第32話 処刑されたはずの王太子

「い、一体、何が起こってるの……? 王太子って……」

『ラーガスト人であるあの女がそう呼ぶっちゅーことは……つまり、あれじゃ』


 私は戦々恐々としつつ、腕の中のネコと密かにそう言い交わす。

 掃き出し窓を開けて部屋に踏み込んできた男性を、カタリナさんは〝王太子〟と呼んだ。

 状況的に見て、それはラーガスト王国の王太子を指すと思っていいだろう。

 カタリナさんはもともと王太子の侍女だったというから、面識があって然るべきだが……


「で、でも……トラちゃん以外のラーガストの王族って、全員処刑されたはずだよね? まさか、ゆ、幽霊……!?」

『んなわけあるかいっ! こいつら全員足があるじゃろうがっ!』


 どうやら幽霊ではないらしいラーガスト王国の王太子に続いて、同じ濃紺の軍服を着た男達が三名乗り込んできた。

 ネコとこそこそ話していた私も、カタリナさんもメイドの少女も、あっけなく彼らに捕まってしまう。

 とっさに剣を抜こうとした中尉に、ラーガスト王国の王太子が尊大に言い放った。

 


「──動くな。これより総督府は、このマルカリヤン・ラーガストが占拠する」



 その後、ラーガスト王国王太子マルカリヤン一派は、私達を人質にして三階にある長官執務室に移動した。

 ここで会議をしていると思われたミケの姿も、革命軍の代表や大佐の姿もなく、唯一残っていた若い武官は我が物顔で入ってきた敵国の王太子に圧倒されて固まってしまう。

 そのまま広いバルコニーへと出たマルカリヤンは、正門の方を見下ろして眉根を寄せた。


「ふん……荷に紛れて侵入した連中は見つかってしまったか」


 正門の側には荷馬車が止まっており、積み荷らしき藁の束が解かれた上に、数人の男達が縛られて座っている。どうやら彼らもマルカリヤンの部下だったようだ。


「まあ、いい。あいつらが囮になってくれたおかげで、こちらは手薄になってやりやすかったからな」


 総督府は騒然としていた。

 門は固く閉ざされ、ベルンハルト王国軍の黒い軍服を着た者達が慌ただしく走り回っている。

 彼らに加え、総督府の敷地内では、あの老夫婦の孫のように働き口を提供された若者達や、戦火で焼け出された老人や母子などといったラーガスト王国の民間人も大勢生活していた。

 ここは、かつて敵国同士であった者達が、お互いの中にある蟠りを押し殺しつつ、それでも平穏な日常を取り戻そうと奮闘している場所なのだ。


「そんな中で、戦争責任を問われるべきラーガスト王家の人間が──しかも、元凶の国王から軍の全権を任されていたっていう王太子が、この期に及んで何をしでかそうというの?」


