第29話 総督府

 レーヴェのチートと出会った森を抜けた先には小高い丘があった。

 その上からは、総督府の全貌が窺える。

 総督府は、この周辺を治めていた領主の屋敷を庁舎として利用していた。


「元の持ち主である領主一家は、終戦を待たずに領民を見捨てて逃げたらしいが、途中で野盗に襲われて全滅したという話だ」

『ふん、なんとも因果なものだな』


 ミケと、私の腕に抱かれたネコがそう言い交わす。

 大きな山を背にして立つ古めかしい屋敷の周辺には、かつては多くの商店が立ち並んでいた。

 しかし、ベルンハルト王国軍の進攻を前にして、ラーガスト王国軍が略奪の上で焼き払ったらしい。

 現在は、焼けた建物の残骸が全て取り除かれ、所々で再建され始めている。

 そんな総督府とその周辺は、丘の上から見る限りでは混乱している様子はない。

 目を凝らしていたミケは、少しだけ肩の力を抜いた。

 それからふと、足下に視線を落として呟く。


「あの時……タマが来なければ、私はここで死んでいたかもしれないな」


 予定通りに国境から総督府に向かっていれば通るはずではなかったこの丘は、半年前の最終決戦においてベルンハルト王国軍が本陣を構えた場所──私が異世界転移してきた、まさにその場所であった。

 あの時の記憶が一切ない私は、これといって感慨を抱けないが、ミケは違うようだ。

 御前試合の見学中、准将はトラちゃんに対し、ミケはナイフで刺されたくらいでは死ななかっただろうと言ったが……


「もしもの話でも、ミケが死ぬなんて言葉、聞きたくないです」


 口を尖らせて抗議する私に、ミケが小さく笑う。

 そうして、大きな手でゆったりと私の髪を──元の世界で生きていた時とは正反対の色になった髪を撫でた。


「あの時死ななかったとしても……タマという癒やしがなければ、私はこの半年の間に潰れていたかもしれない」


 しみじみと語る彼を、私の腕の中からネコがジロリと睨み上げる。


『我が、珠子を連れて来たんじゃぞ! つまりは、我もまたお前の命の恩人じゃ!』

「わかったわかった。お前もありがとうな」

『こらあっ! 珠子のついでみたいに撫でるんじゃないっ! もっと心を込めて! 恭しくっ! おネコ様を崇め奉り、末代までこの尊さを語り継げよっ!!』

「注文の多い……」


 ミケは呆れつつも、ネコの頭を要求通り恭しく撫でる。

 それから同じくらい丁寧に、もう一度私の髪も撫でつつ呟いた。


「タマがいない世界など、想像したくもないな……」


 私にとってここは、新たな人生が始まった場所でもある。

 ミケを皮切りに、脇腹を刺された代償というには余りあるほどの良縁に恵まれた。

 もしも今、元の世界に戻してやると言われても、私は断固拒否するだろう。

 ネコが異世界転移能力を失ったことは、むしろ好都合だったのだ。

 ただし、ネコにとっては不本意であり、不幸なことかもしれない。

 私は罪悪感を紛らわせようと、ミケと一緒になってネコを撫でる。

 首の後ろにでき始めていた毛玉は、この時にはすでになくなっていた。 

 


 総督府となった屋敷はぐるりと高い塀で囲まれており、門ではベルンハルト王国軍の軍服を着た数名が検問を行っていた。

 ミケは私とネコを連れ、軍服の上着を脱いで検問の列に並ぶ。

 国軍元帥である彼の軍服は、他の軍人のそれとは色が違って目立つからだ。

 万が一、どこかに不穏分子が潜んでいる場合を想定し、用心してのことだった。

 そうして、ちょうど私達の番になる直前のことだ。


「……はっ? で、でん……ええっ!?」


 門の近くを通りかかった年嵩の武官が、ミケに気づいてぎょっとした。

 漫画みたいに二度見し、幻覚かもと言いたげにゴシゴシと両目を擦り──しかし、次の瞬間には何食わぬ顔をして検問担当に混ざると、さっさと手続きを済ませて私達を中に入れてくれる。

