第5話 公爵令嬢と有象無象

 バラのトンネルを抜けてすぐの場所には、大きな噴水がある。

 その側に立つ石造りの東屋にて、三人の年若い令嬢がお茶会の真っ最中だった。

 さっきからきゃらきゃらと楽しそうに聞こえていたのは、彼女達の声だったらしい。

 私に向かって飛んできた高慢そうなのも、そのうちの一人の声だった。


「ああ、いやだ。戦場で拾ってきた女なんて得体が知れないわ」

「素性のはっきりしない人間を城内でのさばらせて、軍部はどういうおつもりなのかしら」

「殿下も、どうしてこんな者に心を砕くのでしょう。まさか、何か呪いにでもかかって……?」


 令嬢達は私を呼び止めておきながら、こそこそと言い交わす。

 バラのトンネルと東屋は十歩も離れていないため私にも聞こえているし、むしろ聞こえるように言っているのだろう。

 つまり、とてつもなく感じが悪い。

 私がムッとする一方、腕の中のネコは舌舐めずりをした。


『ぐへへへ……あやつら綺麗に着飾っとるが、心は真っ黒で汚いのぉ。嫉妬と羨望でドロドロじゃわい。珠子が王子達に目をかけられとるんが気に入らんようじゃな』


 ネコはそう言うと、私の腕から飛び下りる。

 そして、もう一歩も歩かないと宣言していたにもかかわらず、令嬢達がたむろする東屋に向かって駆け出した。


「ちょ、ちょっと……?」


 ガサガサと音を立て、東屋の手前にある茂みに分け入る白い背を、私は慌てて追いかけようとしたが……


『珠子は、きょうだいとともに大人しく見ておれ! この母の仕事っぷりをな!』


 顔だけ振り返ったネコにぴしゃりと言われ、踏みとどまる。

 肩や頭の上にいた子ネコ達もはしゃぐのをやめ、ネコの行動に注目した。

 そうこうしているうちに、きゃあ! と黄色い悲鳴を聞こえてくる。

 東屋にたどり着いたネコが、令嬢達に愛想を振り撒き始めたのだ。


「まあまあまあ! なんて可愛らしいのかしら!」

「見てごらんなさい! 毛がふわふわだわ! 抱っこしたい!」

「お待ちなさいな! 私が先ですわ!」


 とかなんとか、大騒ぎになっている。

 ネコに夢中の令嬢達は、もはや私の存在なんか忘れてしまったようだ。

 ただし、ネコの方は、ただ彼女達の負の感情を摘みにいっただけではなかった。


「「「キャーッ!!」」」


 令嬢達が、今度は絹を裂くよう悲鳴を上げる。

 何事かと目を丸くしていると、さっきは分け入った茂みをぴょーんと飛び越えて、ネコが戻ってきた。

 

『はー、どっこいしょー。やれやれ、いい仕事をしたわい。ほれ、珠子! 母を労れい!』


 そう、足下で大儀そうに言うのを抱き上げて、私はぎょっとする。


「うわっ……ちょっとぉ! ひっつき虫、付いてるじゃない!」


 ネコの真っ白い毛に、私の元の世界の野山にもあったような、服にくっ付くタイプの植物の種子がいくつも絡んでいたのだ。

 辺りを見回してみると、ネコが東屋へ向かう際に分け入った茂みに生えていた。

 その事実と、ドレスが! ドレスがぁ!! と喚いている令嬢達を見て、私は合点がいく。


「あ、あなた……ご令嬢達のドレスにそれを付けてきたの!?」

『ぬははははっ! そのとーりっ! 集合体恐怖症のヤツなら失神するレベルで、びっしり付けてきてやったわいっ!』

「ひええ、最悪……オナモミっぽいのはともかく、このコセンダングサっぽいのは、トゲが残ってチクチク鬱陶しいやつ……」

『ふんっ! うちの珠子に意地悪をするような輩は、永遠にチクチクしとったらええんじゃいっ!!』

「「「「「ミーミー!!」」」」」


 息巻くネコに、子ネコ達も同意するみたいに鳴いた。

 どうやらネコは、娘認定した私のために令嬢達をこらしめてきたつもりらしい。

 しかし、ひっつき虫ビッシリの刑に処された彼女達も、黙ってはいなかった。

 