 私はその不健康そうな横顔を、戦々恐々と見上げる。

 しかし、乱暴に掴まれた腕が痛くて顔を顰めていると、ネコがマルカリヤンの部下の顔面に飛び付いた。


『こらぁ、貴様! 我の娘は丁重に扱わんかいっ! 珠子は我が子最弱なんじゃぞっ!』

「は、はわ……ふわふわ……!」


 敵をもたちまちメロメロにしてしまう魅惑のモフモフ……恐るべし。

 おかげで私は腕を離してもらえたが、安堵するには早かった。

 ふいに胸の前に腕が回ったかと思ったら、有無を言わせず引き寄せられる。

 頭上から降ってきたのは、今まさに総督府の占拠を宣言した声だった。


「おい、娘──お前、何やらいい匂いがするな?」

「ひい……! 気のせいですよぅ! に、匂い嗅がないで……!」

「いいや、気のせいではない。懐かしいような、心が落ち着くような……手放しがたい匂いだな。お前、何者だ?」

「し、しがない民間人です……」


 幸か不幸か。

 マルカリヤンは、ミケやトラちゃんやロメリアさんと同じタイプ──ネコではなく、私のフェロモンに反応する体質だったらしい。


『ばっかもーん、珠子ぉ! 敵を癒やしてどうするんじゃあああっ!』

「不可抗力だよぉ……」


 私を叱りつけるネコだって、マルカリヤンの部下にモフモフされている。

 カタリナさんやメイドの少女を捕まえた二人も寄ってきて、その真っ白い毛を撫で回し始めた。


「かわいい! かわいいかわいいかわいい!」

「いいにおい……しゅごぉい……」

「だっこ! だっこだっこ! だっこしたいっ!」


 おネコ様を前にして、彼らの語彙力も例外なく死に絶える。


「うっ、くそっ…!」


 中尉から悔しそうな呻き声が上がったが、人質を取られて手を出せないからであって、自分がネコをモフモフできないからではない……と思いたい。

 マルカリヤンは私の後頭部に鼻先を埋めて、くくっと笑った。


「あの毛の長い小動物といい、お前といい……ベルンハルトはなかなか面白いものを飼っているではないか」

「あ、あのっ……吸うのっ……やめてもらって、いいです、か?」

 

 ミケに吸われるのも普通に恥ずかしいが、嫌な気分にはならない。

 一方、マルカリヤンが相手だと、嫌悪感と恐怖心ばかりが沸き起こってきた。


「ふん……髪の手触りも悪くない」

「な……なでなでするのもっ……やめてもらって、いいです、か!?」


 何やら猫を愛でるみたいに頭を撫で回されるが、彼にはそもそも心を許せる要素が皆無なのだ。

 私が本当の猫だったら、今頃イカ耳になっていることだろう。


『おいこら、貴様ぁ! 我の娘に気安く触れるなっ!!』

 

