第19話 赫々
時間こそかかったものの、蜘蛛の巣の海はなんら問題なく突破することができた。途中幾度か大蜘蛛に襲われたが、それらは全てヨシュアの一太刀のもとに叩き潰されていた。
研ぎも磨きもされていないヨシュアの剣は、物の切断には向いていない。だから潰す。
胴部分だけでもリリエリの頭より二周りは大きい蜘蛛が、ヨシュアの手によってあっという間に叩き潰されている光景は凄惨の一言であった。
「圧倒的ですね」
「二、三体程度であれば。少し動きが早いから、これが十数もいたら対処できないだろうな」
「縁起でもないこと言わないでください……」
とはいえ、じっと獲物がかかるのを待つ性質を踏まえれば、一斉に襲いかかられることはまず考えにくいだろう。
張られた巣に気をつけさえすれば、対処は容易な魔物だ。
周辺の地形を書き留めた後、二人はまた北西へと進んだ。リリエリが定めた調査範囲は、目と鼻の先だ。これ以上の困難に見舞われることもなく、二人は拍子抜けするほどあっさりと折り返し地点に到達した。
あとはただただ来た道を戻るのみ。
既に一度通った道に障害なぞあるはずもなく、リリエリとヨシュアはつつがなく初日の調査を終えたわけである。
■ □ ■
同様にして二日間を過ごし、二人は北西、北、北東の方位のマッピングを済ませた。
森林、渓谷、草原。夥しい量の巣を張る大蜘蛛に岩をも砕く顎を持つムカデ、毒を持つげっ歯類など。大雑把ではあるが、シジエノ周辺の状況をざっと把握するには十分なデータが集まりつつある。
「最短距離ではないですが、北の方に広がっている草原を経由するのが最も安全そうですね。魔物のリスクも低く、物資の運搬にも苦はなさそうです」
「そうだな。今回の目的はエルナトとシジエノを繋ぐルートの選定と聞いているが、既に目的を達成したんじゃないか」
「まぁ、それはそうなんですけどね……」
今回はただ依頼を達成するために壁外に出ているわけではない。宮廷魔術師たるレダの目からヨシュアを隠すためにシジエノまでやってきたのだ。
依頼を達成したからとて、一週間も経たずにエルナトに帰ってしまっては本末転倒だ。レダがエルナトに見切りをつけて他の都市に向かうまで、なんとかシジエノで時間を潰したいところである。
「しっかり調査するほどギルドからの報酬が増えたりしますからね。もう少しだけ調査を続けましょうか」
わかった、とヨシュアは頷いた。彼は未だにリリエリの提案を否定したことがない。リリエリの胸中に罪悪感の影がさした。
レダから逃亡しているということを、ヨシュアにはずっと秘密にしている。ヨシュアの自暴自棄にも似た肯定が彼に死を選ばせる瞬間を、リリエリはどうしても見たくないのだ。
「今日は西を調査しましょう。よろしくお願いします」
「わかった」
あえてダラダラと時間のかかる依頼をこなしている現状は、リリエリにとって非常に心苦しい。素知らぬ顔をし続けるのにも、とっくに慣れてしまったのだが。
■ □ ■
シジエノ廃村より西部は、初日に調査した北西部と地続きの森が広がっている地帯である。
途中に渓谷があり、蠢く植物が群生しており、広範な大蜘蛛の生息地があり……といった特徴は、北西部と概ね一致しているだろう。
そのため、西部の調査はそう苦ではない見込みであった。
実際に調査は極めて順調だ。昨日の調査の際に発見した木の実を採取してみようと、そんなことを考えられる程度には穏やかな気持ちでいられたのだ。
あるいは、油断と言い換えてもいいかもしれない。
ひたりとヨシュアが足を止めた。彼の左足が、隆起した木の根に隠れるようにして張られた蜘蛛の巣を踏み抜いていたためであった。
ぐ、とヨシュアが左足に力を込めるが簡単には抜けそうにない。リリエリは周囲を見渡して、蜘蛛本体が来ていないことを確認してからヨシュアの背を降りた。
「すまない。気づかなかった」
「いえいえ。この辺の蜘蛛の魔物は大きい巣ばかり作ってますからね、こんなところにある小さい巣なんて、警戒できませんよ」
さっと炙って次に進もう。
リリエリは点火器を蜘蛛の巣に近づけて、……気がついた。
「……焼けてる?」
小さい蜘蛛の巣ではない。歪な形で糸の太さもまちまち、おまけに端がどろりと溶けている。これは大きい蜘蛛の巣の焼け残りだ。
改めて周囲を確認すれば、似たように不格好な蜘蛛の巣があちらこちらの木の根にべたりとへばりついている。
ヨシュアの左足を解放しながら、リリエリは初日の調査を思い出した。
確か折り返しの直前に、大規模な蜘蛛の住処があったはずだ。……今自分たちは、ちょうどその地点にいるんじゃないか?
「なにかあったか」
「いえ、……ヨシュアさん。今目に見える範囲に、蜘蛛の巣はありますか?」
「足元には、随分広い範囲で見えている。でかいのはないな」
思い返せば、ここまでの道中でどれほど蜘蛛の巣を見ただろうか。出発の直後に見て、少し行った地点でも見て、……それからは一切見ていない。
初日と同じ森の中だ、もっともっと蜘蛛の巣を見ていてもおかしくないのに。
リリエリは膝についた泥を払いながら立ち上がった。なんだか嫌な予感がする。不意に初日の空の瞬きが思い出された。
リリエリは深く自身の考えに集中していた。なので、それが目に入ったのはただひたすらに幸運であった。
「葉っぱが、茶色い……」
目の前の木の幹から飛び出した新芽。本来なら青々としているはずのその色が、抜けたように褪せている。
リリエリは頭上を仰ぎ見た。この木の本来の葉の色は青緑だ。この新芽もそうだろう。その証拠に、根本により近いところにある新芽は瑞々しい色を保っている。
次にリリエリは周辺の木を見た。辺りの木も同様で、幹部分の葉が茶色く変色している。リリエリの目線の高さからヨシュアの目線の高さ程度の範囲だ。……蜘蛛の巣が、多く張り付いていた範囲だ。
誰かが火を放ったか? にしては、焦げた様子は見当たらない。ただただ熱だけを与えないと、このようにはならない。
「何を見ている」
「……目線辺りの葉が茶色に変わってるんです。強い熱を与えないとこんな風にはならない、のに、燃えた跡がなくて……」
熱。
はたと気がついた。
蜘蛛の巣は熱に弱い。今視界に入っている範囲の蜘蛛の巣は全て焼け溶けている。蜘蛛の巣が張ってあったであろう高さに、強い熱が加えられた痕跡がある。
……魔法であれば、熱だけを広範囲に与えることができる。
その瞬間、ぱちりと空が一つ瞬いた。初日にも見た、まるで太陽が二つに増えたかのような赫々たる光。
リリエリはこの光を知っている。一昨昨日に、違う、もう少し前にこの光を見た。確かあれは、……時計台の中で。
どっと心臓が跳ねた。視界全てを焼き尽くすような芸当が可能な人物を、リリエリはたった一人だけ知っている。
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