第10話 S級。


「…………S級?」

「S級、だねー……?」


 リリエリはそっと白銀の冒険者証を受付デスクの上に戻し、こっそりと周囲を窺った。なぜだかとても悪いことをしている気分になったためである。こんな美しい冒険者証、手垢の一つでもつけたら即刻首を飛ばされそうな、そんな心地であった。


 マドとリリエリはどちらともなく顔を見合わせた。にわかには信じられないことだった。S級冒険者なんてこの国に十人もいないのではなかろうか。

 田舎都市近郊の森に落ちてた男が"そう"なのだと、あっさり受け入れられる方がおかしい。まだ他人の冒険者証を奪って身分詐称をしている可能性の方が高いだろう。……いや、それもそれで恐ろしい話ではあるが。


「……とりあえず、真偽確認のためにウルノールに書簡を送って、その返事次第かな」

「いずれにせよ、ヨシュアさんが目を覚まさないとなんとも言えませんよね。もう起きられましたか?」

「いーや、まだ寝てる。さっき男性職員に確認してもらったけど、まるで死んでるみたいに眠ってたって」


 死、という単語にふと昨日のヨシュアの姿が浮かぶ。頭部に胸部に脚部にと、ありとあらゆるところに血痕をつけた痩せぎすの男の姿。

 ……いや、いや。悪い想像は止そう。だって彼はあれからリリエリを背負って無事エルナトギルドにたどり着く程度には元気だったはずなのだから。


「まぁ不安にもなるよね。リリエリも様子を見てきたらいいよ」


 マドはギルド奥にある階段を指さした。三つ並んだ受付机の隣には、二階へと続く階段がある。

 二階には簡素な部屋がいくつか備えられていて、怪我人を寝かせておいたり、住むところがない余所から来た冒険者の仮住まいとして提供したりしている。小都市エルナトに住まうリリエリにはあまり縁のない場所だ。


 促されるままに二階へ向かうと、吹き抜けとなっている一階の様子がよく見える。ヨシュアの部屋は右手奥から二番目の部屋らしい。

 装飾のないシンプルな木のドアには一枚の紙が貼り付けられていた。昨日の日付と怪我人がいる旨、ギルド職員による定期確認のチェックが記されている。


 無意味かもしれないか、リリエリはドアをノックした。いや、しようとした。当たらなかったのだ。

 ……ドアが開いている。


「……おはよう、ございます」

「…………おは、よう」


 僅かに開いたドアの向こう。誰あろう、ヨシュアがどこかぼんやりとした様子で立っていた。

 血のついた服や汚れなどはすっかり取り払われており、色もついていない亜麻布の服を着ている。平均よりずっと高い背丈のせいで脛辺りに裾が来ているが、窮屈そうな印象はない。それだけ彼の体が細身ということだろう。


 目の下に色濃くついたくまに、がさがさに荒れた口元。ヨシュアの栄養状態が極めて悪いということは、明かりの元ではありありと見て取れた。


 ヨシュアは明らかに寝起きといった様態で、目は殆ど開いておらず声も枯れている。昨日の状態を知るリリエリから見れば、まだ起き上がっていい状態とはとても思えなかった。

 

「部屋に戻って安静にしてください。いま水をいただいてきますから」


 返事はなかったが、節の目立つ足先が覚束ない様子で室内へと戻っていく。パタリと静かに閉じたドアの音を背に、リリエリは大慌てで階段を下った。



□ ■ □



「目が覚めた。助けてくれてありがとう」

「いいのいいの、それもまたギルドの役割だからね」


 水差し、ライ麦パン、ターニップのスープ。それからマド。ベッドに腰掛けたヨシュアを囲む面々である。


 ヨシュアが目を覚ましたとの報告を受け取ったギルド職員の対応は早かった。

 リリエリが一階に降りた三十秒後には手に水差しを握らされていたし、そのさらに三十秒後にはライ麦パンを持った皿が差し出されていたし、それらをもって二階に上がり再びヨシュアの部屋の前に立ったときにはスープを持ったマドが後ろから追いついていたわけだ。


