第4話 不出来な娘と毒親ネコ
『珠子を返さんも何も──そもそも、元の世界になんぞ戻れんがなっ!』
身も蓋もないことを言うダミ声の発信源は、私の腕の中にいる真っ白いモフモフ──ブリティッシュロングヘアっぽいネコだ。
軍の会議室を出る際には大人しく私の腕の中に収まったものの、まだプンプンしている。
『まったく! 珠子のせいで、テンションだだ下がりじゃわい! 我は、今日はもう一歩も歩かんぞ!』
「はいはい、私が運んであげるから、機嫌直して」
五匹の子ネコ達はミーミーと鳴きながら、私の肩や頭の上を行ったり来たりして戯れ合っている。
将官達からたっぷりと負の感情を摂取したおかげで、元気があり余っているのだろう。
現在、私とネコ達は王宮へと続く小径を進んでいるところだ。
ベルンハルト王国の城は、正門を入ってすぐ左手に軍の施設、右手に聖堂、それらの背後に王宮、と三つの大きな建物で構成されている。
それぞれの建物の間を埋めるように造られた庭園は見事なものだ。
所々に東屋やベンチが設置され、専ら上流階級の人々が憩いの場として利用している。
今もどこかで令嬢達がお茶会でも開いているのだろうか。きゃらきゃらと楽しそうな声が聞こえてくる。
私はご機嫌斜めなモフモフを抱え直し、足を進めながら問うた。
「私って、どうやっても元の世界には戻れないの? 絶対に?」
『我と一緒ならば、こことは違う世界に飛ぶことは可能だが、行き着く先を選ぶことはできん! よって、珠子が元の世界に戻れる可能性は限りなくゼロに近いっ!』
ぶっきらぼうに答えたネコこと毛玉型異世界生物は、あらゆる世界において、人間のような知能の高い生物に依存して生きてきた。
そのため、とにかく愛玩されやすい姿形に進化した、一種の寄生生物でもある。
人間の負の感情を糧にして増殖し、その世界が飽和状態になると、一部がミツバチの分封のごとく新天地を求めて世界を渡るという。
私を異世界転移に巻き込んだネコも、そうして巣立った一匹だった。
「まさか、謎の異世界生物と運命を共にする日が来るなんて、想像したこともなかったよ」
『我とて、人間の娘ができる日が来るとは思ってもみんかったわいっ!』
「また言ってる……あなたに産んでもらった覚えはないんだけどな」
『珠子は我の一部で命を繋いだんじゃから、我の子じゃろうが! 異論は認めんっ!』
世界と世界の狭間に放り出され、私の身体は細胞レベルまでバラバラになった。
その際、同じくバラバラになった──こちらは想定内──毛玉の細胞と一部が入れ替わり、それが接着剤の役目を果たしたおかげで、この世界に到着した時の私は人間の形に再生できていた……らしい。
『他の生物を一緒に異世界転移させるなんてのは、我にとっても想定外。人間一人を再生するのには、膨大なエネルギーが必要なんじゃぞ。とっさに、珠子自身の負の感情をそれに充てることを思いつくなんて、我ながら天才じゃな!』
「私の人見知りが改善したのって、そうして負の感情が消費されたからなのかな」
髪の色がネコとお揃いになったのも、その言葉がわかるのも、ミケから負の感情を引き剥がせるのも、この体に異世界生物の成分が混ざったせいだろう。
なお、ネコ達と違い、私は負の感情自体を糧にはできないため、普通に食物を摂取する必要があった。
幸い、異世界のご飯もなかなかにおいしい。
『とにかく! 我の細胞がなければ、珠子は今、生きてはおらんのじゃぞ! いい加減、我のことを母上様と呼ばんかっ!』
「えっ、いやですけど……」
『くううっ……まったくもって、生意気な娘じゃわいっ!』
「そもそも、そんな死にかける状況になったのって、あなたの異世界転移に巻き込まれたせいなんだけど……」
やがて、私達は庭園の中程にあるバラのトンネルに差し掛かる。
色とりどりのバラの花からは甘く優雅な香りがするが、あいにくネコ達のそれほど魅力的には感じなかった。
ネコの前身である毛玉は、私の元いた世界を素通りしようとしていたらしい。
その理由が、猫という強力なライバルの存在を察知し、人間の愛情を独占するのは困難である、と判断したためだというから納得である。
この時点のネコには意思も感情もなく、すべては本能に従ってのことだった。
それが今や、私の肩や頭で遊んでいた子ネコ達を側に呼び寄せると、これ見よがしにため息を吐いて言うのだ。
『まったく、珠子ほど手の掛かる娘は知らんな! お前達、不出来な姉をしっかりと支えてやるんじゃぞ!』
