第8話 "邪龍憑き"


「邪龍ヒュドラが堕ちたんだと」


 リデルの口調は、有名人のスキャンダルを語るそれに似ていた。


 邪龍ヒュドラ。

 五大厄災と呼ばれる魔物の一体。西方で災禍の限りを撒き散らしていたとされる、猛毒の龍。


 ヒュドラの齎した被害は甚大と聞く。


 戦いを挑んだ冒険者の行く末は死ぬか逃げるかの二択のみ。

 その存在が近付くだけで街一つを放棄せざるを得なくなっただの、住処を追われた魔物が周囲の生態系を目茶苦茶にしながら溢れかえっているだの、にわかには信じがたい話ばかりが耳に入る。


 遠く離れた小都市エルナトの、他人に強い関心を持たないリリエリすら知っている。それほどまでに強大な人類の脅威だ。


「ヒュドラが堕ちた、って、討伐したんですか!?」

「どうやらそうらしいな。誰がやったかまでは知らねーけど、人類にも化物はいるらしい」


 リデルは近くに置かれていた麻袋の上にどっかりと腰を下ろした。物探しはどこへやら、彼女はすっかり噂話モードに入ったようだ。


「そんでさ、ヒュドラのせいでヤバいくらい増えた魔物をなんとかするために、西方都市のいくつかが各都市に要請を出してんだ。魔物狩りを助けてくれってね。良い金になるらしいから、エルナトの野心家はみーんなそっちに出稼ぎにいってるよ」

「そういえば、ギルドもやたらと静かでした。そういうわけだったんですね」

「お陰でこっちは商売上がったりだよ。まぁ、これで人類がまた一歩平和に近づいたんだから、文句は言えねぇよな」


 リデルの言う通りだ。強大な魔物が討伐され、その余波もまたほどなく鎮圧されるだろう。喜ぶべきだ、リリエリもまた、人々の暮らしを守る冒険者の一人なのだから。


 頭の中ではわかっている。それでも考えてしまうのだ。

 ――もしも、私に戦う力さえあれば、だなんて。


 そうであれば、私もまた冒険者として西方に向かえたのだろうか? ヒュドラを倒すまではいかずとも、他の冒険者のように、人々の助けに応じて魔物を狩る勇敢な冒険者となれただろうか?


 リリエリは役に立たない自分の右足を眺めた。紋章魔術を刻んだベルトが足に纏わりついている。昔はどうやって動かしていたのだったか。魔力がないと動かせなくなったのは、どうしてだったか――。


「……リリエリ?」

「あ、すみません。ボーっとしてました。何か言ってましたか?」

「あぁ、いや、大したこと言ってねーけどよ。……ヒュドラの噂には続きがあるんだ」


 こっからは楽しくない話だ、と言いながら、リデルは胸元から紙煙草を取り出した。キョロキョロと周囲を眺める仕草は、確実に火種を探している動きだが、それもすぐに止まる。見つからなかったらしい。そして火をつけるのも諦めたらしい。


 ただの草を巻いた紙を咥えながら、リデルは苦々しげに続けた。


「ヒュドラが堕ちたってのはつまり、ヒュドラを殺したやつがいるってことなんだよな」

「そりゃあ、まぁ、ヒュドラが勝手に死ぬことはないでしょうね」

「その殺した奴が問題なんだ」


 カラン、と部屋の何処かで軽い物が落ちる音がする。リデルは部屋の壁一面に貼られた褪せたポスターや依頼書、設計図を見るでもなしに眺めていた。やるせない、そんな感情が滲んでいた。


「"邪龍憑き"」

「え?」

「死んだヒュドラが、自分の首を落とした人間に取り憑いたんだそうだ」


 そんな馬鹿な、と笑い飛ばせる空気ではなかった。


 五大厄災の本質は、超高濃度の魔力が形を持ったものだと言われている。

 生命ではない。だから、長い時間を経て復活し、再び人類に厄災を齎す。例えば十年ほど前にエルナト周辺に現れた災厄スキュラなどは、約五十年周期で歴史書に姿を表している。


 ではヒュドラはどの程度の周期で復活するのだろうか。どのようにして、復活するのだろうか。


「そいつは呪いを宿して変質しちまったんだそうで。見た目は人間みたいだけど、中身はもう人間じゃないんだと」

「それ、それじゃあその人、どうなったんですか」

「行方知れずらしいよ。逃げ出したって言ってた奴もいたし、秘密裏に処刑されたって言ってた奴もいたな」

「そんな」


 ヒュドラを倒した冒険者だなんて、間違いなく人類の英雄だろう。それなのに人々に追われる立場になるなんて、余りにも酷い話じゃないか。


 だが、"邪龍憑き"を核としてヒュドラが復活する可能性がある以上、何もしないわけにはいかないだろう。

 人々の気持ちも理解できる。だからこそ余計に苦しいのだ。


「……まぁ、あくまで噂だけどな。エルナトに伝わるまでに尾ひれが何枚もついてんだろうぜ」


 噂程度で思い詰めんな、とリデルは笑った。暗い表情を見せたリリエリを気遣ってのことだろう。それもそうですねとリリエリもまた控えめに笑顔を形作ったが、アトリエに漂う重苦しい空気は消えない。


 しばし無言の時間があった。しかし、気まずい気持ちがピークに達するより早く、第三者の声が室内に響いた。


「……リデル師匠。何をやっているんです」


 唐突に聞こえた男性の声。声の方向を向くと、両手に大きな荷物を抱えた男性が一人、アトリエの入口に立っている。見覚えのある人物だ。名前は確か、


「おかえりアイシー。見てわかんねぇ? 仕事だよ仕事」

「……僕には火もついてない煙草を咥えてサボっているようにしか見えません」

「まじで仕事だって! ほら、客来てんじゃん! 布地七番を探しててさぁ」

「……あなたの後ろの机の引き出し、上から三番目です」


 そこさっき見たけどな、とぶつぶつ言いながらリデルは立ち上がった。一方、アイシーと呼ばれた男は、様々な物に囲まれて狭そうに座るリリエリを認めると、ペコリと礼儀正しく頭を下げた。


「リデルの弟子のアイシーです。ご無沙汰しております。師匠がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ない」

「いえ、お話を促したのは私の方なので……!」

「あった! あったぞリリエリ! 七番のやつ!」


 ガシャン。一際大きい音とともに、リデルが一枚の布地を頭上に掲げる。咥えていたはずの煙草がない。一体どこに落としたのだろうか。


「はいこれな、七番! お代も確かに! またどーぞ! ……この通り仕事してっから、アイシー! そんな目で見ないでくれよ」

「そう感じるのはあなたに疚しい気持ちがあるからですよ。……リリエリさん、またどうぞ」


 一変。先程まで重さをまとっていた空気は急速に賑やかないつもの空気に変貌し、リリエリはそれに追い立てられるみたいにアトリエを後にした。


 目的のものも得られたことだし、後はギルドに帰るだけ。


 ……"邪龍憑き"。


 ふと湧き上がる不幸な妄想を振り切るかのように、リリエリは無意識にいつもより強く杖を打ち歩いた。

 噂はあくまで噂だとリデルは言った。だから、顔も名も知らぬ英雄の行く末を考えたって仕方がないのだ。


 


 

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