瞬の隙に握っている剣までも別のトカゲに弾かれて、明後日の方角へ飛んでいく。
男の目がいよいよ絶望に染まる。走馬灯でも見ているのか微動だにせず、もはや抵抗の意思はないようだった。
トカゲが剣を振りかぶる。狙いは男の首。
この一撃で男の人生は終わるだろう。冒険者としての稼ぎが軌道に乗り、これからという所だった。妹を魔法アカデミーに通わせるために金が必要だった。だが、
これまでか、と男が呟き、だらりと手を垂れた。
と、その時。
「どーん!」
と、効果音を口にしながらハレが馬車の荷台に降ってきた。実際には、荷台の底板が抜ける派手な破壊音が鳴っていた。馬車の荷台に積まれた未知の果実や穀物の中にハレが埋もれる。
ギャ、ゲギャ、とトカゲが鳴きながら荷台を囲むように位置を変えた。『ダレダ』『エングンダ』と騒いでいるように聞こえる。
ハレに少し遅れて、地上を途轍もない速さで駆けてくる者がいた。
「ハレ様! 飛ぶのはダメです! 私の側を離れないでください!」まるで心臓が胸から飛び出て転がって行くのを追いかけるような慌てっぷりでシホがやって来た。
「いやいや、せっかく空飛べんのに飛ばないやついるぅ?」ハレは果実の山から浮遊して抜け出し、地に足をつく。その手にはしっかりと果実が握られている。
「ハレ様お待ちください! 得体の知れない物を食べ——」と制止する途中でハレが果実にかぶりついた。シャリ、と良い音をたててハレの小さい口の形に果実は齧り取られた。果汁がジュワッと滴り、顎まで伝う。
「うん。美味い。マンゴーみたい。種の毛が歯に挟まらないマンゴー!」
食リポするハレに反応する者はいない。そもそもハレ以外の全員が『マンゴー』を知らないのだから当然である。
シホは片手で額を覆い、「あぁ……もォ」と天を仰いだ。
「貴様!」と声を上げたのは小太りの男だった。「それは高級果実スターマインだぞ! 何を勝手に食べておる!」
命の危機にあるのに、商品の心配をするとはよほど強欲なのか、それとも商人の
しかし、ハレはそれとは全く関係のないところに反応を示した。
「うっわ、増田営業課長みたいな顔!」ハレは小太りを指差して嫌そうに顔を歪める。「
シホは「エイギョカチョー?」と眉を
そこでハレは重大な事実に気がついた。
「え、というか——待って。もしかして、僕もう会社行かなくて良いの……?」
ハレは自問し、そして自分の中で答えが出たのか、ぐぐぐと力を溜めるように縮こまり、そして一気に解放する。
「ヒャッホォオオォォウ!」
嬉しさのあまり、目の前の剣を構えるトカゲの頬に——トカゲのその部位を頬と呼ぶかは不明だが——思い切り張り手をかました。
ブチィ、と鳴ってはいけない音がして、トカゲの頭だけが彼方に飛んでいった。遅れてゆっくりと胴体が倒れて、青い血が飛び散る。
「仕事しないでディストピア三昧とか、最高かよォ!」
ゲギャ、ギゴォとトカゲたちがまた騒ぎ立てる。『コイツ、ヤリヤガッタ』『イカレテル、キヲツケロ』だろうか。さらに2体がハレを囲みに移動してきた。
「ハレ様!」とシホがトカゲの一体を軽々と両断して、ハレの側までやってきた。
「さーて、どっちの味方につこうか」とハレが顎に手をやり呑気に考え込む。
「トカゲの頭、ちぎっといて何言ってんですか! とっくにトカゲとは敵対してます!」
「増田営業課長とも敵対してるがな。僕嫌われてたんだ」
「ちょっとおっしゃってる意味が分かりません……」
シホと話していると、トカゲの一体がハレに斬りかかってきた。
ハレはトカゲに人差し指を向ける。
「
トカゲは何の外傷もないのに意識を失って正面から地に倒れ、そのまま絶命した。
「やっぱりだ」とハレが自分の手のひらをまじまじと見つめる。「誰かを殺しても何も感じない……辛い過去に感情を失くしてしまったようだ」
「感情を失くした人が『ひゃっほォオオオ!』とか言いながら飛び出して行かないでください」
シホがツッコミを入れながら、ばったばったとトカゲの上半身と下半身を切り離す作業に勤しんでいた。
ハレを囲んでいたトカゲはあっという間に死に絶え、残るは人間の方にいるトカゲ1匹のみになった。
残ったトカゲは仲間が全滅するのを見るや否や背を向けて逃げ出した。
「
「さて、あとはこの人間どもですね」とシホが護衛の男と小太り商人に向き直る。
小太りは自分が今殺されそうな立場にあるとわかっておらず、「よくやったお前達。特別にスターマインを食った件は不問にしてやろう」と尊大な態度で歩み寄ってきた。
「だが、役立たずの護衛が3人も死んでしまってな。お前ら、村までワシを護衛しろ。嫌とは言わさんぞ。貴様、スターマインを食ったんだからな!」
「不問じゃなかったの?」とハレが目を細めると、「誰がそんなこと言った! あれは1個で金貨2枚はする代物だぞ!」と怒鳴り上げ、ハレの反論も聞かずにのしのしと馬車の確認に歩いて行った。数秒前の自分の発言も——都合の悪い事は——覚えていないようだ。鶏より酷い。
「まんま課長だ」と歪めた顔をシホに向けると、シホは「ハレ様、あのゴミムシ殺っていいですか?」と良い笑顔で尋ねてくる。
お前悪魔だからな、人間嫌いは当然か。とハレは別段不思議には思わなかった。
ほとんどの悪魔は人間などゴミか、良くて
ハレも元は人間とはいえ、体に影響されているのか、トカゲを
——ただ、
「いや、色々この世界のことをもっと知りたい。とりあえず課長について行こう」
シホは不服そうに口を尖らせて、再び課長に目を向けた。
課長は死闘を終えたばかりの護衛の人をこき使い、怒鳴り散らすように指示を出し、積荷を整えていた。そのうち鞭で護衛の尻でも叩きそうな剣幕だ。
「おい貴様ら、ノロノロするな! 早く荷の積み直しを手伝わんか!」と課長が唾を飛ばす対象がハレ達にも向き始める。
シホはハレに視線を戻し、「では後で、苦しめて殺しましょう」と妥協した。
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