「あ、あなた! なんてことをしてくれたのっ!」

「仕立てたばかりのドレスですのに! どうしてくれるのかしらっ!」

「ひいっ! びっしり! こわい! やばい!」


 涙目でこちらを睨みつけながら、肩を怒らせた令嬢達がズンズンと近づいてくる。

 その際、件の茂みを踏み荒らしたせいで、彼女達のドレスの裾にはさらにひっつき虫が増えた。


『おおっ、見ろ! すごい顔じゃな! 山姥みたいじゃわい!』

「山姥の概念も、私の中にあったの?」


 目の前まで迫った令嬢達の形相は、確かに凄まじかった。

 もしも私が猫だったなら、耳を横に倒してイカ耳になっていたに違いない。


「お、落ち着いてください……といいますか、もしかして私に怒ってます?」

「「「だって、ネコちゃんに怒れるわけがないでしょう!!」」」

「アッハイ……ごもっともで……」

『お? お? やんのか? やんのか、こら!』


 当のネコは猫パンチで応戦する気満々だ。

 子ネコ達も興奮して、私の肩や頭の上で跳ね回り始めた。

 

「あなた! ちょっと殿下に目をかけられているからって、調子に乗っているんじゃありませんこと?」


 令嬢の一人が、私に掴み掛からんと手を伸ばしてくる。

 ネコのクリームパンみたいな前足の先から、シャキンと爪が飛び出した。

 子ネコ達も臨戦体制に入り、ついにリアルキャットファイトが始まってしまうのかと思った──その時だった。


 

