第25話 いつか来る日のための祈りを

 

「さて、ここからはもう少し大事な話をしようか。ヨシュアの、……"邪龍憑き"の話だ」


 レダはちらりと隅で眠るヨシュアに視線をやった。ぴくりとも動かないが、ただ眠っているだけだ。胸部の損傷により衣服には破損や汚れが目立つものの、傷自体はもうどこにも見られない。


「改めて確認するが、アンタ、どこまで知ってる?」

「邪龍に呪われて死ねなくなったと聞いています。あと五感が鋭くなった、と。それから、直接伺ったわけではないですが、桁外れの身体能力と強い再生能力も」


 レダは自身の口元に手を当てて少しの間考え込む素振りを見せた。なるほどな、という呟きは独り言に近い声量であった。


「アンタはこれからもヨシュアとパーティを組むつもりなんだろ?」

「そのつもりです」

「じゃあ教える。……ヨシュアがそのうち邪龍に変わるってのはマジの話だ」


 ヨシュアの変貌はまだ記憶に新しい。目を閉じればその景色が瞼の裏に広がるほどに、強烈にリリエリの脳内に焼き付けられている。

 そのため、リリエリはレダの言っていることを簡単に受け入れることができた。ただ、余命を告げられたかのような重苦しさは少しも軽減されず、リリエリの心中に暗い影を落とした。


「ヨシュアの状態。過去の類似事例。魔物学的な見地から言っても、ヨシュアが邪龍に変わりつつあるのはまず間違いない。俺とステラは、邪龍の呪いを解く方法をずっと探してきた。殺す方法も含めてな」


 ステラってのは、ヨシュアとパーティを組んでたもう一人のメンバーだ。と、レダは補足した。


「俺とステラ、ヨシュアの三人は、長くパーティを組んでいたんだ。もちろん、邪龍を殺した時もそうだった。……ヨシュアの呪いは、俺達も分け合うべき呪いだ」

「呪いを、分け合う……」

「俺はこれまでにあらゆる文献に目を通してきた。宮廷魔術師の立場を使って、秘蔵されてる文書すらも確認したよ。でも、未だに解呪の方法はわからない。……ヨシュアを殺す方法も、不明だ」


 聞いているだけなのに、不思議とリリエリの喉は酷く乾いていた。お茶を飲もうとして、気づく。中身が入っていない。……そのことに気が付かないほどに、聞き入っていたようだ。


「貴方の魔法でも殺せないんですか」

「無理だったよ。でも、無駄ではなかった。ヨシュアが死ぬと、邪龍化の進行が止まるんだ。推測だが、一時的に魔力の大半を身体の再生に注ぎ込むんだろうな」


 邪龍化を、止める。

 一筋の希望を含んだ言葉に、リリエリはいつの間にか手元に落としていた顔を上げた。だが、目線の先のレダは緩く首を振るばかりであった。


「今のヨシュアの再生速度は、昔よりずっと早くなってた。殺して進行を遅らせる方法も、きっと長くは続けられない」


 レダは眠っているヨシュアに視線を向けた。釣られてリリエリもヨシュアを眺める。彼の自害を幾度となく見るのは苦痛だ。それを良しとすることは、リリエリにはできない。


「どうにも、どうにもできないんですか」

「あんまり辛気臭い顔すんじゃねぇよ。言い換えれば、まだ時間はあるってこった。解呪の方法は俺とステラが必ず見つける。なんとかする。……で、それまでの間は、アンタの役目だ。リリエリ」

「……私の?」


 思いも寄らない言葉にリリエリは顔を上げた。視線の先に座るレダに普段の軽薄そうな雰囲気はなく、ただ穏やかな控えめな笑顔が浮かんでいた。


「私に、なにか出来ることがあるんですか」

「難しい話じゃねぇよ。今までと変わらず、一緒にパーティ組んで冒険者やっててくれってこと。こいつ、一人で置いとくと死ぬから」

「……それで、いいんですか?」

「それが、必要なんだ。俺もステラもあっちこっち行ってて忙しくてよ、ヨシュアの面倒なんて見切れねぇんだ。ヨシュアも随分楽しそうにしてるようだし」


 厄介な奴だけど悪い人間じゃないからよ、とレダは笑った。でしょうね、とリリエリも笑った。


 一人では生きていけないだろうことは容易に想像がついたし、厄介な奴というのも完全に同意だ。"邪龍憑き"がどうこう以前に、自我は薄いし否定もしないし無理をするし。毒にも薬にもなる上に、その振り幅がでかすぎる。


 なんて訳アリな人間なんだろう、と思う。

 でもリリエリだって冒険者としては十分訳アリだ。右足は不自由だし戦う能力もないし、そのくせこと採取に至っては我を失う瞬間もあるし。


 それでも、あるいは、だからこそ。

 二人はうまくやっていけると、ヨシュアをよく知っているだろうレダに太鼓判を押されたことが、リリエリには嬉しかった。


「任せてください。……ヨシュアさんは、私の大事なパーティメンバーですから」


 うん、とレダは満足そうに頷いた。そうして、肩の荷が下りたとでも言うようにわざとらしく肩を回した。


「とりあえず、これで一つ心配事は片付いたな。あぁ、マジで良かった」


 はぁーと深く深く溜息を吐きながら、レダは背中を丸めた。彼は少しの間、考え込むみたいにそうしていた。

 お茶のおかわりを入れようとリリエリが席を立とうとした時、レダの硬い声色がリリエリを引き止めた。


 最後にもう一つだけ。レダは顔を上げずに言った。だから、リリエリには彼の表情がわからなかった。


「これだけは知っておいてほしい。もし、それが必要な瞬間が来たら、……俺は必ずヨシュアを殺す」

「……はい」

「意地でも殺す方法を探し出す。どんな手を使っても殺す。邪龍は絶対に復活させない。これは、ヨシュアとの約束でもある」


 冷えた鉄鋼のような声だけが、真っ直ぐにリリエリの耳に届く。それはどこか祈りに似た言葉であった。


「アンタらの関係には、いつか必ず終わりが来る。……忘れないでほしい。やがて来るその時に、その手が鈍らないように」


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