「「「「「ミー!」」」」」
母ネコの言葉に、子ネコ達が一斉に返事をする。
私と細胞の一部が入れ替わったことにより、異世界生物改めネコは、自身から分裂した存在に対して母性のような人間的感情を抱くようになった。
その擬似家族のカテゴリーに、私も問答無用で含まれており、なおかつ長女という位置付けらしい。
しかし、自称〝母上様〟は、そんなファミリーの事情をこちらの世界の人間──ミケにさえも、打ち明けることを許さなかった。
『別の世界から来たというだけで、怪しまれてもおかしくないんじゃ。その上、人間の心に影響を及ぼす力があるなどと知られれば、異端とみなされる。その先にあるのは迫害じゃぞ』
「魔女狩りみたいな? ミケは、そんなことしないと思うけど……」
『あの王子はそうであろうと、他の大多数が同じ考えとは限らん。下手にあれを巻き込めば、王子をたぶらかしたとして反感を買う可能性もあるしな。余計なことは口にせんに限る』
「……わかった」
今度は素直に頷いた私を褒めるみたいに、ネコが頬を舐めてくる。
私の中にあった猫の概念を忠実に再現しているため、舌もざらざらしていて痛かった。
ネコは私の頬が赤くなるまで舐めると、ふいにひげ袋を引き上げて歯を剥き出し、フレーメン反応を起こしたような顔で笑う。
『しっかし、あの王子が我の愛らしさに一向に靡かぬのには参ったが……ぬふふふふ。珠子には相当心を砕いているようじゃないか? ぐへへへへへ……』
「その笑い方、どうにかならない? まあ、ミケを庇う形で私が怪我をしちゃったからだよね。ただでさえ気苦労が多いんだから、私のことは気に病まないでもらいたいんだけど……」
私自身はミケを庇ったという自覚がないため、彼に見返りを求めるつもりなど毛頭ないのだ。
むしろ、今現在何不自由ない生活をさせてもらえていること──何より、素性もわからない自分が受け入れられ、尊厳を守ってもらえていることに、言い表せないほどの感謝を覚えている。
「人見知りが改善した分、以前の私よりもきっとがんばれると思うんだよね。ミケや、この世界にきてお世話になった人達のためになら……」
誰かの役に立とうなんて、半年前までは思いつきもしなかった。
自分のことだけで精一杯だったから。
けれど今は、私にも何かできることがあるんじゃないか、と前向きになれた。
その余裕を与えてくれた筆頭はミケであり、だからこそ私は、彼の役に立ちたい。
ところがネコは、そんな私の頬をピンク色の肉球でピタピタ叩いて、とんでもないことを言い出した。
『げっへっへっ……珠子がすべきことなど、決まりきっとるじゃろうが──お前、その体を使ってあの王子を陥落せい!』
「はぁ!? なな、なんちゅうことをっ……!」
『あやつがお前のフェロモンにしか反応せんのだからしょうがないじゃろ。それに、珠子とてあの王子を憎からず思っとるじゃろうが』
「いや、ミケのことは確かに好きだけどさ……」
悠々と咲き誇るバラに囲まれて、少女漫画の登場人物にでもなったような気分だが、あいにく自分が誰かと恋愛するイメージなんて露ほども湧かなかった。
何しろ以前の私は筋金入りの人見知りで、友達さえいたことがないのだ。
ミケに対して抱いている好意だって、恋愛感情ではなく親愛だろう。
本人も主張していたとおり、ミケは私のこの世界における後見人であり、頼りになるお兄さんだった。
『我らがこの世界を制す第一歩として、未来のベルンハルト国王は、何としても押さえておかねばならんのじゃ! いいから、この母を言うとおりにしろいっ!』
「うわっ、最悪……毒親だ!」
目下私がミケのためにすべきことは、この毒親に反抗し続けることかもしれない。
ネコは本気で、全人類を籠絡して世界を我が物にしようと企んでいるらしいからだ。
『ぐっふっふっ……この世界をネコでいっぱいにし、人間どもは一人残らずおネコ様帝国の奴隷にしてやるんじゃい!』
「毛玉ができる速度はそんなに早くないから、今すぐ世界がどうにかなるわけじゃなさそうだけど……」
ひげ袋を膨らませて張り切るネコに、私はげんなりした。
そうこうしているうちに、バラのトンネルを抜ける。
ここで私を出迎えたのは、やたらと高慢そうな声だった。
「──そこのあなた、お待ちなさい」
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