永遠の愛を願う

うみべひろた

永遠の愛を願う

「実は僕、人間じゃないんだ」

 ってユキが言うから、


「私も同じだよ」

 そう言い返してやった。


 あと20分。




 ユキは私の3歳の誕生日プレゼントだった。新しい物好きの父親が買ってきたのだ。

「見た目は人間と変わらないだろう」って自慢げに言っていたのを何故だか覚えている。


 でも覚えているのはそれだけだ。

 雪の日の夜、父親が連れて帰ってきたユキ。そのコートの袖に雪が積もってたのを見て「ユキって名前にする!」って私が騒いでたこと、

 はじめて幼稚園に行く日、「ユキと離れたくない!」って私が泣いて騒いだこと、

「絶対にユキと結婚するんだ!」ってずっと騒いでて父親が何故かしょんぼりしてたこと。

 そういう昔話をユキから聞かされるたび、絶対に作り話だよ! って私は騒ぐ。


 なんか私、騒いでばっかりだな。


『あなたの隣のお友達ロボット』。ずっと大事に持ち続けている紙の説明書にはそう書かれている。

 何度も読んだから紙はぼろぼろ。

 お友達ロボット。確かにそうだ。20年間、私たちはお友達であり続けた。


 人間と変わらないって何だろう。って私はずっと考えてる。

 私にとってはユキこそが人間だった。

 世界中、私たち以外の全員がロボットだったとして。別に私は困らない。

 でもユキだけは違う。


 僕は決して嘘をつかないんだよ。

 ユキはよくそう言って笑った。


 二人で毎年お花見に行くとき、いつもユキがお弁当を作ってくれた。

 ユキが作るクラブハウスサンド、今でも私は大好き。

「これがいちばん春っぽいよね」って、隠し味にふきのとう味噌を塗るのだ。ユキは食べれないから、私が全部食べるんだけど。

 それは甘くて苦い春の味。


 二人で海によく行ったけれど、ユキはあまり泳ぎたがらなかった。

「中が錆びるから泳ぎたくないんだ」って言うけど、そんなんで錆びないことを私は知ってる。

 ユキの説明書とオンラインのPDF、何百回読んだと思ってるんだ。海は大丈夫ですよねって、メーカーに問い合わせまでしたんだよ。

 そのメール回答を見せると、ユキはしぶしぶと海に入る。そして不格好に泳ぐのだ。

 別に笑ったりしないし、泳ぎなんていくらでも教えてあげるのに。

 だけど泳ぎだけは本当に上達しなかった。




 そんな感じでいつだって二人。学校でも友達なんて作らなかった。

 だってユキをひとりにするとかわいそうだから。

 私はユキと遊ぶ時間のため、部活にさえ入らなかった。

 一番の、っていうよりも、唯一のお友達。


 だからユキは私の願いを何でも叶えてくれた。

 四つ葉のクローバーが欲しいって言ったら三日かけて探してくれた。

 雪が5年ぶりに振った夜、記念に雪うさぎが欲しいって言ったら100個も作ってくれた。




 だけど唯一、叶えてくれなかった願い。




「ねえユキ。結婚しようよ」

 そうしたら、きっと助かるから。

 1年前、私は初めてユキに言った。


「結婚って何?」

「ふたりが、永遠の愛を誓う儀式」


 えいえんのあいをちかう。ユキは小声で反芻する。


「お友達ロボットには分からないよ」ってユキはいつもの笑顔で答えた。

 それからずっと。結婚しようよって私が何度言っても。同じ答えしかくれなかった。


 だけど私はユキを助けないといけない。

 ユキのモデルはあまりにも人間に近すぎたんだ。

 見分けがつかないから犯罪の温床になる、って。だから全部廃棄なんだって。

 誰が言いだしたんだそんなの。


 そんなことないだろ。ユキは失恋して泣いて眠る私の頭を一晩中隣で撫で続けるような奴なんだ。

「ユキの体温で温めてよ」って言ったら、ベッドにもぐりこんできて、ぴったりとくっついてた。

 でも別に、私を触ろうとはしなかった。


