第38話 記憶の共有とゼロ距離
ラーガスト王国軍の残党が塞いだ峠道は、すでに復旧していた。
私達はそれを越えて、無事国境に到達する。
ライガーサイズのレーヴェは、行く先々で人々に二度見をされたが、いい用心棒ともなった。
しかし、往路で夜這い騒動があった領主屋敷に再び宿泊した際、ミケに充てがわれたベッドに彼を潜ませたのは……ちょっとやりすぎだったかもしれない。
「きゃああっ!!」
『にゃああっ!!』
真夜中の屋敷に、耳を擘くような若い女性の悲鳴と、大型肉食動物の咆哮が響き渡った。
懲りずに忍び込んできた領主の娘が、それに驚いた元祖チートの超強力猫パンチによって、危うく首を吹っ飛ばされるところだったのだ。
「彼女の打たれ強さには、いっそ感心しますわね」
「とっさにレーヴェの一撃を躱した、あの反射神経……侮れませんな」
そんな領主の娘に、ロメリアさんやミットー公爵が感心する。
「ここまで執着されると、さすがに怖いんだが……」
一方、当事者であるミケは心底うんざりとした様子だった。
なお、肉食令嬢と直接対決させられた元祖チートはというと……
『怖かったにゃん! おれ、貞操の危機だったにゃん!』
そう言ってブルブル震えていた。
そんなことがありつつも、私達は順調に王都への道を突き進む。
最後の休憩が終わった後、ミケは私を自分の馬に乗せた。
「あのぅ、ミケさん? 馬に乗ると、私のお尻が死ぬんですが……」
「死ぬなんて言葉を容易に使うな。大丈夫だ、正しい乗り方をすれば痛まない。まずは上半身を正して、坐骨で座るんだ」
「ざこつ……どこ……そんな骨はありません」
「いや、あるだろう」
後ろから抱きかかえられるようにして、ミケの愛馬に跨る。
前回メルさんと馬に乗った時とは、感覚はかなり違った。
メルさんよりも体格のいいミケの補助があるため安定感はある。
ただし、こちらの馬の方がずっと大きいせいで、地面までが遠くて身が竦んだ。
『おい、王子! 間違えても珠子を落とすんじゃないぞっ!』
「言われなくとも」
ネコも、ちゃっかり私の前に陣取っていた。
にゃんにゃん騒がしい背中のモフモフに、馬が一瞬迷惑そうな顔をして振り返る。
やがて、小麦畑の間を通る馬車道に差し掛かった。
ラーガストに向かう際は黄金色の穂が風に靡いていたが、すでに刈り取られ、今では稲孫の緑が揺れている。
整備された広い道の先にうっすらとベルンハルト城のシルエットが見え始め、私達はしみじみと呟いた。
「いろいろありましたけど、帰ってきましたね」
「本当にな……タマを連れて帰ってこられて、よかった」
ポスッと私の後頭部に顔を埋め、ミケは大きく一つため息を吐いた。
彼の賢い馬は、主人が前を見ることを放棄していても、つつがなく進んでいく。
私も、されるがままに任せていた。
トラちゃんに言ったとおり、ミケを甘えさせられるのは自分だけだと思っているし、今はそれを誇らしく感じているからだ。
心ゆくまで私を吸ったミケは、やがて意を決したみたいに口を開いた。
「タマ……マルカリヤンの騒ぎがあった時から、実はずっと気になっていたんだが」
「はい、何でしょう?」
「私が兄を亡くしていると、タマは知っていたのか? マルカリヤンがその話題を出した時、驚いてはいなかっただろう」
「あっ、はい……知っていました。ラーガスト行きが決まる前に、国王様と王妃様から伝えられまして……」
さらに、私は前を向いたままミケに打ち明ける。
ネコを含めた二人と一匹で崖から落ちた後、おそらくは転移の際の影響で、レオナルド王子が殺された場面の記憶が共有されたことを。
しばしの沈黙の後、私のつむじにはミケのため息が降ってきた。
「……兄が、私を庇ったせいで殺されたのも、知ったんだな」
