泡沫
@ajisai_24
声は彼方から
誰かの歌声が、聞こえる。
知らない誰か、女性? もしかしたらナツキか? いや、ミユか。誰だろう。
分からない。
目が開かない。なんか冷たい。体が重い。沈んでいるのか。違うな。浮いているみたいな。呼吸は平気だろうか。
息を吸う。
「・・・・・・!んぶッ はうッぐ!! おぼれ、」
咄嗟に口を塞ぐ。目を薄く開ける。それでもそこがどこであるのか知ることはできない。
いくつもの気泡が塊になって溢れ、上に向かう。自分の口からブクブクと音が聞こえた。それでここがどういう性質を持つ場所なのか理解した。ただ、まだ怖いから怯えながら目を徐々に開いていく。
そこは、やはり海だった。
でも、そこは決して広くない。箱に水を流したような空間の真ん中に
漂っている。
確かに俺は部屋で寝ていたはず。
鏡馬は高校二年生のごく一般的な青年。まるでファンタジーなんて縁の遠い地味な人間。そんな鏡馬は突然に起こった出来事に呆然としていた。
これは現実なのか。夢ではないのか。
そう思いたい気持ちと反して感覚は常に冴えていた。少し腕を揺らすと音が鳴る。それは紛れもない水の音。水の中にいるときの浮遊感もまるで現実だった。
肌に冷たさが張りつき、水圧だけで体の形を保っている気がした。
また、歌が聞こえる。
辺りを見回しても誰もいない。ただの闇があるだけ、時折口から出る気泡に何かの光が当たり、キラキラと光の輪郭を作る。その光すら頼りなく、何も見えない。
歌が近くなってる。どこだ。誰か、誰かいないのか。
声が出せない代わりに心の中で念じる。俺はここにいると。誰でもいいから気づいてくれと。何度も何度も願う。すると、足元の方に光が生まれた。それは鏡馬に近づいてきてぶつかると音もなく砕けた。砕けた光は何本もの線に変形して鏡馬を囲んだ。気づけば海にいる感覚は失っていた。鏡馬は落下するように生まれた光の方に落ちていった。
目を開けると天井が映った。そこには中学生の頃に誰にも気づかれないように購入したアイドルのポスターが貼ってある。ピンクのフリルだらけのワンピース。片足を上げてくの字に曲げている。首の横でハートを作り、世界で一番の笑顔を見せる。それはまさに見知った鏡馬の部屋の天井だった。
「あれ、やっぱ夢だったのか?」
不思議に思って布団から起き上がる。すると、外の方から歌声が聞こえた。夢の中で聞いた歌声だとすぐに分かった。海の中ではぼやけて聞こえていたが今ははっきり聞こえる。それは美しく風の上をなぞるような繊細な声をしていた。
誰が歌っているのか気になって窓を開けると強い日差しが目を刺す。とっさに顔を背けて目に明かりが馴染むのを待つ。
そして改めて外を見ると・・・・・・。
「マジか。これこそ夢だろ」
視線の先に広がったのは見渡す限りの真っ青な海だった。鏡馬が知っている街はどこにも見当たらない。どこを見てもただ海が広がっているだけだった。下を見ても鏡馬のいる自室のみが独立して浮いている。一応高さはあるが落ちたら戻ってこれないことが一目瞭然だった。
目的の歌を歌っている女性を探そうと身を乗り出すが誰も見当たらない。でも歌声は聞こえる。その声はとても近いような気がして自室に近いあたりを探る。そして、やがてその声が上から聞こえることに勘づいた。
屋根の方に首を捻るとやはり人がいた。ただ、その人を人と呼んでいいのか分からないほど、彼女は人間離れした姿だった。
「やぁ、起きたのか。本当に歌で人は目覚めるのだな」
鏡馬は彼女を美しいと思うよりも先に恐いと思った。
<続>
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