 そうだよ。あいつに犯罪なんて出来るわけない。

 出来るような奴なら、きっと、もっと。




 私が正面から抱きしめると、ユキも抱きしめ返してくれる。

 いつだってユキは暖かい。大きくて力強い。


 横目で時計を見る。あと30分。

 3月31日のAM9:00、サーバーから停止信号が流されてユキは動かなくなる。


 今日は春というよりも初夏だ。

 毎年来ている公園は、そこらじゅうが花で埋め尽くされている。


「ねえユキ。結婚しようよ」

 この言葉はもう何十回目。だけどそのたびに私は苦しくなる。


 届く言葉、届かない言葉。

 どっちのほうが寂しいんだろう。


 私はこの1か月間、口に出すことが出来なかった。


「お友達ロボットには分からないよ」ユキはいつだって同じ答え。


「ねえ、ユキ」私はユキを力いっぱい、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。

 私は知ってるんだよ。

 こんなこと初めて言うけど、

「嘘はダメだよ」


「嘘?」

 僕は決して嘘をつかないよ。って。いつものやわらかい声。


「1か月前の、最後のアップデート」

 あのアップデートで、ユキのモデルは恋愛を理解できるようになったらしい。

 1か月で何が出来るっていうんだ。最後だから思い出でも作れっていうのか。


 私がそう言っても、ユキは私をぎゅっと抱いたまま何も言わない。


「私がどれだけユキの説明書読んでると思ってるのさ。全部のアップデート、一字一句、何もかも暗記してるもん。隠しても無駄。ユキは、私を、好きになることが出来る」

「理論上はね」ユキは否定も肯定もしない。


 あのアップデートからユキの態度がおかしかったのには気づいてた。

 半年前、強制リコールで自分が消えることが決まった時も「悲しいね」で済ませてた奴がだ。


「一緒にお風呂に入ってくれなくなった。一緒のベッドに入ってくれなくなった。ねぇ、なんで」

「それは」ユキはもごもごと口ごもる。

 必死で言い訳を考えているんだ。って私には分かる。そんなのいらない。

 だって、この20年間、あなたのことしか見てなかったんだよ。


「ユキはさ。私のこと嫌い?」

「そんなことないよ」

 知ってる。これはプログラムの話。

 お友達ロボットは絶対に持ち主への好意を失わないようプログラムされている。


「じゃあさ。私のこと好き?」

「好きだよ」

 それもプログラムの話。お友達ロボットは嘘をつけない。

 だからそうじゃない。私が聞きたい答えは。


「だったら。私からの最後のお願い」

 私はユキの腕の中から抜け出す。その頬に手を当てる。「私と結婚してよ」


 これもプログラムの話。

 お友達ロボットは可能な限り持ち主の希望を叶えようとする。犯罪以外なら何でも。

 だから。ユキがアップデートで恋愛を覚えた今だったら。

 こんなのずるい。って知ってる。

 でも私は、


「ダメだよ」

 ユキからの返答は予想しないものだった。


「なんで」私はユキの肩をどん、と押す。

 やっぱり私のことなんて恋愛の対象にできないの?


「実は僕、人間じゃないんだ」

 痛がる素振りすら見せず、ユキは言った。


「意味わかんない。ずっと一緒にいたじゃん。ユキが人間じゃないなら私も」

 言いかけたけどユキが人差し指で私の唇をふさいだ。

「あと20分で僕は止まる。でもさ、悲しいとは思わない。だって僕には心が無いから」


「そうやって、私のことを置いてくんだ」

 私は何を言ってるんだか段々分からなくなる。

「心が無いなら私だって同じだよ! きれいな景色も! おいしいサンドイッチも! お風呂もベッドも! あなたとふたりでしか楽しいと思わない! 私の心は! あなたとの間にしか! 無かったんだ! だから!」


