閑話 白い鯨と夕食を
宵の口。一日の仕事を終えた冒険者や職人が都市を闊歩する賑やかで華やかな一時。
ギルド受付嬢であるマドもまた本日の職務を終え、とある場所へと足を向けていた。
その足取りは急いている。予定よりいささか遅くなってしまったのだ。目を覚ました怪我人の対応と書簡の作成。冒険者によって持ち込まれた魔物の素材の分類及び各種組合への引き渡し。
日中は暇ですらあったというのに、業務の終わり際はまるで狙ったように忙しくなってしまった。
なんとか後任に仕事を引き継ぎ、駆け足で向かう先はランタン広場と呼ばれている繁華街である。
大小様々な飲食店の集まるここは、小都市エルナトに住む者たちの食事の場として最も広く有名な場所だ。
広場と呼ばれているが、実態は通りに近い。ずらりと並んだ飲食店は大衆の集う食堂から小洒落たバーまで幅広く、良く言えば多様性に満ちた、悪く言えば統一感のない通りである。
奥に入り込めば入り込むほど治安が悪くなるものの、表の店には家族連れなどもおり、店を選んで食事する分には少女である身でも安全だ。
マドの本日のお目当ては、ランタン広場入口にほど近い、しかし奥まった位置にある小さな食堂。名を"踊る白鯨亭"といった。
鯨の描かれた小さな看板の前には先客がいた。桜色の髪を二つに結わえた小柄な少女だ。手にはシンプルな杖を携えている。見間違いようもない。
「リリエリー! ごめん、遅くなった!」
「買い物しながら来たから、全然待ってないですよ」
「そう? お腹の空き具合は?」
「ペコペコです。早く入りましょう」
促されるまま、扉を開く。カランコロンと木製のドアベルが鳴る。明るい店内に油の跳ねる音、肉の焼ける良い匂い。夜はこれから、とはまさに今を表す言葉だろう。
□ ■ □
「かんぱーい!」
「乾杯!」
マドとリリエリは互いに手に持ったマグを突き合わせた。中身は当然、葡萄ジュースである。比較的飲酒に寛容なエルナトであるが、それでも未成年に対して堂々と酒を振る舞うほど荒んではいない。
木製のマグはあまり良い音を立てなかったが、そんなことはどうでも良かった。ここは親友同士の食事の場である。
「杖の件は残念だったね。次の杖はどうするの?」
「そうですねぇ、仕込杖は結局ほとんど役に立たなかったんですよね。焼け石に水というか」
「じゃあ次のは紋章盛り盛りにしちゃいなよ! 歩行補助に、軽量化に、青い炎が出るやつとかさ」
「やっぱそっち系が良いですよねぇ! 魔力伝導効率の良い金属となると、ミスルミンや月鋼、カーシャ合金も捨てがたいなぁ」
「アテライ狙おうよアテライ!」
「アテライ製は一生かけても買えないですねぇ!」
ははは。ふふふ。弾けるような笑い声も、賑やかな食堂ではただのBGMと化す。
遠慮なく笑い合う二人の間にはいくつかの料理が並んでいた。ホーンブルの煮込みにエルナト野菜のポタージュ、オレンジと夜香草のサラダなど。
「でもさぁ、前の杖は星鋼を使った合金だったじゃん? 結構良いものだったと思うけど、それが折れちゃうんだから、もっともっと硬度が必要なんじゃない?」
「そうなんですよねぇ。でも硬度と魔力伝導効率を両取りしようとすると、本当に手が出せない価格になっちゃいますし」
「……と言うか、なんで折れたんだっけ。星鋼が折れるなんてよっぽどだよね」
「ああ、グレイサーペントの首をこう、バッサリやった際に折れちゃったみたいです。すごかったですよ、ヨシュアさん。太刀筋とか全然見えなかったですもん」
ヨシュア。
その名前に、マドはほんの少し、気づかれない程度の時間だけ食事の手を止めた。
リリエリと共に急にギルドに現れた男。それも国内に幾人もいないS級冒険者だというじゃないか。
