人間非表示機能

りらっくす

1. 葛西大輝

 ストレス社会がピークに達し、人々はネットどころかリアルでも争いが絶えなくなった。


 そこで政府はある技術を開発した。SNSやYoutubeとかで興味ない人や嫌いなチャンネルを非表示にできるように、人間そのものを非表示にできる技術――それが『人間非表示機能』。これにより、人は自身に積まれる負荷が無くなり、自分に正直に生きれるようになる。


◇◆

 

 こんな機能、誰が使うんだ? 今朝けさスマホに強制的にインストールされていたアプリの説明書を眺めながら、俺は心の中で呟いた。

 

 人間、生きていれば多少のストレスはつきものだ。ストレスが溜まるからって気に入らないと思った奴を『非表示』にしてしまったら、そのうち自分以外の人間がえない社会になってしまうじゃないか。そんな世界、破綻だ破綻。


 校門をくぐり、自分の教室の前まで行くと、ちょうど蓮介れんすけが出てきた。いつもつるんでる友達の一人だ。ダボッとしたシルエットに改造した制服であくびしながら、茶髪をガシガシと掻いている。相変わらずだらしなさそうだが、成績がいいのがちょっとカッコよくて羨ましい。


 蓮介は俺に気づくと人懐っこい笑みで近づいてきた。


「よっ。大輝だいき、いつもギリギリだな」

「いやあ、早起きしてもついインスタでエロい女探しちゃうんだよなあ。あれマジ時吹っ飛ぶわ」

「今日の収穫は?」

「何かのアニメのコスプレしてるエロいお姉さんいたわ。胸はデカけりゃデカいほどいいわ、マジで」

「あとフトモモと尻な」

「それはそう」


 バカな会話をしていると、そういやあ、と蓮介がスマホを取り出した。


「大輝見たか? 『人間非表示機能』」


 人間非表示機能


 その単語に、俺は吐いた息を吐き出すのを忘れてしまう。


「最近ニュースとかネットでも話題になってたけど、本当だったんだな。俺のスマホに勝手に入ってて、ちょっとムカつくよな」

「俺のにも入ってたよ」

「てか、名前そのまますぎてウケるくね? 本当に頭のいい奴らが作ったのかっての」

「……そうだな」


 スマホを見ながら、ぎゃはは、と笑う蓮介に、俺はうまく返せているか心配になる。


「なあ、蓮介」

「え? なに?」


 俺の呼びかけに蓮介はスマホから顔を上げる。学ランのボタンを二個開けていて、中に着ている柄物のシャツがちらっと見える。


 聞かない方がいいかも。そう思ったが、一度引っかかりを覚えてしまったら吐き出さないとずっと気持ち悪いままだ。


「……使わないよな? 『人間非表示機能それ』」


 自然に訊ねたつもりだったが、俺の声色は無意識にワントーン落ちていた。


「当たり前だろ。こんなん使う奴頭おかしいわ」


 肩をすくめながら言う蓮介に、俺は思わずふっと息を吐いた。


「……だよな。ごめん、変なこと聞いたわ」

「なに謝ってんだよ。……やべ」


 漏れる漏れる、と蓮介はそこで会話を打ち切り、慌てた様子でトイレの方に行ってしまった。小走りで駆けているせいで、銀のブレスが袖からちらちらと見えている。アクセサリーは校則で禁止されている。


 気づけば、胸の奥から重いものがふっと消えていた。どうして安堵しているのか、自分でもよく分からなかった。


 教室に入ると、もうすぐホームルームの時間ということもあり、生徒がほぼ全員揃っていた。クラスの連中は、各々のグループで話に花を咲かせている。


 大人しそうな奴は大人しそうな奴らで集まり、目立つ奴は目立つ奴らのグループで喋る。このお決まりの光景はもう一種のフォーメーションだとさえ思っている。みんな、自分が世界に溶け込むために、フォーメーションを崩さないでいる。


 高校って不思議な空間で、自分がクラスの中でどれくらいの立ち位置にいるのかすぐに分からされてしまう。自分は上か下か。そしてそれを全員が共通認識として把握できている。誰もこのカーストを見誤ることはない。


 目立たないグループの奴らの近くを通ると、漫画やアニメの話をしていた。俺の席に最短で行くのに毎日このグループの近くを通るのだが、こいつらの話題は例外なく漫画アニメゲームライトノベル動画配信で回っている。


 俺は運動神経がよく、顔もいいから目立つグループに居ることができた。何か一つ飛びぬけて秀でたモノを持ってたら話は別だが、上のグループに入るには一定以上の容姿と能力を持ってないと足切りされてしまう。俺は運がよかったのだ。


 自分の席に行くと、前の席で集まってる女子グループが挨拶してきたから適当に返す。挨拶してきたグループの女子は全員、毎日手入れをしているのが分かるツヤツヤとした髪で、染めていたりパーマをかけていたりと凝った髪をしている。ランクの上位にいる人間の髪だ。いつもそんな感想が浮かぶ。


 女子たちは、元カレがどうとか、今度の合コンがどうとか、そんな話ばかりしている。当たり前のようにスカートは短く、制服の下にぶかぶかのパーカーやカーディガンを着込んでいて、指がほんの少ししか出てない。校則で禁止されているはずの化粧もしているし、まるで自身に与えられた特権階級を全身で誇示しているかのようだった。そんもの、誰にも与えられてないのにだ。