「随分と騒がしいですこと」



 凛として美しい──しかし、三人の令嬢達よりもさらに高慢そうな声がその場に響いた。

 聞き覚えのあるそれに、私がぱっと背後を振り返る一方、令嬢達はたちまち身を硬らせる。


「こんにちは、ロメリアさん」

「「「ロ、ロメリア様……」」」


 バラのトンネルから、二人の女性が現れた。

 声をかけてきたのは、満開のバラさえ引き立て役にしてしまいそうなほど、とにかく美しい人だ。

 緩くウェーブのかかった長い金髪に、エメラルドみたいな翠色の瞳。肌なんてまるで陶器のようで、精巧に作られたフランス人形を彷彿とさせる。

 しかも、レースだらけのフェミニンなドレスではなく、腰がきゅっと締まった濃紺の軍服風ドレスなのがとにかく目を引く彼女の名は、ロメリア・ミットー。

 先ほど一緒にお茶をした、ミットー公爵の長女で准将の妹──さらには、現在ミケの結婚相手として最も有力視されている女性だ。

 ひっつき虫だらけの令嬢達よりずっと身分の高いロメリアさんは、じろりと私を見て言った。


「邪魔ですわね。そこをおどきなさい」

「あっ、ごめんなさい!」


 慌てて道を開けると、彼女は編み上げブーツの踵をコツコツ鳴らして横を通り過ぎていく。

 固まる令嬢達には、目もくれなかった。


『おーい、待て待て、公爵家の娘! このキュートなネコちゃんを抱っこせいっ!』


 またもや私の腕から飛び下りたネコが、なあんなあんと猫撫で声を上げながらロメリアさんを追った。

 世界征服を目論むネコとしては、王家に次ぐほどの地位にあるミットー公爵家も全員押さえておきたいのだろう。

 その声に気づいて立ち止まったロメリアさんが、足下に擦り寄るネコを無感動な目で見下ろす。

 かと思ったら私に向き直り、白い顎をツンと反らして言った。


「そんなところでいつまでも油を売っているなんて、おタマは随分とお暇なのかしら。いいご身分ですわね」


 その高圧的な口ぶりは、小説や漫画の中でヒロインをいじめる悪役令嬢をイメージさせる。

 しかし、令嬢達に意地悪を言われた時とは違い、ロメリアさんに対して感じが悪いなんて、私は少しも思わなかった。


「ロメリアさん、王宮まで一緒に行ってくださるんですか?」

「そのようなこと、わざわざ尋ねずともわかりますでしょう。察しのよろしくない方とは、会話したくありませんわ」

「えへへ、そうおっしゃらずに。私は、もっとロメリアさんとお話ししたいです」

「まあ……相変わらず、おタマはおかしな子ですこと」


 ロメリアさんの言葉を額面通りにとってはいけないのは、私はこの半年の付き合いでよくよく理解している。

 なにしろ彼女はマンチカンの方のミケにも引けを取らない、ツンツンツンツンツンデレなのだ。

 ぐずぐずしている私への嫌味に聞こえる今の言葉だって意訳をすると、おタマ、早くこちらにいらっしゃい、だ。

 するとここで、ロメリアさんに見向きもされなかった令嬢達がわなわなと震え出す。


「どうして……どうして、殿下のみならずロメリア様まで、この女に心をお砕きになるのですかっ!」

「私達は、ロメリア様を差し置いて、こんな得体の知れない女が殿下のお側に置かれるのは納得がいかないのですっ!」

「ネコ達だけ残して、この女は即刻城から……いいえ、ベルンハルトからも摘み出してしまいましょう!」


 私に対する負の感情を爆発させた彼女達が、再び手を伸ばしてこようとした。

 その鬼気迫る表情に、子ネコ達が毛を膨らませて威嚇する。

 しかしながら、令嬢達の手が私に届くことはなかった。


「タマコ嬢に、お手を触れないでいただけますか。ロメリア様はそれをお許しになりませんよ」


 涼やかな声でそう告げて令嬢達の前に立ち塞がったのは、ロメリアさんとともにバラのトンネルから現れた、もう一人の女性。

 彼女は、すらりと背の高い男装の麗人だった。


「メルさん、こんにちは」

「「「「「ミーミーミー!」」」」」

「こんにちは、タマコ嬢。ふふ……子ネコさん達も、ごきげんよう」

 