エルナトは一応都市として扱われてはいるものの、魔物避けの大壁が築かれたのはほんの十年ほど前のこと。大壁の有無が都市とそれ以外を分けるこの国の中では、新参も新参の田舎都市である。
魔物が多いのは事実であるが、それは周囲の開拓がほとんど進んでいないだけ。魔物の質を見れば良いとこ中の中程度であろう。……戦えない冒険者たるリリエリがなんとかやっていけるレベル、である。
要は。小都市エルナトは、S級冒険者がわざわざ訪ねてくるような場所ではないのだ。
ましてや西方三都市から協力要請がかかっている今、エルナトに来るメリットなんて一つも思いつかないというのに。
「……彼、ほんとにS級なのかな。昔と違って、今のエルナトにS級が来る理由がいまいちわからないんだけど」
「私の目には相当強い方に見えましたけどね。グレイサーペントを一撃ですよ。それも劣化していた仕込杖で」
「……劣化? 杖が?」
「本来グレイサーペント程度では星鋼は折れませんから。使わなすぎて刃の部分が脆くなっていたのかな、と」
……そうだろうか。
リリエリと違って、マドは素材に詳しいわけではない。だがリリエリの生真面目さは知っている。使わない武器だからといって手入れをしないとは思わないし、その際に劣化に気づかないとも思い難い。
もちろんリリエリの本業は採集専門の冒険者であって刀鍛冶ではないし、勝手がわからなかった可能性も大いにあるだろうが。
「まだ確定はしてないですけど、ヨシュアさんは間違いなくS級の方ですよ。本当に大怪我だったのにあんなに強いんですから! そんな人がパーティを組んでくれるなんて、夢みたい」
…………そこが一番の疑問なんだよな。
マドはマグを大きく傾けることで自分の表情を隠した。きっと大いに怪訝な表情をしているだろうから。
リリエリは優れた冒険者だ。
彼女自身はどう思っているかは知らないが、少なくともマドは確信を持って言える。
リリエリの冒険者歴の大半は、ソロでの活動が占めている。――戦えない冒険者が、ソロで長らく活動している。これは驚くべきことだ、魔物の脅威の少ない依頼を積極的に選んでいるとはいえ。
戦い以外の全てを一人でこなす知識と能力。けして魔物の接敵を許さない卓越した観察眼。何より、単純な依頼であっても黙々と、昼夜問わず、時と場合によっては寝食すら厭わず遂行する胆力。
リリエリは優れた冒険者だ。ただし、パーティ向けの冒険者ではない。彼女の能力はソロにおいて最大限の真価を発揮する。
これで彼女に戦う力さえあればと、何度思ったことだろう。
そんなリリエリが戦う力を持つ冒険者一人とパーティを組むと言うのだから、大変喜ばしいことなのだ。本来は。
……でも、なんでだ?
「……マド?」
「あ、ごめ、考え事してた。すみませーん、葡萄ジュースおかわりで!」
はぁいと景気の良い返事が店の何処かから聞こえる。
リリエリがホーンブルの煮込みに手を付けたのを見計らって、マドは思考を続けた。
冒険者ヨシュア。血塗れの姿でエルナトに現れた妙な男。どうにも信用のならない、怪しい人間。
リリエリは優れた冒険者だ。
……冒険さえ出来れば後は二の次といった節もある、如何にも冒険者然とした――つまり、大変危なっかしい冒険者だ。
未知、スリル、開拓。それらに魅せられていなければ、足が不自由な身で壁外に自身を投じようなんて思わない。見ず知らずの怪しい男を伴ってでも外に出ようなんて思うはずがないのだ。
何かあったら僕がリリエリを守らないとな。
決意を新たにしながら、マドはここまでの考えを一旦全て横に置いた。
折角リリエリと食事をしているのだから、妙に思考を巡らせるのは損というものだ。
眼の前の料理はまだまだ残っている。
マドは努めて楽しい話題を選びながら、運ばれてきた葡萄ジュースに口をつけた。
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