『パンケーキは太る』ショートショート

@akaimachi

『パンケーキは太る』

 「パンケーキは太る」

 そう言いながら屋根のない部屋で優雅に風を受ける女がいた。

「パンケーキは太るから、食べたいのよ」

 誰も聞いていないのに、彼女は自分の話を続けるらしい。見るからに膨よかな身体を見せつけながら、二口目を含んだ。音を立てずともナイフとフォークが動いていく、その仕草だけで、彼女の育ちの良さが伺えるだろう。

 丸い皿の上、火によって柔らかに膨らんだ小麦の形状が、もうすでに何角形かわからない物へと変わっていた。

 頷きながら三口目に向けての準備が進んでいく様から、味覚に合っていることは確かだ。ただ、どのように美味しさを感じているのかについては話す気はないらしい。

「パンケーキは太るから」という言葉でその美味しさを片付けたきりだった。

 私には、脳内で数多くの言葉が行き交っていそうな彼女の頬の緩みだけが見えていた。

 私はずっと目を離せないまま見続けているが、別に太りたいという話の続きが聞きたい訳ではない。捉えられた目線が彼女を突き放すまで、何か得られる情報はないかと漠然に思っているに他ならないし、大それた動機づけなんて持ち合わせてもいない。

 不確かでうやむやな最中、彼女の眼の動かし方に対する私の洞察力が発揮された。無言で咀嚼を繰り返す彼女の視線の先、それはカレンダーだった。

 吹きさらしの下、掛けられた紙たちはバタバタと不本意な音をたてている。

 きっと彼女の思考はこうだ。昨日の日付に円を描いていないと気づいたのだろう。黒く放物線を辿った図形が数字の上で列をなしていた。そのため、日々の終わりに印をつけているに違いないと推測できる。

 彼女にも律儀な面があるのだろう。昨日までの形跡から読み取れた新しい情報だ。そこで彼女が次の言葉を発した。

「あら大変」

 頭の中である程度の思考がされたであろうタイムラグが確認できていたが、今気付きました、という装いをしている。

 誰も見ていない状況において、その素振りの全てが演技地味て仕方なかった。いつも誰かに見られていると自覚しているのだろうか。まぁ、どんな意図があるのか、私には分からない。

 真意が不明だとしても事実は明らかだ。確かに、そのカレンダーには13の数字が邪魔されないまま主張を継続していた。

「これじゃあ間に合わないわ。今日はピザも大福も、たこ焼きにホールケーキまで食べてしまいましょう」

 仕組まれた急遽を浮かべながら、どこかへ連絡をしている。

「Rapid deliveryです」

 溢れるように誰かの声が私の耳にまで声が届き、彼女との会話が聞こえ始まる。

 しばらくのやり取りがあったが、見知らぬ声の主が最終的に話を遮った。

「はい、はい、注文はこれであってます?ってか、ちょっといつもより多くないですか?」

 会話口の相手とは気の知れた中なのだろう、あまりに注文が多いと指摘が入っていた。溢れてくる声質の深さに、そんな小説があったな、と私の脳が一瞬ジャックされてしまう。

 いやいや、と空を振り、思考と彼女への視線を戻すと、優雅さの変わらない所作が見えた。

「それはそうよ、

 明日までに丸くならなきゃならないでしょ。十五夜だから」

 

 日が暮れ始め、薄暗くなった夜空に満月になりきれない月が浮かんでいた。

 明日の十五夜に向けて、彼女、いや月は身の膨らみを円周率では表せないほど完全なものへと擬態していくのだろう。

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