 自分の席につき、鞄から教科書やらを取り出していると、ちょうど担任教師が教室に入ってきた。ホームルームでは先生が『人間非表示機能』について言及した。


「あー、なんか政府の偉い人たちが変なアプリ? を作ったらしいな。教育委員会から『生徒にはアプリ内に付属されてる操作マニュアルと注意事項を読むよう呼び掛けて下さい』って言われてるんだけど、先生もよく分からないんだよなあ」


 後頭部をポリポリと掻きながら先生は困ったように息を吐く。


「せんせー、奥さんにキャバクラ行ってるのバレそうなときに使ったら怒られずにすみますよー」


 後ろの席からいたずらっぽい声が飛んでくる。蓮介だ。


 蓮介の言葉に周囲からクスクスと笑う声が聞こえてきた。


「バカお前、あれは付き合いで行っただけだ。別に女の子に褒められて気持ちよくなったからシャンパン開けたわけじゃないんだからな。あれは社会勉強の一環で……って……おほん」


 先生は居心地悪そうに咳払いをする。


「まあ、なんか胡散臭うさんくさいアプリだから、使わない方がいいと思うぞ。何か悩みがあったら先生に話せばいいしな」

「こんな機能誰も使いませんよー」


 蓮介の明るい声で俺は心底安心した。


 俺のクラスだけでいえば、別に誰かに負荷が集中しているとか、ストレスのはけ口に誰かを虐めている、なんていうことは起きていない。俺たちは絶妙なバランスのフォーメーションを保って、案外うまくやっていけているのだ。


 だから、こんなアプリ、誰も使うわけない。


 ないよな。


 なぜか、心の中の俺は不安そうだった。


◇◆


 3か月経って気づいた。


 使ったんだ。『人間非表示機能』を。


 全員、俺を見てない。


 いや、違う。


 全員、誰も見てないのだ。


 クラスのみんなも、先生も、先輩も後輩も、近所の毎朝ウォーキングしているおばさんも、母さんも父さんも――。


 俺の周りの誰もが、誰も見てない。


 今日も学校に来たが、生徒も先生も誰も離さずに校門をくぐっている。誰にも目を合わさず、誰とも喋らず、淡々と。


 教室に入ったが、全員が自分の席に座ってスマホをいじったりしているだけ。いつもの仲のいい連中で集まるようなことはせず、数か月前までは勝手に出来上がっていたフォーメーションを、誰も作らない。全員自分の席について、集団を作らず、一つの点にしかならない。静かな教室内でスマホの画面をタッチする音や本のページをめくる音しか聞こえてこない。


 すぐに分かった。全員、自分以外を視えなくして、自分の世界に閉じこもってしまったんだ。


 あんなに明るくて人懐っこかった蓮介も、机に突っ伏して居眠りしている。


 なんで使ったんだ。蓮介の胸倉を掴んで問い詰めたい衝動に駆られるが、どうしようもできない。俺のことなど、とうに『非表示』にしているのだから。俺の言葉はもう届かない。


 なんでだよ。おまえは休みの時間は絶対に誰かとつるんでいて人と話すのが大好きだったはずなのに。


 はずなのに。


 そこで俺はハッとした。


 人と話すのが大好き――それは、ただ俺がそう思ってただけじゃないのか? お喋りがすきだって蓮介から直接聞いたわけでもないのに。


 理解した気でいただけだ。人間は死ぬまで他人の心を理解できるわけがないのに。全部、他人こっちの思い込みでフォーメーションを組んでいただけなのに。


 いざとなったら『非表示』にできる。そんないい物を持ってしまったら、人は自分に嘘をつく必要がなくなる。思い込みによっての幸福は必要なくなる。


 きっと、みんな、自分に嘘をついていて、苦しかったんだ。だから何も視えなくしたんだ。


 わかるんだ。俺も嘘をついていたから。


 本当はアニメや漫画の話をしているグループに混ざりたかった。本当はファッションとかにも興味ないから、美容院に行くのも制服を改造するのも億劫で仕方がなかった。


 俺はクラス内の立ち位置やランクばかり気にしていて、話したい奴とも話せずにいた。ずっと無理して陽気を演じて、ファッションも合コンもアウトドアにも興味なかったのに、今のランクから落ちるのが怖くて、ずっと嘘をついていたのに――。


 みんな、簡単に手放せたんだ。この度し難い苦しさを。この中でしか分かち合えないものが、絶対にあるのに。


『人間非表示機能』により、人は自身に積まれる負荷が無くなり、自分に正直に生きれるようになる――ていのいい言葉だが、それだと人間関係は構築できない。気遣いや気配りの精神なしでは世界は回らない。フォーメーションを保てない。


 だけど、この世界はそんな豊かさより他人との関りを断つことを選んだらしい。


 俺は席に座り、制服のズボンからスマートフォンを取り出す。もう1限目が始まっていて、その途中で教室を開けて入ってきたのに、誰も俺を見ない。視えていない。


 前の方では先生が職務をまっとうしている。黒板に書いた数式について、誰にともなく説明している。誰も先生を見てない。先生も誰も見てない。


 誰も誰も見ない教室で、アプリを起動する。


 それなら俺もそうしよう。俺は安心して『人間非表示機能』を使った。

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