ミケは兄を助けられなかったことを悔いている、と国王様は言っていた。
亡き兄の分まで、自分が王子として祖国に尽くさねばという思いに囚われ、背負い込みすぎる傾向にあるとも。
きっと、兄が自分を庇う形で亡くなったことによる罪悪感も、楔となって彼の心に食い込み続けているのだろう。
〝ミケのせいじゃない〟
〝お兄さんはきっと、ミケを守れて本望だった〟
喉まで出かけたそんな言葉を、私は慌てて飲み込んだ。
(一部の記憶を共有しただけの私が、安っぽい慰めを口にするなんて、烏滸がましいよ……)
私は何も言わずに、いや何も言えないまま、自分の前で手綱を握っているミケの手を撫でる。
また一つ、小さなため息が私のつむじに落ちた。
「犯人の姿は、見たのか?」
「顔が見えました。右目の下に泣き黒子がある男の人……マルカリヤンさんが、ラーガスト国王を唆したかもしれないって言っていた人の特徴を聞いた時、ドキッとしました」
「ああ、そうだな……私もだ……」
「あのっ……自分の記憶を勝手に共有されるなんて、いやですよね! もちろん、絶対に他言はしませんので!」
慌ててそう言う私の髪を、ミケは手綱から片手を離して撫でた。
しばらくの間、私達の間に沈黙が流れる。
地面を蹴る蹄の音と、後続の馬車の車輪の音だけが、そのまま永遠に続くかと思われた。
やがて、ふう、とため息が聞こえてくる。
後ろのミケではなく、私の前に陣取ったネコだ。
ネコは、私越しにミケをじろりと睨んで言った。
『言いたいことがあるのなら、はっきり言わんかい』
「わかっている」
何やらネコに急かされたミケは、私の髪を撫でながらようやく重い口を開く。
「タマが私の記憶を持っているのは……本当は、予想していたことなんだ」
「えっと、それはどうして……」
「私も、持っているからだ──おそらくは、この世界に来る前の、タマの記憶を」
「えっ……」
ミケの言葉に凍りついた私を、すかさず解凍するのもネコだ。
ネコはくるりと振り返って後ろ足で立ち上がる。
そうして、クリームパンみたいな両の前足で私の頬を挟んだ。
『なーにを驚いておるか! 王子の記憶がお前に入ったんじゃから、その逆──珠子の記憶が王子の方に行っとろうが、何ら不思議ではなかろうっ!』
「あ、そうか……うん、そうだ、ね……」
記憶が共有されているといっても、私はミケが兄を亡くした場面しか知らない。
ミケに共有されたのも、私の記憶のほんの一部、しかも断片的なものでしかなかったようだ。
そう断った上で、ミケが続ける。
「記憶の中のタマは……家族との関係があまりにも希薄に感じた」
「は、はい……」
「この半年、お前の口から家族の話が一切出なかったことから、家族との関係がうまくいっていなかったのではないか、と推測してはいたんだが……」
「そう、ですか……」
ミケは、慎重に言葉を選んでいる様子だった。
けれども、次の瞬間……
「タマ──家族との間に、何があった?」
単刀直入に問われ、私は思わず閉口する。
一部の記憶を共有しただけの自分が意見を言うのは烏滸がましい。
そう思って、ミケに慰めの言葉すらかけられなかった私と違い、彼は遠慮なくこちらに踏み込んできた。
パーソナルスペースも何もあったものではないが……
(よくよく考えたら、この世界で目覚めた時から、そもそもミケとはゼロ距離だったわ……)
それを思うと、もはやミケに対して取り繕うのも馬鹿らしい気がした。
私は、頬をムニムニしてくるネコを両腕で抱き締める。
そうして、いつもミケが私にするみたいに、その真っ白い毛に顔を埋めて言った。
「何もないんですよ、ミケ──私と家族の間には、愛情も、絆も、思い出も、何一つ、ないんです」
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