同じ文末で物語を〆る企画 お題:「びっくりするほど不味かった。」
自慢のように聞こえるかもしれないが、私の妻はよくできた妻だった。我の強い私に合わせるために自制しているところもあっただろうが、努力家で、勤勉で、料理が上手で、美人で、ちょっと嫉妬深くて、可愛かった。
ただ、珈琲を入れることだけは下手だった。いや、下手というレベルではなかった。ハンドドリップなら、上手い下手がでることも不思議ではない。しかし彼女の場合、機械式のコーヒードリッパーで入れても、インスタントコーヒーですらも、びっくりするほど不味かった。
「きっと私、珈琲を入れる能力を代償に、念能力の底上げをしてるのよ」
妻はそう言って良く笑っていたものだ。不味いと言われるのが分かっていて、私が疲れてうつ伏せているときなど、私が好きなものだから、珈琲を入れてくれた。それでももちろん、びっくりするほど不味かった。
私はやや眉をひそめながら妻に聞いた。
「じゃあ君はそれでどんな念能力を持っているって言うんだい?」
「うーん。内緒」
妻はそういって照れて答えなかった。もちろんフィクションのものである念能力を妻が持っているはずがないし、それを分かっていて私も聞いているのだが、妻も特に設定を決めていなかったに違いない。今となってはもう確かめることもできないのだが。
控えめに言って私が妻を深く愛していたということを、改めて思い知らされていた時期の話である。
私達の間には子どもが2人できた。そしてうち1人は早々に結婚して、孫もできた。可愛い女の子だ。その子が6歳になる年に、妻は病気であっけなくこの世を去った。1週間ほどの闘病生活で、苦しまずにあの世に行ってくれたことだけが救いだった。
妻はまだ若かった。やりたいこともあっただろう。孫娘が大きくなるのを楽しみにしていた。孫娘の七五三だって終わっていないのだ。残念だったに違いない。
家の中を片付け、妻の遺品を整理し、ほっと一息ついた時のことだ。朝からずーっと整理をしていたので、さすがに疲れて、キッチンのカウンターの椅子でがっくりと肩を落として休んでいた。
そんなとき、息子夫婦が孫娘を連れて私の様子を見に来てくれた。
まあ適当にやってるよ、と答え、私は自分で自分の肩を揉んだ。すると息子が肩を揉み、嫁と孫娘がキッチンで何やら始めた。
「父さんさ、先は長いんだから、ゆっくり片付けなよ」
「そうだな。そうなんだが、何かしていないと落ち着かなくてな」
「やることなんてすぐになくなっちゃうよ」
「そうかもな」
私は妻を失ったことの大きさを想像以上に実感し、疲れ切っていたようだ。
「できたー!」
そのとき、キッチンから孫娘の声がした。
そして少しして、嫁に見守られながら、孫娘がコーヒーカップを乗せたトレイを持って、ゆっくり歩いてきた。
「おじいちゃん、げんき出して! はい。こーひー」
どうやら孫娘が私のために珈琲を入れてくれたらしい。
私は自分の目頭が熱くなるのが分かった。私は滲む視界の中、コーヒーカップを手に取り、湯気が立ち上っているその黒い液体を唇の中に注いだ。
私はむせて、何度か咳き込んだ。
「おじいちゃん、だいじょうぶ? そんなにおいしくなかった?」
「ううん。そうじゃない。そうじゃないんだよ。おいしいよ」
苦労して、生まれて初めて珈琲を淹れてくれた孫娘のために私は嘘をついた。
孫娘が入れてくれた珈琲はびっくりするほど不味かったのだ。
そう、亡き妻が入れてくれたあの不味さが、驚くほどに再現されていた。どうやら孫娘も珈琲の神様に見放されているのか、またはそれを代償に彼女も何かの能力を底上げしているらしい。
「そう。良かった。あたしは、おじいちゃんのことが大すきだから、おじいちゃんに元気になってほしいの。げんきになあれ。げんきになあれってじゅもんを言いながら、こーひーを入れたんだよ」
私の涙腺は崩壊し、前が見えなくなった。
そっか。そうだったんだ。
妻が珈琲を美味しく淹れられるスキルを代償にして、底上げしていた能力が分かり、私は小さく嗚咽した。
それは私を元気づける能力だったのだ。
もちろん、私が勝手にそう思い、そう決めただけなのだが、きっとそうに違いないと心から今も信じている。
もう大きくなった孫娘が、今でも我が家に来る度に私に珈琲を淹れてくれる。
その珈琲はもちろん、びっくりするほど不味いのだ。
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