第14話 既視感のある戦い
シジエノ廃村までの道のりは、残り約二割と言ったところか。この二日間の道中は、さしたる障害もなく順調に進んでいた。頻繁に飛び出してくる魔物の対処を除けば、の話である。
今もまた、唐突にヨシュアが荷車を止めた。そのまま何気ない動作で、足元に落ちている適当な木の枝を拾い上げ木々の隙間に投擲する。すぐに草木の向こうから聞き慣れぬ魔物の叫び声がして、それはあっという間に周囲に伝搬した。威嚇染みた鳴き声が、暗がりの中から無数に聞こえはじめる。
「多い。リリエリを任せてもいいか」
「もちろんです。いってらっしゃい、ヨシュア」
ヨシュアはすぐさま剣を手に取り、木々の向こうへと姿を消した。ステラはそんなヨシュアの姿を、手を振りながらにこやかに見送っていた。
「これも成長ですねぇ。リリエリ様のおかげでしょうね」
発言こそのんびりとしているが、ステラもまたガントレットを身に着け臨戦態勢に入っている。かちゃりと留め具を鳴らした瞬間、ヨシュアが飛び込んでいった方向から数匹の魔物が飛び出してきた。
小型の翼竜だ。リリエリが両腕を広げた程度のサイズしかないが、一見してわかるほどに俊敏で獰猛。おまけに空を飛んでいる。
「面倒ですね」
張り出した木の枝に阻まれてその特性を十分に生かしきれていないとはいえ、飛んでいる相手には拳を当てることはできない。何とか援護できないものか、リリエリは荷台に目を走らせた。
リリエリはエルナト周辺の事情に詳しい。だがこの魔物は知らない。寄せる、捉える、遠ざける。何をすべきか、どうすればいいか。
頭上からぎゃあぎゃあと鳴き声が聞こえている。今一度敵を見定めようと、リリエリは顔を上げた。防具を身に着けていない剥き出しの左腕を虚空に晒すステラが目に入った。何を、と思う間もなかった。
ぱっと鮮血が白い肌に散る。ステラが自ら左腕に傷をつけたのだ。何か尖った物――恐らく、ガントレットの一部によって。
ぎゃあと翼竜が一際喧しく鳴いた。そのまま左腕に伝う赤い血目掛けて急降下する。突き出した槍のような速さであったが、
「よいしょっ」
手の届く範囲にいさえすれば、ステラの敵ではないようだ。ステラはそのまま左手で一匹の翼竜の首根っこを掴み上げた。残る二匹は右手のガントレットで叩き伏せられ、一匹は荷車の右側に墜落した。もう一匹は茂みの奥だ。どちらも二度と動くことはなかった。
「ステラさん、怪我を!」
「大丈夫ですよ。治ってます」
ステラはにこやかに右手でピースサインを作り、傷がないことを示すためかリリエリに見えるように左腕を広げた。軽やかな動作だったが、その先端には絶命した翼竜がぶらさがっている。いつの間に絞め殺したのだろうか。
「この手の魔物は西で良く見ていまして。血肉を好むので、血液を囮にすると手間がないんですよ。……このことは、ヨシュアには内密に」
彼は好んで自傷するので、とステラは続けた。他人事のように言っているが、リリエリからすればステラも同じ穴のムジナである。
見せつけられた左腕は、流れた血こそそのままであるが、怪我はどこにも見当たらない。どこかの段階で回復魔法を使ったのだろうが、リリエリは気づくことができなかった。
あのレダでさえ魔法の行使には予備動作を必要としているようなのに。
ドンとけたたましい音が木々の奥から聞こえて、追加で二匹の翼竜が飛び出してきた。既に血という撒き餌を有しているステラは、それらの魔物も何の苦もなく倒して見せた。
なんて安全な道中だろうか。
荷台の端で邪魔にならない程度に丸まっていたリリエリは、目の前の、そして森の奥にいる規格外二人を思いながら、そんなことを考えていた。賞賛、呵責、それからちょっぴりの諦観を込めて。
□ ■ □
戻ってきたヨシュアは血濡れであった。怪我は治っているようで、戻るや否や何事もなかったかのように荷台を引き始めた。ご無事でしたか、と声をかけにくいくらいには血が流れた跡がある。
横でステラが物言いたげに眉間に皺を寄せているが、結局彼女は何も言わないことにしたようだ。代わりに、左手でしっかり締め落とした翼竜をリリエリに手渡した。
「この辺りにもよくいる種ですか?」
リリエリは手渡された魔物をじっと見つめた。乳白色の鱗に鋭い牙と爪。一抱え程の大きさで、足が三本。目に相当する部位は退化しているようだ。
「……エルナト付近では見ない魔物です。前にこの辺を通っていますが、その時も出会いませんでした」
「トーヘッドやウルノールでは見かけるんですよね、この翼竜。西部の魔物が、こんなところに」
かつてレダはこの森の中で盛大に蜘蛛の巣を焼き払っている。その際に環境が変化した可能性はあるが、それが原因だろうか。心なしか、魔物と出会う頻度も多いように思う。
「すみません、あまりお役に立てずに」
「そんなことございませんとも。ナビゲートに食事に、色々頼らせてもらっていますよ。前を向いてください、リリエリ様。ほら、じきにシジエノです!」
俯いてずっと翼竜を見ていたリリエリの方を、ステラの右手が優しく叩いた。例えこのにこやかな笑顔が彼女の空元気なのだとしても、それにリリエリが勇気づけられている事実は変わらない。
レダ、ステラ、それからヨシュア。いずれもリリエリでは遠く及ばない力を持った、優れた冒険者だ。彼らの尽力が無駄になるはずがない、物事はきっと好転していく。そのはずだ。
リリエリは嫌な予感を振り払うべく、頭を数度大きく振った。自分の微力を嘆くのは後でいい。不安に足をとられている暇はない。今はひたすらに自分にできることをやるのみである。
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