第五章 ネコ一家新規加入

第25話 無力な傍観者

「殿下! 殿下ぁ! ああ……何ということだっ……!!」


 上司であり、現国王の唯一の王子であるミケランゼロが崖から落ちるのを、なす術もなく見送ってしまった准将は、地面に両手を突いて打ち拉がれる。


「殿下を失い、我々は……ベルンハルトは、これからどうすれば……」

「わ、私の……私のせいだ……私がタマコ嬢を攫ったりしたから……」


 絶望と悲しみにガリガリと地面を掻く准将の背後では、茫然自失となったメルが幽鬼のような青い顔をして立ち尽くしていた。

 ところが、そんな二人とは対照的に、普段と少しも変わらない口調で言うのはロメリアだ。


「滅多なことを言うのもではありませんわ、お兄様。殿下は、亡くなってなどおられませんわよ」

「は……?」

「えっ……?」

「お兄様もメルも下を見てご覧なさいまし。彼らのひしゃげた遺体など、どこにもございませんわ」


 そう言われた准将とメルは顔を見合わせ、それから恐る恐る崖の下を覗き込んだ。


「た、確かに……下には崩れた崖の先端が散らばっているだけで、殿下達のお姿は見えないが……」

「あの、ロメリア様……崖の残骸に埋もれているという、可能性は……?」


 情けない顔をした兄と従者を、ロメリアは冷ややかに一瞥する。

 そうして、きっぱりと言った。


「殿下は、ご無事ですわ。おタマとネコもです」

「お、お前は、何を根拠にそんなことを……」

「わたくしは、殿下達が落ちていかれる様をつぶさに見ておりましたが……消えたのです」

「消え、た? 消えたとは、どういうことでございましょうか、ロメリア様」


 准将とメルが再び顔を見合わせる。

 ロメリアは崖の際に仁王立ちして腕組みをし、眼下を睨みつつ続けた。


「おタマが現れた時のことを思い出してごらんなさいまし。あの子は我が軍の天幕の中、何もない空間から突如現れましたわ。ネコと、ともに」


 准将とメルはロメリアの背後に座り込んで、言われた通りに半年前の記憶を辿る。


「おタマによると、あの時彼女は別の世界からやってきたのだそうです。裏を返せば、元の世界では〝突如おタマが消えた〟という状況のはず」


 この直後、ラーガスト王子トライアンが天幕に飛び込んできた。

 珠子がミケランゼロの代わりにナイフで刺されたという印象が強烈すぎてかすみそうになるが、どこからともなく現れた彼女やネコの存在そのものが摩訶不思議なのだ。


「そして今、そのおタマとネコと一緒に、殿下は地面に激突する直前に消えました。おそらくは、半年前のおタマと同じ状況──別の世界に向かったのですわ」


 そう言い切ったロメリアの肩に、ここまで傍観していたソマリが飛び乗った。

 にゃあんと甘い声で泣きつつ、彼女の美しい顔に頬擦りして満足そうに言う。

 

『うふふ、さすがはロメリア。ご明察ですわ。おっしゃる通り、母様は珠子姉様と王子を連れて世界を渡ったのでございます──生き残るために』


 あいにくソマリの肯定は、この場にいる人間達には聞こえない。

 ただ、ツンと澄ました彼女と、自分の発言に絶対の自信を抱いているロメリアのツーショットを仰ぎ見た者達は、気持ちが前向きになっているのを自覚した。


「殿下も、おタマも、ネコも、無事です。わたくし達は、わたくし達のなすべきことをいたしましょう」

『ええ、ええ、その通りですわ。こんなところで立ち止まっているわけには参りません。わたくしの──我らネコの尊さをこの世界に知らしめるため、前進あるのみですわ』


 殊更美しい一人と一匹の、そっくりな色合いの髪と毛並みが、崖の下から吹き上げた風で大きく舞い上がる。

 異様に神々しく、かつ何やら強キャラ感が迸っている彼女達を見上げて、メルはうっとりとした表情になった。


「なんだか、ロメリア様がお二人いらっしゃるみたい……心強いです」

「ロメリアが二人ぃ!? ナニソレ! こわ……っ!!」


 対照的に、准将はムキムキの体を縮こめて身震いする。

 それでも、さきほどまで絶望と悲しみに支配されていた彼の中には、確かな希望が生まれていた。


「そう、そうだね……私達にはなすべきことがある、か……」


 准将はそう呟き、今一度崖の下を覗き込む。

 そうして、遠い地面の上にミケランゼロ達の姿がないこと確認すると、ようやく立ち上がった。

 気持ちを切り替えるみたいに、パンパンと自分の両の頬を叩いてから、よしと頷く。


「殿下のご無事を信じる。我々は早急に本隊と合流し、父上の──大将閣下の指示を仰ごう」


 それを聞いたメルは神妙な顔をし、両手を揃えて差し出した。

 