 食べたり飲んだりしながらで良いからね、とマドは部屋に備わっていた小さな木製の椅子に座った。手には書類綴が握られている。彼女にとってはこれもまた仕事なのである。


「体温正常。目に見える怪我はナシ。重度の栄養失調、あと睡眠不足かな。自覚できる異常はある

?」

「ない」

「オーケー。素人目には特に問題なさそうに見えるねー」


 さらさらさら。

 マドが紙に文字を記す姿を見ながら、リリエリもまた椅子に座った。ぎぃ、と椅子の脚が嫌な音を立てた。

 東方の田舎都市のギルドはそう裕福ではない。随時使われているわけでもないこの部屋に、最低限の家具が揃っているだけでもありがたい話なのだ。


「よしよし。ここからは別の質問をするよ。名前と所属、出身地と冒険者等級をどうぞ」


 ヨシュアはゆっくりとライ麦パンの欠片を口に入れた。何を考えているのかわからない表情をしている。無表情だが、栄養失調のせいかやたらと人相が悪いため、怒っているようにもうんざりしているようにも見える。


 二人のやり取りを第三者として見ていたリリエリは、ヨシュアさんは損な人だな、とぼんやり考えた。

 たぶん、あくまでたぶんだが。別にヨシュアは気を害しているわけではない。そんな気がする。そういう人相というだけだ。


 水差しから水を飲んだヨシュアは、ふうと小さく息をついてから、言った。


「俺はヨシュアと呼ばれていた。所属はトーヘッド。出身は……知らない。等級は、確かS級だったように思う」


 S級、という単語にマドの手が僅かに止まった。何事もなかったかのようにすぐに動き出したが、その気持ちはリリエリにもよくわかる。


 S級。

 本来こんな場所で聞ける単語じゃないのだ。


 結界の紋章魔術の基礎を開発し、都市のあるべき形を定めた賢者。

 人の足では数ヶ月はかかるとされる距離を踏破し、大都市アルタンと霊山アテライ・ナヴァを転移結晶で繋げたカルトグラファー。

 かつて三つの都市を潰したとされる五大厄災スキュラを討伐した冒険者。


 そういった、歴史書に残るだろう人物にのみ与えられる称号。それがS級だったはずだ。少なくとも、確か、だなんて単語に続く言葉じゃない。


「……あなたの冒険者証を確認させてもらったけど、確かにS級みたいだね。質問を続けても?」

「構わない」

「あなたにとって、冒険者に最も必要なものは何かな」


 ヨシュアは口を僅かに開き、だがすぐにそれを閉ざした。


 脈絡のない質問にも感じるが、重要な質問であった。冒険者本人と冒険者証の紐付けに使われる、最も基礎の質問だ。初めて冒険者証を手にしたその時に自ら定める、冒険者として生きるための信念。


 この信念は所属地のギルドにて記録され、今のような事態の際に本人確認の為に扱われる。


 ヨシュアは遠い昔の記憶を思い出すように目を閉じた。そうして、まるでどこかに書いてある文字を読むかのように告げた。


「力」

「……どうもありがとう。僕からの質問はこれでおしまい。ろくな食事も用意できなくて申し訳ないけど、今日はゆっくり休んでってよ」


 記載を終えたマドが部屋を出ていく。去り際、マドはぱちりとリリエリに目配せをしたが、残念なことにリリエリにはその意図が図りかねた。


 だがすぐに後を追う気にもなれない。斜め前に座る大柄な男が、やはり気にかかるのだ。


「ヨシュアさんって、S級だったんですね」

「うん」

「あの、……」


 どうして私とパーティを組んだんですか。

 喉元まで迫り上がってきた言葉は、どうにも音にならなかった。答えが一つに定まるのが、なんだか無性に怖かった。

 

 そんなことを思っているうちに、先に言葉を繋いだのはヨシュアの方であった。


「……心配はさせない。明日には依頼を受けよう。無理にとは言わないが、……付き合ってもらえないか」

「……! もちろん、です!」


 察されてしまっていたようだ。

 リリエリは気恥ずかしい気持ちと冒険に出れる期待、それから僅かな不安とを、席を立つふりをしてヨシュアの目から覆い隠した。


 窓の外、昨夜より少し丸くなった月が浮かんでいる。明日も良い天気だ。きっと冒険日和になるに違いない。


「それじゃあヨシュアさん、また明日」

「また明日」

 

 パタリと扉が閉まる。

 無事にヨシュアも目を覚まし、心配事も一旦は解決した。杖はまだ仮のものだが、次からの依頼は戦える者と共にいる。まずは近場から段階を踏んでいく必要はあるだろうが、一人でコツコツと依頼をこなすよりずっと効率的なはずだ。


 階段を下る木製の杖の音もどこか軽やかに聞こえる。


 要するに。

 リリエリは明日から始まる冒険者ライフが、とても楽しみでならなかった。

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