 マルカリヤンの部下達にモフモフされているネコが、身を固くしてブルブルする私に気づいて、ふぎゃーっ! と抗議の声を上げる。

 しかし、ネコの言葉を解さないマルカリヤンは、鼻で笑っただけだった。


「何だかわからんが、気に入った。お前と、そこのうるさい小動物は、戦利品としてもらい受けよう」

「こ、ここ、困りますっ!」

「なに、不自由はさせんぞ。国庫は革命軍に掻っ攫われたが、私財は隠してあったからな」

「えっ、お金……? か、隠し財産、あるんですか?」


 まさかの耳寄り情報に、私は思わずマルカリヤンをまじまじと見上げる。

 敗戦国の王太子の私財なら、戦勝国が賠償金として回収してしまっていいのではなかろうか。

 これはぜひともミケに教えてあげなければ、と思っていた時だった。


「マ、マルカリヤン殿下……!?」


 息急き切って現れたのは、革命軍の代表だ。

 その後ろに、大佐と数名の武官が続いた。

 ただし、ミケの姿はどこにもなくて、私はとたんに心細くなる。

 カタリナさんが人質に取られているのに気づいた革命軍の代表は、真っ青になりつつ震える声で問うた。


「ど、どうして……あなたが……? 処刑されたはずでは……」

「残念だったな。貴様らが切ったのは、私のものではなく影武者の首だよ」


 マルカリヤンには、優秀な影武者がいたらしい。

 それこそ、親兄弟でも見間違えるほど瓜二つで、彼のためなら喜んで命を投げ打つほど忠誠心の高い身代わりが。

 彼は、同じほど忠実な親衛隊の生き残りとともに、革命軍から主導権を取り返す機会を虎視眈々と窺っていた。

 最終目標は、自らがラーガスト国王となって王家を再興し、ベルンハルト王国の影響を排除することだろう。

 マルカリヤンは、人質を取られて身動きのとれない革命軍の代表を鼻で笑うと、バルコニーから声を張り上げた。


「聞け、ラーガストの民よ。私は、マルカリヤン。お前達の王──いや、神となる人間だ」


 演説し慣れた支配者の声は、一瞬にして人々の意識を惹きつけた。

 神を名乗るだなんて烏滸がましいと思うが、元来敬虔な性分のラーガスト王国民によって、国王は長らく生き神として崇められてきたのだ。

 順当に行けば、次のラーガスト国王となるのはこのマルカリヤンだったのだから、彼の言葉はあながち絵空事ではないだろう。

 それを証拠に……


『おいおいおいっ! ラーガストの人間どもめっ! こんなやつの言葉に耳を傾けてどうするんじゃいっ!!』


 ネコが忌々しげに言う通り、ラーガスト王国の人々はマルカリヤンの演説に聞き入ってしまっていた。

 彼らを満足そうに見下ろして、マルカリヤンが続ける。


「思い出せ、私の民よ。ここは、我らが祖国ラーガストであるぞ。この神聖な地に異国民をのさばらせて、本当にいいのか──いや、いいはずがなかろう!」


 二つの国の人々が入り混じった総督府の中は、たちまち緊張に包まれる。

 ピリピリとした雰囲気の中、マルカリヤンは止めとばかりに叫んだ。


「さあ、同胞よ! 己が手に武器を持ち、立ち上がれ! お前の隣にいる侵略者を倒し、我らの誇りを守るのだ! ともに、この地を取り戻そうではないか!」


 ラーガスト王国の人々は、それまで一緒に談笑していたはずの黒い軍服を着込んだ相手に鋭い目を向けた。

 一方、ベルンハルト王国軍もまた、相手が暴徒と化すのならば、これと戦わねばならなくなる。

 民間人に剣を向けるのは、彼らも避けたいところだろう。

 まさしく一触即発の状況となった、その時である。

 

「──みんな、待って! 待ってください!」


 突然、そんな声が辺りに響き渡った。

 誰かと思ったら、私が先ほど焼き菓子を届けた相手──あの老夫婦の孫だ。

 彼は、ちょうど門の側に止まったままになっていた荷馬車の荷台に駆け上がると、さらに声を張り上げた。


「僕の家族は戦時中、ラーガスト王国軍から略奪に遭いました! その時、助けてくれたのは、敵であるはずのベルンハルト王国軍だったんです!」


 それは、私とミケも老夫婦から直接聞いた話だ。


「──いや、違う! ラーガストだ、ベルンハルトだ、と今更言いたいわけじゃないんだ! 僕はただ、もう誰とも戦いたくない! 誰も失いたくない! やっと安心して飯を食い、眠れる日々が戻ってきたっていうのに……僕達の神を名乗る人が、どうしてそれを奪おうとするんだっ!」


 これを聞いたラーガスト王国の人々は、はっと我に返ったような顔をする。

 一方、私の頭の上ではマルカリヤンが舌打ちし、冷ややかな声で言った。


「あいつを黙らせろ」


 すかさず、バルコニーの陰で矢を番えて老夫婦の孫を射ようとするのは、最初に私の腕を掴んでいた男だ。


「や、やめっ……むぐっ!?」


 私はぎょっとして叫ぼうとしたが、マルカリヤンの手に口を塞がれてしまった。

 んんーっ! と叫んでもがくが、マルカリヤンはびくともしないし、老夫婦の孫自身は狙われているのに気づく様子もない。

 私のただならぬ様子に、革命軍の代表や大佐達もこちらに駆け寄ってこようとするが、人質がいるため思うようにいかなかった。


『こりゃあ、いかん! 貴様ら、いい加減に離せいっ!!』


 ここで、マルカリヤンの部下達の顔面に猫パンチを浴びせてようやく解放されたネコが、バルコニーに飛び出そうとする。

 しかし、矢が放たれる方が早い──そう思った瞬間だった。


「うわっ……!?」


 突然、バルコニーの向こうから誰かが飛び出してきて、弓を引き絞っていたマルカリヤンの部下を殴りつける。

 その拍子に放たれた矢は軌道が大きく外れ、バルコニーの柵に当たって跳ね返った。


「……っ、くそっ!」


 マルカリヤンの部下はすぐさま体勢を立て直して応戦しようとしたが、間髪をいれず鳩尾を蹴り上げられ、そのまま俯せに倒れ込んでぴくりともしなくなる。

 あっという間に彼を伸してしまった人物の正体に気づき、口を塞がれたままの私は心の中でその名を叫んだ。

  


(──ミケ!)



 ミケは、怒りを湛えた目でマルカリヤンを睨みつけていた。

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