「ロメリア様、准将閣下……お縄をちょうだいいたします」


 今度は、准将とロメリアが顔を見合わせる。

 よく訓練されている兄は、妹に無言のまま顎をしゃくられただけで、正しく彼女の意思を汲んだ。


「メルはロメリアの部下だからね。私は君を裁く立場にないよ」


 そう言って、准将はメルの横を通り過ぎると愛馬に跨り、ミケランゼロの馬の手綱を取る。

 ロメリアは、ソマリを肩に乗せたままメルの正面に立つと、毅然と言い放った。


「お前の沙汰は、殿下にご相談してから決めます。それまではこれまで通り、わたくしの手なり足となり働きなさい」

「……仰せのままに」




 *******




 ──やめて!


 そう叫んだ声は、聞き慣れた私のそれではなく、まだ幼い子供の声だった。

 私を庇うように抱き締めるのは、頭二つ分ほど背の高い見知らぬ少年だ。

 アッシュグレーの髪と青い瞳はベルンハルトの国王様を彷彿とさせ、顔立ちにはミケの面影がある。


 ──兄上っ!


 子供が悲痛な声でそう叫び、その瞬間、私は合点がいった。


(私は、ミケだ──お兄さんが殺された時のミケになってるんだ……)


 目の前の見知らぬ少年は、若くして亡くなったベルンハルト王国の第一王子レオナルド。

 ミケとは五つ年が離れており、国王様の話ではその忠臣と思われていた人物に殺されたという。

 ミケは、この兄を助けられなかったことを悔い、彼の分まで祖国に尽くそうとするあまり、一人で多くを背負い込みすぎるきらいがあった。

 しかし、どういうわけかミケの視点で事件を追体験させられている私は、この時気づいてしまう。

 レオナルド王子はただ殺されたのではなく──ミケを庇って刺されたのだということに。


 ──兄上……兄上! あにうえあにうえあにうええええっ……!!


 自分の代わりに凶刃を受けて崩れ落ちた兄。

 血に濡れたその体に縋り付き、幼いミケが泣き叫ぶ。

 私の意識はいつのまにかミケの体から離れていたが、ただ無力な傍観者だ。

 血が溢れ出すレオナルド王子の傷を手で塞いでやることも、泣きじゃくる小さなミケを抱き締めてあげることもできない。


(ミケ……!)


 兄を失う悲しみや苦しみ、犯人に対する怒りや憎しみ──ミケの小さな体からは凄まじいばかりに負の感情が、黒い綿毛の姿になって溢れ出した。

 それが周囲を覆い尽くそうとするのに慌てた私は、無我夢中で黒い綿毛を掻き分ける。

 その最中のことである。


(誰……? もう一人、誰かいる……)


 黒い綿毛を掻き分けてできた隙間の向こうに、私は人影を見つけた。

 幼いミケでも絶命したレオナルド王子でもない、血に濡れたナイフを握った若い男である。

 右目の下に泣き黒子のある彼こそが──


(レオナルド王子を──ミケのお兄さんを殺した、犯人!?)


 負の感情を迸らせるミケとは対照的に、その男の顔にはなんの感情も浮かんでいない。

 そんな彼と──私は一瞬、目が合ったような気がした。

 次の瞬間、私の視界はついに幼いミケの負の感情で塗り潰されてしまう。

 押し寄せる黒い綿毛の大群から眼球を守ろうと、きつく両目を瞑った。

 それから、どれくらい経っただろうか。

 次に瞼を開いた時、私は簡素なベッドに寝かされていた。


「……ここ、は?」


 見覚えのない天井をしばしぼんやりと眺め、それから周囲を見回そうとして、それを見つける。


「……ミケ?」


 左脇腹のあたりに、金色の毛に覆われたものがあったのだ。

 半年余り前の、異世界転移してきて初めてこの世界で目を覚ました時のことを思い出す。

 しかし、私はもう、側に寄り添ってくれている相手をマンチカンのミケと間違えることはなかった。


「ミケ……ミケ! ミケだ……っ!」


 寝転がったまま左手を伸ばし、金色の毛をわしゃわしゃと撫でる。

 とたん、弾かれたみたいに顔を上げたのは、私を追いかけて崖から落ちた人。


「タマ、目が覚めたのか……よかった……」


 人間のミケは、綺麗な顔を泣き出しそうにくしゃりと歪める。

 そして、覆い被さるようにして私を抱き締めた。

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