 私もあなたと同じだよ。

 だから、置いていかないで。


 ばん。ばん。私がユキの肩を、胸を、叩き続ける音だけが春の空に響く。


 僕は嘘をつけないんだ。ユキが呟く。

「だから永遠の愛なんて誓えない。出来るのは、せいぜい、あと20分間の愛を誓うことくらい。でも君は違うだろう」


 君の人生はあんなに長い。

 ユキは私の後ろを指し示す。


 そんなの見なくても知ってる。ここの花畑は地平線までずっと続いてる。

 何度あなたとここに来たと思ってるんだ。


 何十回と、その胸をグーで殴りながら。

 あぁそうか。私は思う。

 こいつの性格を、私は完全に忘れていた。


「君だけが、永遠に、僕への愛に囚われ続けるなんて。そんなことさせられないよ」

「だったら! なんでもっと早く!」


 私にとってはこの20分だけが永遠なんだ。宇宙の中身なんだ。

 残りが何だって言うんだ。

 私の後ろにいくら続いてたって見えない。どんなに美しくても触れない。


 だからせめて誓ってよ。

 私に永遠をちょうだいよ。


 永遠の外側のことなんて、あなたにも、私にも、関係ないんだから。


 ようやく騒ぎ終わった私に、ユキは困ったような笑顔を見せる。

「この1か月、君は言ってくれなかったじゃないか。結婚しようって」


 そうだ。私は気付いてた。

 1か月前のアップデートを見て、私はただ怖かったんだ。

 最初で最後の恋を永遠に失うことが。


「そういうのはさ」なんて言ったらいいのか分からなくて無理やり絞り出す。「男から言うものだよ」

「いつの時代の話をしてるの」

 呆れたように笑うユキは、けれど、『結婚の言葉』『プロポーズの言葉』をクラウドで検索してくれている。ユキの検索は私のモニターにも共有されてる。

 私に永遠を求めない言葉を。

 別にそんな気遣いはいらないって言ってるのに。


 ひとしきり探した後で、

 あれ? ってユキが呟いて笑う。

「最初からこうすれば良かったんだ」


「は? どういうこと」

 言ってることが全然分からない私に、

 "Will you take me......"

 ぼそぼそぼそぼそ。謎の言葉をしゃべるユキ。


「いや、意味わからんけど」


「古典的なアメリカ式の結婚の儀式をしよう」

 子供を見るような目でユキは言う。「日本語訳してあげる。英語が苦手な君のために」

 なんか腹立つ。


『あなたは私と結ばれ、愛し、一緒に生き続けることを。願いますか?』


 あれ?

 私の知っているものとは肝心な部分が違う言葉を、ユキは私に放り投げた。


「願いますか?」

 念押しのような声に、私は慌てて頷く。


「未来のない僕が何を誓っても嘘になる」


 未来のことなんて知らない。

 そんなの、宇宙の外側の話だ。


 だけど今は、

「君の幸せだけを願ってる。これは絶対に嘘じゃない」


 なんで、私が言いたいことを先に言うんだ。


 あと10分。




 二人でふらふらと花畑を歩く。

「本当に地平線の果てまで歩いていける気がする」

 私は言う。でも、

 あれはスズメノエンドウ。

 あれは夕化粧。

 って。ユキが雑草にまで詳しいから、二人で足下ばかりを見て歩いている。

 どこを歩いているのかさえもよく分からなくなる。


「さっきさ、ユキ、言ったよね」

 しゃがんで花を撫でまわすユキの背中に言う。「僕は人間じゃないんだ、って」


「うん。言ったよ」

 そう言って立ち上がるユキの目に問う。「じゃあ、何なの」


「僕は。お友達ロボット、かな」

 ユキが言いよどんだのを見て、

「違うでしょ」

 私は言う。


 ユキは困ったように笑う。私はその表情が大好き。

「君の結婚相手だね」


「それも違うよ」

 たった一歩の距離を詰める。

 今までどうしたって詰められなかった大きな一歩。


「これをやって、初めて結婚の儀式は終わる」


 ユキの唇は赤くて、ちょっと薄い。

 だから硬いんだって勝手に思っていたけれど、そんなことなかった。

 どこまでも沈んで、あったかくて、戻ってこれなくなりそう。


 あと3分。

 ユキとの身長差をここまで感じたのは初めてだ。

 いつも胸にぽすん、で満足していたから。

 必死で背伸びする私に気づいて、ようやくユキがちょっとだけかがんでくれた。


 あと2分。

 苦しいのはなんで。

 本気の全力で抱きしめれば、あなたと溶けて一緒になれるって信じてるから?

 どこで息継ぎをすればいいのか分かんないから?

 ユキが私の頬を拭う。気付くなバカ。


 あと1分。

 ねえ、ユキ。なんで私があなたにキスしたか分かる?

 あなたが居なくなる瞬間を見たくないからだよ。

 朝、目覚めたときみたいに、いい夢見たなぁって。

 もう一度見たいなぁって。

 そしたら抱きしめて、暖めて、安心させて、

 絶対もう離れないで。


「私を。置いていかないで」




「僕は、一生、君を愛したいと願うよ」

 ぼそぼそとユキの声。

 なんだよ。あと30秒しか無いじゃん、そんな簡単なこと、守れるに決まってる。


「私もだよ。私も、ユキを愛したいと願ってる」

 そして私の願いだってそう。守れるに決まってる。


 届く言葉、届かない言葉。

 どっちのほうが寂しいんだろう。


 こんなに一緒なんだ、

 私たちの違いはどこにあるんだ。


 このまま溶けてしまえればいいのに。

 人間だとか、人間じゃないとか、そんなのどうでもよくなるまで。

 そしてどこまでも。

 地平線の果て、大気圏の向こう、太陽の光が届くよりもずっと遠く、




 ほら、ユキ、宇宙の端っこだよ。

 一緒に行こうね。もっと、ずっと向こうへ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

永遠の愛を願う うみべひろた @beable47

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