 メル・ヒバート──メルさんは、ストレートの長い黒髪をポニーテールにし、ミケや将官達とは異なる真っ白い軍服を身に着けていた。

 凛々しい出立ちだが、私の肩や頭から飛び移ってきた子ネコ達に擦り寄られ、くすぐったそうに笑う姿は可愛らしい。

 メルさんはベルンハルト王国軍に所属しているわけではなく、ロメリアさん専属のボディガードであるらしい。男爵家の令嬢で、ミットー公爵家とは遠縁に当たるのだとか。

 二人ともミケと同い年なので、私より五つばかりお姉さんである。

 令嬢達は、腰に剣を提げたメルさんの登場に一瞬たじろいだが、彼女の中性的な美貌を目にするとたちまち頬を染めた。

 メルさんはそれに苦笑いを浮かべつつ、私の耳元に囁く。


「ロメリア様の執務室から東屋の様子が見えていたのです。そこに、タマコ嬢が向かっているのにお気づきになられまして……」

「それで、わざわざ駆けつけてくださったんですか!?」


 ロメリアさんの執務室は、私がさっきまでお茶をしていた会議室と同じく軍の施設にある。

 彼女は軍医で、半年前にナイフで刺された私の左脇腹を縫ってくれた人でもあった。

 私にとっては命の恩人ともいえる相手を足下から見上げ、ネコがフンと鼻を鳴らす。


『この女も、王子と同じ特殊嗜好の持ち主じゃな……我の魅了が一向に効かんというのに、珠子には見事に絆されておるわい』


 かわい子ぶって愛想を振り撒くネコに対しても、メルさんに抱かれてミーミー甘える子ネコ達に対しても、ロメリアさんが父や兄のようにデレる素振りはない。

 彼女はミケと同じく、ネコ達のフェロモンが効かない代わりに、私のなけなしのフェロモンに反応する体質らしかった。

 なお、この特異体質……現時点で判明しているのは、ミケとロメリアさんと、他にもう一人いるのだが、今は割愛する。


「メル、余計なことは言わなくてよろしい。おタマはさっさとなさい」


 ロメリアさんはぴしゃりとそう言うと、ネコをハンドバッグみたいに小脇に抱えた。


「ロメリアさんって、ネコには全然デレないのに、邪険にもなさいませんよね」

「ええ、ロメリア様はお優しい方ですから。小さきもの、弱きものは、殊更大切になさいます」


 子ネコまみれでほくほくのメルさんとそう言い交わしつつ、私はさっさと歩き出した美しい人を追いかける。

 一方、三人の令嬢達は呆然と立ち尽くしていた。

 最後までロメリアさんには一瞥さえももらえず、しかも、自慢のドレスはひっつき虫だらけという惨めな姿に、私はついつい同情しかけたが……


「侯爵家を筆頭に、武官を輩出していない家のお嬢さんばかりですね。日が高いうちからおしゃべりに興じるとは、気楽なものです」

「戦場を見てきた者と、安全な王都に引きこもっていた者の間には温度差がある──これは、いたしかたないことですわ」


 メルさんは呆れたように、ロメリアさんは冷ややかに言う。

 彼女達の間に挟まれた私は、小さくため息を吐いた。


「あの人達が今ああして無為に時間を過ごせるのは、ミケや将官の皆さん、それにロメリアさんやメルさんのように命を賭して戦った人達のおかげなのに……」


 ベルンハルト王国とラーガスト王国の戦争に関し、私は完全なる部外者だ。

 しかし、この戦争が後者の一方的な宣戦布告により始まり、ベルンハルト王国は自国の領土と民を守るために戦ったのだということを知っている。


「戦争に勝ってからも、ミケ達は会議室に場所を移して戦い続けています。それを、あの人達はご存知ないのでしょうか。ミケ達の苦労を蔑ろにされているみたいで……悔しくなってしまいます」


 そう呟いて唇を噛む私の頭を、ロメリアさんはネコを抱えていない方の手で優しく撫でた。


「有象無象に心を煩わせる時間など無駄ですわ。もっと、建設的に生きなさい」

「建設的……あっ、そうだ! 実は今夜、王妃様と女子会をするんですが、ロメリアさんとメルさんもご一緒にいかがですか? 好きな人を誘っていいと言っていただいているんです!」

「あら……女子会とは、なんですの?」

「女子が飲み食いしながら、建設的な話をする私的な集まりのことですよ!」


 王妃様とは、実はもう何度も女子会をしているが、ロメリアさんやメルさんを誘うのは初めてのことだ。

 ロメリアさんが乗ってきてくれたのが嬉しくて、私は令嬢達のことなどどうでもよくなった。

 子ネコ達に頬擦りをしつつ、メルさんも弾んだ声で言う。


「それでしたら、手土産が必要でございますね。ロメリア様とタマコ嬢が王宮にお入りになりましたら、私は一度屋敷に戻ってワインでも……」

「あ、大丈夫です、メルさん! ワインは、侍従長さんからなんかいい感じのやつを掻っ払ってきてくれるはずです! ミケが!」

「おタマ……あなた、殿下使いが荒いですわね。なんかいい感じのやつ、とはなんですの」


 私達が和気藹々と言い交わす中、ロメリアさんの小脇に抱えられたネコがニンマリと笑った。


『いいぞいいぞ、珠子! その調子で、そやつらの好感をキープしとけよ! 我らがこの世界を制すためにな!』


 そんな毒親の言葉なんて、私は聞こえないふりをした。

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