 そのまま先導して庭を歩き始めたが、人気のない場所までくると、バッと振り返ってミケの両手を握った。


「ででで、殿下、何事でございますか!?  と、供は? 軍はどうなされたのですっ!?」

「長らくの駐留ご苦労、大佐。驚かせてすまない。まあ、いろいろあってな……」


 ミケが大佐と呼んだ彼は、戦争終結後に赴任した、この総督府の最高責任者だった。

 息子のような年頃の王子が、供も連れずにやってきたことにたいそう驚いていたが、彼が怪我を負っている様子もないため、ひとまずほっとしたらしい。

 その興味は、同行した私とネコにも向いた。


「殿下、こちらのお嬢さんとモフモフの子は、もしやあの時の……」

「ああ、そうか……大佐も、あの時本陣にいたんだったな」

「ええ、殿下を凶刃から守ってくださった方ですね。すっぽんぽんで」

「わーっ!!」


 全裸で異世界転移したなんて、黒歴史すぎる。

 一つだけ何でも願いを叶えてやると言われたら、その瞬間のミケ達の記憶を改竄して、私に服を着せてもらいたいものだ。

 一方ネコは、俄然元気を取り戻した。

 羞恥に震える私の腕から大佐の腕へと飛び移り、にゃあん、にゃあん、と猫撫で声を上げ始める。

 ただし実際は……


『ぬわーはははは! 寄越せぇ! お前の真っ黒いのを、寄越せぇ! ぜーんぶ、寄越せぇえええっ!!』

「おやおや、こんなに懐かれるなんて照れますなぁ。私は小動物には不人気なんですが」

『ぐへへへへ、おっさん……人が良さそうな顔をして、なかなか溜め込んどるじゃないかぁ? おうおう! お前、腹ん中は真っ黒かぁー?』

「あっははは! うふふ! くすぐったいなぁ!」


 悪役っぽさ全開のネコと、ひたすらそれにデレデレする大佐に、ミケはスンとした宇宙猫の顔になった。

 これまで一人でこの光景を見てきた私も、遠い目をして問う。


「ネコの声……聞こえないままの方がよかったって、思ってますでしょ?」

「思ってる……」


 ミケが、労るみたいに私の頭をまたなでなでした。


『はー、食った食った。珠子、食い過ぎて動けんから抱っこせい!』

「はいはい」


 やがて、腹が満たされて機嫌の直ったネコが、腕の中に戻ってくる。

 負の感情を提供した大佐の方も、黒い軍服を白い毛だらけにされながらもほくほくしていたが、ミケが元祖チートから聞いた話をすると、とたんに顔面を引き締めた。


「革命軍の代表は、もう到着しているのか?」

「はい。一昨日、小隊とともに総督府に入られ、一通りの話し合いは済ませております」

「一昨日、か。ではやはり、昨夜こそこそしていたという連中は、革命軍ではないな」

「ラーガスト王国軍の残党でしょうか。近頃王都の方では、親衛隊の生き残りや傭兵崩れが革命軍への抵抗運動を行なっている、と小耳に挟んではおりますが……」


 予定通りであれば、二、三時間もすればミットー公爵率いるベルンハルト王国軍が到着する。

 ミケはそれを待つ間に、大佐や革命軍の代表を交え、今後の対応を協議することに決めた。

 私とネコはその間、大佐の部下である女性中尉に預けられたのだが……


「はわわわ、おネコ様っておっしゃるんですかぁ? こんな尊い存在……生まれて初めて出会いました!」

『ぬっふっふっ! そうじゃろうそうじゃろう! お前、なかなか見る目があるではないか! 褒美に、好きなだけモフモフしてよいぞ!』

「ああっ……なんと素晴らしい手触り! なんて芳しい香り! 心が洗われるようです……!」

『にゃーははははっ! くるしゅうない! くるしゅうないぞ!』


 初見では、メルさんを彷彿とさせる中性的で洗練された印象だった彼女も、ネコを見ると瞬く間にメロメロのデレデレのフニャフニャになった。

 おかげでさらに機嫌のよくなったネコを連れ、私はひとまず国王様に与えられた役目を果たすため、総督府のあちこちを慰問に回ることにする。

 その途中で、一晩お世話になった老夫婦の孫の居場所にも案内してもらった。

 預かってきた焼き菓子を渡すためだ。

 あの親切な老夫婦の孫らしく、たいそう人の良さそうな青年だった。

 祖父母がベルンハルト王子を助けたと聞いて驚いていたが……


「そうですか、祖父が腰を痛めて……。教えてくださり、ありがとうございます。明後日は仕事が休みなので、祖父母の様子を見に帰ります」


 そう言ってネコを撫でた彼も、ほとんど負の感情を抱えてはいなかった。

 それから、さらに一時間ほど総督府内を回る。

 そんな私達におずおずと声をかけてきたのは、トラちゃんと同い年くらいに見えるメイドだった。


「あの、そちらのモフモフした動物と接すると、心が癒やされると伺ったのですが……」


 どうやら、ネコに接した者から話を聞いてわざわざ駆け付けたらしい。

 メイドの少女は縋るような面持ちで続けた。


「ぜひとも、癒やして差し上げてほしい方がいるのです。ネコ殿に、その方と会っていただけませんでしょうか?」

『よーしよしよし! どんとこいじゃあ! 我に任せろいっ!』

「えーっと……大丈夫みたいです」


 そうして、私とネコが案内されたのは、一階の奥まった場所にある静かな部屋だった。

 中に入ると、庭園に面した大きな掃き出し窓を眺めるようにソファが置かれている。

 同行した中尉が、声のトーンを落として私の耳元に囁いた。


「カタリナ・ラーガスト──ラーガスト国王の側室で……ベルンハルトの捕虜となっていた、トライアン王子の母君です」

「……っ!」


 予期せずトラちゃんの母親と対面する機会を得た私だが、思わず片手で口を覆った。

 うわっ! と叫んでしまいそうになったからだ。


『これはこれは……』


 もう片方の手に抱いていたネコも、両目をまんまるにした。

 トラちゃんの母親は、窓の方を向いてソファに座っているようだ。

 ようだ、と不確定な言い方しかできないのには訳がある。

 なにしろ、私とネコの目には──ソファに、巨大な黒い綿毛が鎮座しているようにしか見えなかったのだから。

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