閑話 赤い大地で昼食を
昼前に五合目の山小屋を発ち、暗い木々を抜け七合目に到達したころにはすっかり昼を回っていた。魔物除けも張り終えた今、次にとるべき行動は自明であった。
「昼食にしましょう」
忘れがちであるが、実はヨシュアは病み上がりである。栄養失調を指摘されたのは一昨日のことだ。余りにも元気に動くからリリエリよりもよほど健康に見えるものの、顔色は未だに青白いし目元の隈も酷いまま。可能な限り滋養のあるものを食べ、早く万全の体調になってもらいたい。それはそのままリリエリの生存率に直結するのだ。
杭の内側、適当な位置にバックパックを下ろしたリリエリは、中からいくつかの食料を取り出した。堅パンに干し肉、魚の油漬け、チーズ。それから得体のしれない乾いた草と粉が数点。
ヨシュアには知るよしもないことであるが、普段のリリエリの携行食事情と比べてかなりの大盤振る舞いであった。ヨシュアの健康を気遣って、という側面はもちろんある。だがそれ以上に、リリエリは誰かと共に冒険に出られるという状況にとても浮かれていたのである。
「この小鍋の底には火と水を組み合わせた紋章魔術が彫り込まれているんです。なので、大気中の魔力が十分にある場所に置いておくだけでお湯を沸かすことができるんですよ」
「便利だな。だがそれだと、鞄の中で湯が溢れたりしないか」
「紋章部分が動くようになっています。紋章が正しい位置にあるときにだけお湯が沸きます」
リリエリは得意げに小鍋をヨシュアに見せながら、紋章部分を動かした。底に刻まれた紋章魔術が完成したと同時、鍋の底からひとりでに湯が湧き始める。じんわり、じわじわ、ゆっくりと。鍋底を覆うほどの湯が出現するまで、おおよそ一分。
「……遅くないか」
「……この手の魔道具は高いんですよ」
煮込みと思えばこんなもんです、とリリエリは乾いた謎の草と粉を数点鍋の中に放り込んだ。後は十分な時間待つだけである。そもそも壁外で安定して温かいものにありつける時点で、かなり恵まれている環境なのだ。先人による紋章魔術大系様々である。
「ちなみにその草と粉は」
「ハッ華、黄毒草、後夏桂枝などです。ざっくり言うと苦い花、苦い草、苦い粉ですね。健康に良いことだけは保証します」
「……そうか」
もちろんヨシュアは何一つとして知らないが、詳しく知りたい欲求もまた一つとしてなかった。たとえ材料名に毒という単語が含まれていたとしてもだ。
さて、この赤いカーペットの上でのランチは、もちろん栄養補給が主目的であるが、リリエリにはもう一つだけ目的がある。
それはヨシュアとのコミュニケーション。パーティメンバーとして、先ほど垣間見た冒険者ヨシュアの致命的な欠点を、よくよく確認しておく必要があった。万が一の際、この要素が二人の生死を分ける可能性がある以上、きちんと確かめておかないといけない……というより、武器も防具も荷物も持たずに壁外に出る男の存在がにわかには信じがたいのだ。なんかうまいこと会話することで安心できるんじゃないかと、そんなふわふわとした期待があった。
まずはヨシュアの人となりを知る。話はそこからである。
「スープができるまで他のものを食べて待ちましょう。なにか苦手な食べ物とかありますか?」
「ない」
「じゃあ、好きな食べ物は?」
「…………」
黙り込まないでほしい。
いや、たくさんあって決められないとか、そういう感じなら別にいいのだ。だがヨシュアのこの沈黙、この表情。好きってどんな感情だっけ、みたいな顔をしてはいないか。ないならないと答えればいいのに、それをしないというのも奇妙だ。まるで"人間は通常何らかの食べ物を好んでいる"という情報だけは持っていて、その上で無理に答えを探しているかのような。
「……ちなみに私はコカトリス肉のローストが好きです。昔お父さんが狩ってきてくれて。以来一度も食べてないんですが、いつか私がお父さんみたいな立派な冒険者になれた時には、お腹いっぱい食べようって、そう思ってるんです」
「……俺も、肉は好きだ」
思いっきり助け舟を出した形となったが、とりあえずヨシュアから好きな食べ物が出てきたことにリリエリは安堵した。ひとまず一往復分のキャッチボールは成功のようだ。だがたかだか一往復で終わらせるのも味気ない。リリエリは慎重に話題を選んで、二球目を投擲した。人となりを知る作戦は変更だ。とにかく、会話の量を増やす路線がいいだろう。
「ヨシュアさんってトーヘッドの冒険者ですよね。トーヘッドってどんな都市なんですか?」
「人がいて、……賑やかだった。エルナトに似ている。エルナトより、少しばかり広いかもしれない」
「エルナトの大壁はレンガ造りですけど、トーヘッドの大壁はどんな感じですか」
「白かった。でもそんなに綺麗じゃない。魔物除けも、そんなに強くなかった。……たぶん、古い都市だからだ」
ヨシュアは時々記憶を探すかのように中空を見ながら、訥々と都市トーヘッドの様子を語った。三つの都市が近くに位置しているから人の移動が盛んだとか、大きな湖があってそこから魔物がたくさん湧いて大変だったとか、壁外に野盗のコロニーが形成されていて冒険者の脅威になっていたとか、そういった話であった。
「野盗、なんているんですね。……同じ人間同士なのに」
「エルナトは平和で良い都市だと思う。辿り着いたのがエルナトで良かった」
「そう言ってもらえると、なんだかすごく嬉しい気持ちになりますね」
平和、なのかもしれない。少なくとも、自分みたいなのが冒険者の末席を汚せているのがその証拠なのだろう。
リリエリは堅パンを齧りながら西方の都市のことを考えた。邪龍が討伐され、その後始末に追われているという西方。ヨシュアの語りの中では邪龍ヒュドラの名こそ出なかったものの、きっと彼も何かしらの苦労の末にここまでやってきたはずだ。
さわさわと風がレッサーレッドの絨毯を揺らしていく。真上から少しずれた太陽の光が、辺りを暖かく照らしている。
魔物の脅威がないわけではない。でも、確かにエルナトは平和なのかもしれないと、リリエリはぼんやり考えた。
「……エルナトでは、トーヘッドのことはどれだけ知られている?」
「そうですねぇ。転移結晶をいくつか介さないといけないくらい遠い都市ですから、みんなほとんど知らないんじゃないですかね」
「そうか。良かった」
……何が良かったのだろうか。
なんとなく聞けない雰囲気であった。
まぁ、まだ時間も機会もいくらだってあるだろう。リリエリはそう結論づけて、干し肉の一片に齧りついた。
ほんのりぎくしゃくした穏やかな昼食の時間は、ただただゆっくりと二人の間を過ぎていく。
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